■ ブルガリアの民話 ■
− ハリネズミのハリはいつ生えたか −

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太陽が嫁取りをすることになったとき、婚礼の式には、ありとあらゆる動物が呼ばれた。しぶしぶやってきたハリネズミは、食卓のご馳走に見向きもせず、カリカリと石ころをかじっている。いぶかしんだ太陽が問いただすと、太陽が子孫など作ることになったら、我々には石くらいしか食べるものがなくなってしまうでしょうから、とハリネズミは答える。これを聞いた太陽はしばらく考え込み、やがて宴のお開きを宣言する。嫁取りは取りやめになったのだ。他の動物たちは皆、ハリネズミに腹を立てたが、彼が皆から害されることがないように、太陽はその体にハリを生やしてやる。

以上は、ブルガリアのキュステンディル州で,I.ザハリエフが採録した民話である(直野 敦他 編訳『バルカンの民話』恒文社,1980.07.所収,「針ねずみの針はいつ生えたか」佐藤純一 訳)。
私は、この話が好きだ。ハリネズミもよくやったが、太陽の対応も,立派なものだ。偏屈と寛恕、両極端の道を行く二者が、ここでは確かに、互いの性質を深く理解し合い,認め合っているように見える。局面に迎合することしか知らない、その他大勢の浅はかな動物たちは,そのどちらのことも,永久に理解することができないのだ。

佐藤によれば、ブルガリアには「太陽の結婚」をテーマとする説話が,きわめて多いという。アジア各地には、2つ以上の太陽が現れて日照りが起き、英雄がこれを射落としたという「射日神話」が,さまざまなバリエーションをもって伝えられているが、ブルガリアのハリネズミは、2つ目の太陽が生まれない前にこれを予見し,その機転によって,これを未然に封じてしまったわけである。
佐藤はまた、この国の説話では、ハリネズミはつねに最も賢い動物として描かれることを指摘している。これに対して,『バルカンの民話』と同時に同じ版元から発刊された『ブルガリアの民話』の解説中で、訳者の真木二三子は,
「ブルガリアの民話の中では、狼は愚鈍、狐は狡猾、……針ねずみともぐらはのろま、……といった具合であり、だいたいほかの民族の民話中の動物と似通った扱いをされている。」
と述べているが、ハリネズミがのろまな性質を与えられるという記述は、同書に収められている「狐と針ねずみ」の説話とも整合しないようだ。

Mr.Toad
Mr.Toad
★ Too Trivial! ★
イソップ寓話『太陽と蛙』では,太陽の婚礼を祝うカエルたちを,ヒキガエルが(あるいはカエルたちの1匹が)制するという話になっている(Chambry 127, Halm 77)。
広く親しまれた寓話らしく,『伊曾保物語』(中15)やラ・フォンテーヌの『寓話』にも採られている。
Thompson の『民衆文芸のモチーフ・インデックス』では,このモチーフはJ613.1に当たる(中務哲郎による)。
ハイジ=ホルダー HOLDER, Heidi による細密で美しい絵本『イソップものがたり』(三田村信行 訳,偕成社,1983.11.)の9篇にも「太陽の けっこん」が含まれ,めかし込んだカエルやヒキガエルやトカゲたちが,わざわざ見開きで描かれている気合いの入りように,イモリも飼っているという作者の両棲類びいきが(トカゲは爬虫類だが)察せられて,微笑ましい。

2000.03.25. 最終推敲:2003.03.26.
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■ 100のトリック ■
− ハリネズミの悪知恵 −

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むかし、キツネとハリネズミは、姉と弟のように仲良しで、いつも一緒だった。ある日、キツネはブドウがほしくなり、坊さんのぶどう園に忍び込んだ。300もの智恵をもっているというキツネは自信満々だったが、万一のときのための3つの智恵があるだけのハリネズミはおっかなびっくり。ところが、キツネは坊さんの仕掛けた罠にかかり、泣き出してしまう。ハリネズミに智恵を授かったおかげで、何とか逃げ出すが、数日後、キツネはまたぶどうがほしくなり、相棒を伴って再び坊さんのぶどう園に向かう。前と同じことが起こり、ハリネズミはキツネを助けるために、2つ目の方法を教えてやる。その数日後、またしても同じことが起こり、ハリネズミは3つの方法をすべて使い果たしてしまうことになる。
懲りない2匹が、4度目にぶどう園を荒らしにいったとき、今度はハリネズミが坊さんの掘った落とし穴に落ちてしまう。自分の方法は種切れだから、逃れる方法を教えてくれと頼むハリネズミを、姉貴分のキツネはあざ笑う。ハリネズミは、それなら死んでいく自分に最後の接吻をしてくれと頼み、鼻先を伸ばしたキツネの頭にかじりついて穴から抜け出る。森まで逃げてきた2匹はそこで訣別し、今でも、森で出逢うことがあっても互いに知らん顔をしているのである。

これは、真木 二三子 訳 編『ブルガリアの民話』(恒文社,1980.07.)に収められている「狐と針ねずみ」という民話である。
他項でふれたように、ヨーロッパでは「キツネはたくさんのことを知っているが、ハリネズミはでかいことを一つだけ知っている」ということわざが知られているが、この民話では、グリム・メルヒェンなどでもお馴染みの「3度の繰り返し」を可能にするために、ハリネズミの知っていることを3つに増やしている。ハリネズミがキツネに教えた取って置きの智恵とは、(1) 坊さんにおべっかを使って縄を解かせる、(2) 死んだふりをして、坊さんが罠からはずすのを待つ、(3) また死んだふりをして、坊さんが自分を家まで運んでいき、ナイフを取りに行くのを待つ、の3つである。だが、ハリネズミは結局もう1つの方法を使って自分の危機を脱しているから、結局4つの方法を持っていたことになる。

アルジェリアの民話(イネア・ブシュナク編,久保儀明 訳『アラブの民話』青土社,1995.09.所収)では、ハリネズミが自分用に使うトリックも、ちゃんと数に入っている。ハリネズミの相棒はジャッカルであり、百の持ちネタを誇っていることはブルガリアのキツネと同じだが、ハリネズミのネタは1個半だけだ。2匹は農夫が地面をくり抜いて作った穀物庫に忍び込むが、食べすぎて穴の外に出られなくなる。ハリネズミはジャッカルにシラミを取ってやるともちかけて頭を下げさせ、首の後ろを噛んで、飛び上がった相棒の頭を踏み台にして穴蔵を抜け出る。農夫が歩いてくるのを見たハリネズミは、あわてるジャッカルに、残りの半個のネタを教えてやる。死んだふりをして、農夫が穴蔵から自分を放り出すのを待つのだ。この方法で、ジャッカルも首尾よく逃れることができる。
編者によれば、北アフリカのベルベル人たちの間では、動物を扱った物語が驚くほど豊富であり、この「百のトリックの持ち主」の話も、動物たちが行った一連の冒険の一部であるという。この本に収録された形では、穴蔵を逃れたジャッカルが、野ブタをだまして、結局7頭の子ブタと母ブタを食い殺してしまうという、もう一つのエピソードが続いている。この後半のエピソードには、ハリネズミはまったく登場しない。

ブルガリアとアルジェリアの民話を見比べると、元々は、ハリネズミが1個半の智恵で自分と相棒のキツネの命を救う話が原型としてあったのではないかと思われる。我が国の「キツネとカワウソ」の民話や、イソップの「キツネとツル」の寓話に見られるように、キツネはズルいばかりではなく、ギヴ・アンド・テイクの原則を守らないような利己性を付与されていたようだ。
だが、アルジェリアの民話では、相棒をだますのはハリネズミの方で、しかもそのすぐ後でジャッカルを助けてやる。ブルガリアの民話と比べると、「友人を裏切る(だます)のは悪いこと」という倫理の主張がなく(ブルガリアの民話でもハリネズミはキツネをだますが、これはあくまで裏切られた後の正当防衛だ)、単純に悪知恵の効用だけを強調するような話になっていることは興味深い。

ちなみに、モンゴルの民話では、キツネの誇る“ぺてん”の数は13個となっている(松田忠徳 訳編『モンゴルの民話』恒文社 所収「かささぎの話」)。

★ Too Trivial! ★
イソップ寓話では,キツネが井戸から上がるためにヤギを利用したり,井戸から出られなくなったウサギを一方的に嘲ったり(『シュンティンパス集』第10話)する。
民話伝承の世界にはいろいろと智恵のある動物が登場するのに,どうも智恵というとキツネの専売特許のようになってしまったのは,どうもアエソーポス(イソップ)氏に責任があるようだ。
ちなみに,イソップギツネは,毛皮の色を自慢するヒョウに,「わたしのほうが,あなたよりどれだけきれいかわからない。からだはひと色だけれど,ちえはいろいろになる。」(河野与一訳)と自慢している。

2000.03.27. 最終推敲:2001.09.29.
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■ ハリネズミとイノシシ ■
− カビールの民話 −

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 『新装 世界の民話』シリーズ(小沢俊夫 編,ぎょうせい)は,西ドイツのオイゲン・ディーデリヒス社から出版されている世界最大の民話シリーズ「世界文学の民話」を底本として,その一部を選んで訳出したものである。原著は1976年の時点で60冊近くに達していたが,この邦訳版は,第1期12冊,第2期12冊の,計24冊からなる。
 このシリーズのうち,第2期に含まれる17巻「カビール・西アフリカ」(1978,07., 竹原威滋 訳)所収のカビールの動物昔話に,「はりねずみといのしし」がある(13番)。原著は,Maerchen der Kabylen, Eugen Diederiches Verlag, 1967.(Leo Frobenius 採集,Hildegard Klein 編),原著での番号は30番。カビールとは,現在はモロッコとアルジェリアの間の産地に残っている,ベルベル族の一種族である。

 この民話は,前後2つのパートからなる。
 前半では,ハリネズミとイノシシが協力して畑を開墾する。春に作ったタマネギについて,ハリネズミはイノシシに,地上と地下と,どちらを取るか選ばせる。イノシシは地上を選び,ハリネズミは作物のすべてを手に入れる。冬の小麦が取り入れられると,イノシシは今度は地下を選び,ハリネズミは再び収穫を独占する。
 後半は翌年の話で,2人はタマネギとスウェーデンカブラと小麦を作る。ハリネズミは,今度は力比べに勝利した者がすべてを取ることにしようと提案する。力自慢のイノシシが同意したので,2人はライオンとジャッカルとそれぞれの兄弟たちを審判に立て,戦う。イノシシは3度ハリネズミを鼻面で突き,そのたびに鼻先を痛めて,ついに試合を放棄する。ハリネズミは三度,収穫物を独占する。

 この話型は,日本では「熊と狐の寄合田」などの名で知られている(「日本昔話集成」5番)。ロシアでは農夫と悪魔,イングランドでは農夫と妖精ボギー Bogy の話となるが,各地でよく知られた話のようだ。
2005.03.10. 最終推敲:2005.03.10.
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■ ロマ(ジプシー)の民話 ■
− 選択の自由 −

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『旅するジプシーの人類学』(木内信敬 訳,晶文社,1986.09.)のジュディス・オークリーは、リーランドによる1893年の論文から、「ジプシー」=ロマの民話を紹介している。

「……ハリネズミは、右へ行くと狩人の蹄につぶされる、左へ行くとジプシーに食べられると警告され、自分たちを軽蔑する人たちにつぶされるよりは、自分たちを好んでくれるジプシーに食べられる方がましだと、こたえている。この話は「ほんとうのジプシーは、ゴールジョに縛り首にされるよりは、ジプシーの仲間に殺された方がよいのだ」という結論になっている。……」

ゴールジョとは、非ロマ(=非「ジプシー」)のことを指す。オークリーはこの話を、ロマの人々がハリネズミを自分たちと同一視していることの証拠と見ており、「ハリネズミはジプシーの理想的な内部の自己であり、この神聖な食べものを食べることはトーテム的な行為なのである」としている。
2000.03.05. 最終推敲:2000.03.23.
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■ 西アフリカ・ハウサ族の民話? ■
− 軒を借りたハリネズミ −

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hausa
↑ ハウサ語の
「ハリネズミ」
世界諸国の言語を紹介する「WorldLanguage.com」には,各国語のページに短いサンプルテキストが示されているが,ハウサ語ページの文書サンプルは,「ジリスとハリネズミ」という民話風の小咄である。
西アフリカ内陸部一帯(ナイジェリア北部とニジェール)に住むハウサ族の言語であるハウサ語は,西アフリカでは最も広く話されている言語であるという。

同ページに示された英訳を,日本語に訳して示す。


ジリスとハリネズミ

ある雨の日のこと,ハリネズミがジリスに声をかけた。
「やあ,どうだい,この寒さは。どこかに雨宿りができるところはないものかね」
ジリスは答えて言った。
「うちは平気だよ,ありがたいことにね。まだちょっと場所があいている。入りなよ」
それからしばらく,ジリスとハリネズミは一緒に暮らしたが,やがてジリスがこう言うときが来た。
「ハリネズミ君! 君といっしょだと,どうも居心地が悪いよ。君ときたら体じゅうがチクチクだからね。もう出ていってくれよ!」
するとハリネズミが言うには,
「ほう,そうかい,俺の方は快適な暮らしなんだがね。この場所が性に合わないって言うんなら,ほかに居場所を探すべきなのは,そっちの方なんじゃないか?」

この話の主人公は,ハリネズミには珍しく,利己的な性格の持ち主だ。
「恩を仇で返す輩もいる」「親切も相手を選んで施さなければ馬鹿を見る」という世間智を示したこの小咄は,しかし,「ジリス:巣穴を掘る動物」「ハリネズミ:チクチクする動物」という外面的な特徴のみに頼った素朴な寓話であり,おそらくハウサ族がハリネズミをふてぶてしい横着な動物と見ているということを意味しているわけではないだろう。

 ニワトリ氏によれば,このサンプルの種本は
Kenneth Katzner "The Languages of the World (New Edition)", Routledge (London, New York), 1995.
であり,この物語は
R.C. Abraham, "Hausa Literature and the Hausa Sound System", University of London Press Ltd. (London), 1959.
からの孫引きである由。
  オリジナルの出典は不詳。
2002.01.30. 最終推敲:2005.03.10.
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■ トラとカササギとハリネズミ ■

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李時珍先生
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『本草綱目』は,西暦1596年,明の李時珍によって刊行された,本草学の研究書である。
「本草学」とは,読んで字の如く,本草(ほんぞう)に関する学問だ。本草とは本来、薬用になる植物のことであったが、そこから広がって、薬の材料として用いられる、木や草、果物、宝玉や石、虫、魚、獣や鳥の体のさまざまな部分などを指すようになった−−要するに、ほとんどありとあらゆるモノが本草学の研究対象となったのであり、その結果として、本草学は単なる薬物研究にとどまらず、西洋の博物学に似た、総合的な学問となったのである。
本草学者
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この古来の学問を集大成した大著こそが、ほかならぬ『本草綱目』だ。その巻数、実に全52巻、その中では本草1890余種が詳解されている。(……と、えらそうに書いてきたが、以上、実は全て広辞苑からの引き写しである。悪しからず)

さて、当然のことながら、『本草綱目』には、ハリネズミについても記載がある。ここでは、トラとハリネズミについての伝承を、鈴木真海『国譯本草綱目』(春陽堂書店,1931.)の口語訳によって見てみよう。

(前略)弘景曰く、處處の野中に時にこの獣がゐる。人が觸れ犯すと、頭、足に藏(かく)してある毛で人を刺すので獲(と)れないものだ。能く虎の耳中に跳ね入るものだが、鵲に遇ふと自ら腹を仰むけて喙を受ける。物にはかやうな相制の關係があるのだ。(後略)


『本草綱目』中の「[オ胃]」
とぼけた顔してババンバン
弘景とは梁の本草学者、陶弘景(456〜536)のこと。「本草経集註」などの著がある。
「相制の関係」とは,五行相克の思想を写したものだろう。ヨーロッパに見られる,「最も小さな鳥であるミソサザイが,百獣の王である獅子の耳に入って苦しめる」というモチーフとの関連が興味深いが,ここでは話を広げず,『本草綱目』の記述だけを見ていこう。

上は獣部、鼠類、「[オ胃](ハリネズミ)」の章の「集解」の項から抜粋したものだが、同章「正誤」の項には、この説についての詳しい論考がある。
李時珍は、まず、本草学の先学である蘇恭、寇宗〓の記すところを引く。
「……ハリネズミが鵲(カササギ)に腹をさらして自らくちばしに突き刺されるというのは、決して自殺行為ではない。ハリネズミのこのふるまいは、この鳥の鳴き声を嫌うためで、ちょうど「漁夫の利」の成語を生んだ「戦国策」のシギとハマグリの喩え話のように、おのれを突き刺そうとするカササギのくちばしを抱き取るために腹をさらすのだ。
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しかし、この動物が虎の耳に跳ね入るという話の方は、どうも信じがたい。虎の耳はニワトリの卵も入らないほど狭いもので、地上からの高さは3尺もある。どうしてハリネズミに跳び入ることができようか。こんなことは世俗の迷信に過ぎない……」
以上が陶弘景に対する蘇恭の批判であり、後世の学者である寇宗〓も、この批判に「理として当然」と同調している。

これに対して、李時珍自身は、意外にも陶弘景説の弁護を試みているのだ。彼は、いくつかの文献から、ハリネズミまたはそれと同じものらしく思われる小動物が虎を害するという説を引いてきて、これだけの記述があるのだから、これはやはり本当のことなのだろう、と結論づけている。
「ヒョウソ」
中でも、描写が具体的な「談薮」からの引用は目を引く。「虎が敢て山林に入らずして草薄に居るのは、木上にヒョウソ(いぬかわ註:ヒョウソの文字は右参照)がゐるからだ。その鼠は虎が通るのを見ると咆(ほ)い噪(さわ)いで毛を抜いて投げつける。すると虎は必ず蟲瘡が生じ、潰爛して死に至るものだ。」というのがその内容である。

さて、ここにもう一つ、烏天曰く、と屋上屋を重ねさせていただこう。
ハリネズミがカササギに腹をさらすという説がどこから来たものかはわからないが、トラを殺すヒョウソという動物の正体については、いささか心当たりがある。李時珍先生はこれをハリネズミとしており、確かに後にハリネズミがこの伝承に重ねられて虎を害する動物ということなったのだろうが、本来これは、ヤマアラシとその捕食者についての山人の見聞が,誤って伝えられたものではなかっただろうか。

※ 「カシャ、カシャ」という鳴き声からカチガラスの異名を持つカササギは、雑食性で、虫も食う。この鳥が、死んだばかりの動物の屍肉にたかった虫をついばむのを観察されることはあり得るかもしれない。
カササギは確かに悪声だが、鵲語、鵲声、あるいは鵲喜、鵲報、鵲噪などといって、この鳥の鳴き声は喜びの前兆とされ、歓迎されていたから、その声を嫌うとされたハリネズミは、よほど偏屈な動物と見られていたのかもしれない。
精神分析を学んだ人ならば、カササギの嘴を腹で受けるハリネズミに、女性的表象を見てとるのは容易なことだろう。
なお、小学館文庫の『百分の一科辞典 トラ』(1998.01.)によれば、朝鮮の民画では、トラはよく吉鳥であるカササギとの組み合わせで描かれ、なぜかコミカルに描かれることが多いという。

ヤマアラシのハリは、ハリネズミのものよりずっと長い。ヤマアラシを襲った獣がそのハリに刺されると、それは元の体から抜け離れ、反対に、突き刺さった相手の体からは、容易に抜けようとはしない。
人間なら手を使って何とでもすることができるが、獣にとって、それは見かけ以上に剣呑な武器である。前脚などに何本も刺さったまま残ってしまうと、傷が悪化・化膿し、それが元で死に至ることさえしばしばあるという。「蟲瘡が生じ、潰爛して死に至る」という描写は、まさしく不運な虎のそのような死にざまをよく表しているのではないだろうか。
しかも、ヤマアラシは決して臆病な動物ではなく、敵に出会うと針を立てて背中を向け、ときにはそのまま後ろ向きに突進してくることもあるのだ(「豪猪」というヤマアラシの漢名は、あるいはこの習性と関係があるのかもしれない)。
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「咆い噪いで毛を抜いて投げつける」などというのは、無論実際のヤマアラシにできることではない(むしろこれは、サルのイメージの混入を思わせる描写である)。けれども、西洋で、ヤマアラシの果敢な突進を、背中から射出されて離れた所から敵を襲うミサイルのような飛び道具のイメージに飛躍させたように、『和漢三才図会』などでも、ヤマアラシは怒るとそのハリで人を射ると記している。李時珍自身,『本草綱目』の「豪猪(ヤマアラシ)」の項で,そのように述べている。
なお,アジアのヤマアラシと同じ種ではないが、シートンは『動物誌』の中で、敵に出逢ったカナダヤマアラシは尾を振りながら相手に後ろ向きに向かい合い、古くなったハリは尾から抜け落ちて敵を襲う、と記している。
「ガァア,蝸牛管
カジらんといて!」
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蝸牛管
また、「咆い噪ぐ」というのは、捕食者に対する警戒音のことが誤って伝わったのだとも考えられる。ある種のヤマアラシは、尾に中空のトゲを持っており、ガラガラヘビのように尾を振って音を立てることで敵を威嚇するのだ(警戒音を持っていることは、確かにこの動物が無造作に攻撃してよい獲物ではないことを示している)。小野蘭山『本草綱目啓蒙』で、「怒ルトキハ刺皆上立シ、刺刺スレテガラガラト声アリ」と正確なところを記しているのは、すでにこの動物が我が国に持ち込まれ、見世物などにも出るようになっていたからである。

「アワワ……」
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あわわ
このように見てくると、ヒョウソという動物の特徴についての記述で、現実のヤマアラシにそぐわないのは、「木上にいる」ということくらいということになる(キノボリヤマアラシは新大陸に固有の動物である)。しかしこれとても、虎が草原にいるということから逆にこじつけられたものと解釈することができるし、上に指摘したサル・イメージの混入によって説明することもできる。すばしっこく狡猾な樹上生活者であるサルは、確かに虎の苦手とする獲物であるに違いない。そして、「鼠」の名で呼ばれる地上性齧歯類とサルのイメージをつなぐものとして、木鼠=リスのイメージがあった可能性もある。
結論として、ヒョウソとはヤマアラシ(部分的にはサル)のこと−−この動物を指した当時の現地語の音訳(もしかすると「豪猪」の名が成立する以前の)あたりから来た名前−−であったと考えるのは、決して無理のあることではないと思う。
そうして、先にも書いたように、後にハリネズミという動物をこのヒョウソについての伝聞と重ねた人があり、また、この獣が樹上に住まうものではないことから、伝承を「耳に跳ね入る」と改竄して合理化しようとした人があり、かくして「虎はハリネズミを恐れる」という巷説が完成した。このように考えることもできるのではないだろうか。

※「耳に跳ね入る」との説も、ヤマアラシと関係づけて考えることができなくはない。ヤマアラシの危険性を知らない捕食者が、獲物を牙でしとめようとして相手の背面突進を受けた場合、被害を受けるのはまず顔面であり、デリケートな鼻面や目を針から守ろうとして咄嗟に顔を背ければ、ハリネズミよりもずっと大柄なこの動物の針は、敵の横面と耳を襲うことになるだろう。

2000.02.09. 最終推敲:2002.03.25.
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■ ゴビ砂漠の俗信 ■
− 舌禍のお守り −

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“HEDGEHOG”の r2_d2 さんから戴いた情報です。

「ミニュウのホームページ (MINEW's Home Page)」は、「単純に、質素に生きたい」をモットーとされる多趣味な自然愛好家、MINEWさんの個人ホームページ。盛り沢山な5つのセクションのうち、文と写真で綴る「思い出のアルバム」の部屋の中に、「南ゴビ 写真日記 1997/8」がある。MINEWさんがモンゴル・ゴビ砂漠に恐竜化石を掘りに行かれた折りの記録である。

このうち、発掘最終日である10日目(1997/08/16)の日記に、「謎のトゲトゲ物体」の項目がある。
化石をさがすMINEWさんが偶然目に止めた“変なもの”とは何か? 掲げられた大きな写真を見れば、ハリハリ好きの目には一目瞭然。ハリネズミだ。
ただし、中身抜きの皮だけであることは、ちょっと見にはわからない。ハリネズミの死骸が風化し、トゲトゲ付きの背中側の皮だけが残ったものらしい。

※ 砂漠地帯といえども死の世界ではないから、風化と言っても、皮以外の部分が失われるには、何らかのレベルでの生物作用が介在していると考えるのが妥当だろう。

現地の人によると、
「ゴビの言い伝えでは、ハリネズミのトゲを7本抜いて身につけていると 『悪口を言われない』『議論、口論に強くなる』 お守りになるんだよ。」
とのことで、MINEWさんも現地の人にならい、さっそく7本のハリをフィルムケースに収めたという。

ハリが舌禍のお守りになるのは、それが舌鋒の鋭さを連想させるからだろうが、ハリネズミのハリを舌の剣と関連づけた伝承や習俗は、ほかに知らない。興味深い情報である。

漢方で“蝟皮”が用いられるようになったのも、案外、こういった遺留物の拾得がきっかけだったのではないだろうか。
本当に純粋な“風化作用”によって皮だけが残ったのだとすれば、乾燥地帯に固有の現象とも考えられなくはないが、捕食者乃至屍食者の単なる食べ残しならば−−生きていようと死んでいようと、ハリネズミの背中にかぶりつく気になるほど豪快な獣がいるとは思えない−−、他地域でも見られないものではないだろう。
だとすれば、恐竜の化石−−“竜骨”の代わりにハリネズミの皮が見つかったことは、なかなか面白い偶然ではないだろうか。
1999.10.03. 最終推敲:1999.10.04.
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■ モロッコの俗信 ■

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 “Amulet Power”によれば,モロッコでは,邪眼 evil eye の破壊力も,ハリネズミのあご骨をネックレスとして身につけている子どもを傷つけることはできない,と信じられているという。
2004.04.23. 最終推敲:2004.04.23.
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