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後千年王国説の聖書的根拠



 キリストの王国についてダニエル2・44に次のような言葉があります。

「この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされます。その国は永遠に滅ぼされることがなく、その国は他のために渡されず、かえってこれらの国々をことごとく打ち砕いて、絶滅してしまいます。しかし、この国は永遠に立ち続けます。」

 ダニエルが見た夢は、一つの石が世界帝国(バビロン・ペルシャ・ギリシャ・ローマ)を表す像を打ち砕き、それが大きな山となって全土に満ちた、というものでした。  これはキリストの御国を表しています。キリストが王となって、全世界を支配するようになることはこのことから明らかです。

 キリストは昇天されるときに、「私には天においても地においても一切の権威を与えられました。だから、あなたがたは出ていってすべての国民を弟子としなさい。彼らにバプテスマを授け、私が命じたすべてのことを守り行うように命じなさい。」と言われました。

 天においても地においても一切の権威を与えられたということは、「キリストは全世界の王になった」ということを意味しないでしょうか。そして、全世界の国民を弟子とせよ。と命じた以上、それが実現できないことがあるでしょうか。不可能なことを命令するでしょうか。キリストは、「御心が天で行われるように、地上でも行われますように。」と祈れと言われました。どうして、誠実な神様が「どうせ無駄だろうけど祈れ」と言うでしょうか。

 あの全土に満ちた石とは、キリストの御国が拡大して全世界に及ぶことの預言でなくて何でしょうか。歴史はこの預言とおりに進んできました。キリストの福音はユダヤからヨーロッパに、そして、全世界に広められました。現在、世界の諸国民を弟子とするために、多くの宣教師が働いています。これからも、神の福音は世界中で実を結ぶでしょう。

 また、アダムに与えられた「地を従えよ。」との命令はどこで無効にされたのでしょうか。それは、今日の私たちにとって無用のものであると示している箇所はどこでしょうか。もしそのような箇所がなければ、この命令は今日の私たちにもなされていると見なすべきではないでしょうか。人間の創造の目的は神の栄光を表すことではなかったでしょうか。それは、この地球を神の御心にしたがって管理することではないでしょうか。ですから、弟子化とは、目に見える形で神の栄光を表す、つまり、神的文明の建設でなくて何でしょうか。それは、教会に限定されるいわゆる「宗教的ムーブメント」ではありません。世界のあらゆる地域のあらゆる領域を巻き込んで行く包括的運動なのです。万物を神と和解させる務めをクリスチャンは委ねられています。なぜならば、キリストの十字架は、「天にあるもの、地上にあるもの、いっさいを和解させてくださる」(コロサイ1・20)からであり、その和解の務めは「私たちに」与えられているからです(第2コリント5・19)。魂の和解だけではなく、万物の和解なのです。今日の福音主義は、魂の和解だけを強調しますが、万物の和解も、キリストの十字架の目的の内に含まれるのです。ですから、再建主義者たちは、繰り返し、福音は魂だけではなく、文化や文明全般にまで影響を与えるはずだと説いているのです。




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