■ ことわざ・慣用句 ■
− ハリハリ男爵閣下 −
ハリネズミに関連することわざや慣用句は、残念ながら、我が国には存在しない。言うまでもなく、近年まで日本には棲息しなかった動物だからである。
他項に見た「ハリネズミ(のよう)になる」という表現がかろうじて慣用句に近いが,もともとが時代小説以外ではほとんど使い道のない言い回しで,ふつう,耳にする機会はもちろん,文字として目にする機会も,めったにない。
★ Too Trivial! ★一方、中華では古来ハリネズミを産したが,それにしては漢語の世界でもハリネズミは今一つ幅が利かないようだ。二字熟語については「ハリネズミの漢字」をご参照いただきたい。「語彙」や「蝟集」は,日常語ではないにせよ,死語化まではまだ当分の事実を要しそうなハリネズミ関連の熟語である。
トラもまた,日本には棲息しなかった動物だが,(漢籍系の成句だけではなく)ことわざや慣用句にも登場することは,注目に値する。「虎の子」「虎になる」「虎,狼より人の口恐ろし」など。
「とら」という和名そのものの起源は,朝鮮語にあるようだ。
また,中国のハリネズミことわざも皆無というわけではないので,これについては後でふれる。
英諺ではかろうじて数例,ハリネズミに関するものを挙げることができるが、最もよく知られるのは,「狐の百計,蝟鼠の一計」であろう。これについては西諺と民話を分けてそれぞれ項を設けるが,せっかくなので,ここでも見ておこう。
三省堂の『英語ことわざ辞典[新装版]』(大塚高信・高瀬省三 共編,1995.06.)には,The fox Knows many tricks but the hedgehog one great one.という用例が挙げられている。
(狐は多くの悪計を知っている,しかし針鼠は一つだけ大悪計を知っている)[16c.後期]
(p.164)
これについて、同辞典では、
「Multa novit vulpes, sed felis unum magnum(L. 狐は多くの事を知っている。しかし猫は一つの大きなこと(木に登ること)を知っている)に由来する。」
と解説し、日本の類諺として【三十六計逃げるにしかず】を挙げる。
しかし,アルキロコスによる十分に古い用例(紀元前8〜7世紀)が知られている以上、キツネとハリネズミのことわざが、キツネとネコのことわざを作り替えることによって二次的に成立したとするのは,やはり無理があるのではないか。このことわざそのままの民話が、トルコ文化の影響を強く受けたブルガリアと、イスラム圏に属するアルジェリアに伝わっていることは興味深い(ただし、アルジェリアの民話では、相手の動物はキツネではなくジャッカルになっている)。
このことわざの解釈に関して、「ハリネズミ族 vs.キツネ族」の註でふれたような後世の用例に従うならば,“キツネは獲物を狩るのに幾多の戦法をもつことを誇っているが、丸くなってしまったハリネズミに対しては(あるいは、樹上に逃げてしまったネコに対しては)なす術がない”という含意を見るべきであろう。
★ Too Trivial! ★『英語ことわざ辞典』には、このほかに2種類の英諺が記載されている。
小原秀雄によれば、日本でもヨーロッパでも、キツネはネコの捕食者であるという。広島県比和町立博物館の湯川仁氏からの聞き書きとして、「冬にはネコを襲うが、わりあいに容易にネコを捕えてしまうという。」と記している(『続日本野生動物記』中央公論社〈自然選書〉,1972.12.,p.75-6)。
なお,実際には,キツネの tricks の中には、丸くなったハリネズミへの対処法も,ちゃんと含まれている。
trick には、「悪計」のような強い訳語ではなく、「やり口」程度の語を当てることもできるのではないかと思う。辞書を見ると、trick の項には実にさまざまな訳語が載っているが、イメージの上では、ポール・サイモンの歌う "One Trick Pony" のような「芸」という語義ともつながるはずである。我が国でも、「多芸は無芸」、さらにはこれを寓話的に言いかえた「けら芸」などという言葉が使われていることを思い出されたい。Hedgehogs lodge among thorns because themselves are prickly.
(針鼠は自分がとげだらけなのでさんざしの中に住んでいる).[16c.後期]
(p.297)Trim up a hedgehog and he will look like a load.
(針鼠も飾り立てれば殿様のように見える).
Var. Deck a hedge-hog and he will seem a baron.
[17c.前期]【馬子にも衣装】
(p.649)★ Too Trivial! ★Trim up a hedgehog... の用例は、ハリネズミという動物のパッとしないイメージを暗示する。
後掲「マルタのことわざ」の執筆者,石垣幸雄氏は「ハリネズミも着飾れば殿様」と簡潔に訳す。「狐は百悪を,ハリネズミは一悪を知る」と並べて「各国に言う」としているから,英国以外でも言われるようだ。
英国の農地に広く見られる生け垣 hedge は、地域にもよるが、サンザシ thorn, hawthorn の樹を主体とするもの、あるいはサンザシにハシバミ hazel とリンボク blackthorn を混合したものが最も一般的であるという(三谷康之『事典 英文学の風景 −田園・自然−』凱風社,1994.02.)。サンザシやリンボクの枝にあるトゲは、生け垣として使われたときには明らかな利点となる。そして、hedgehog というその名のとおり、ハリネズミは生け垣に棲息する代表的な動物の一つとして知られている。
英国で生け垣が盛んに作られたのは、15〜16世紀の第一次農業革命、および18世紀半ば〜19世紀半ばの第二次農業革命の「囲い込み enclosure」の際だ。とはいえ,イソップ寓話に,生け垣から降りるときにイバラにつかまって痛い思いをし,そのイバラに文句を言うキツネの話をする話があるように,トゲトゲした生け垣が古い歴史をもつこともまた事実である。
上記用例の書き手が想定していたハリネズミの住処は、1本立ちのサンザシの樹か生け垣かわからないが、後者と考えても無理はないだろう。
Hedgehogs lodge among thorns... の日本での類諺としては、「蟹は甲に似せて穴を掘る」、あるいはもっとぴったりくるものとして「根性に似せて家を住まう(作る)」が挙げられよう。しかし、深読みするならば、thorn はバラ科サンザシ属の植物 hawthorn に限らず、トゲのある植物の総称(イバラと訳されることもある)であると同時に、比喩的には「苦痛を与えるもの,悩みの種」を表す言葉であり、prickly は「トゲトゲした」ということだから、この表現からは、「他人にトゲトゲと接する者は、とげとげしい世界に生きることになる」という教訓を読み取ることもできなくはない。
一方、ドイツ語圏では、という言い回しが知られている(小学館『独和大辞典』1985.01.)。
- Das passt wie der Igel zum Handtuch (zur Tuerklinke).
「(俗)それは全然ふさわしくない、それは全く適合しない」
(ニワトリ訳:ハリネズミが手ぬぐい(ドアの把手)に似合う程度には似合ってる)
(以下、「ニワトリ訳」「ニワトリ注」のついているものはすべて、語学に堪能な畏友ニワトリ氏の報告によるものである。なお、特殊なアクセント記号は省略されている)
cf.passen wie der Igel zum Handtuch / zur Tuerklinke : "to be completely out of place, not to fit at all, to be utterly inappropriate"また,
(German-English Dictionary of Idioms (Routledge 1995))
という記載例もあるが(博友社『独和大辞典』1958.06.)、上記の Handtuch とこの Handschuh はあまりにも似ているから、一方が他方から派生したものなのかもしれないとも考えられる。
- der passt dazu wie der Igel zum Handschuh.
「あいつは全くそれには不適任だ」
(ニワトリ訳:あいつはハリネズミが手袋に似合う程度にはそれに似合ってる)
以下の2つは、上掲の英独イディオム辞典に記載。「ポケットにハリネズミ」という言い回しは、普通に考えれば、ハリネズミの“財布の紐の固さ”のイメージによるものだろうが、「伝統的なイメージ」の項で示した「吝嗇(ケチ)」というイメージと直接関わるものとしても興味深い。
- einen Igel in der Tasche haben
(ニワトリ訳:ポッケにハリネズミが入ってる=「ケチだ」ということ)
to keep the purse-strings tight, to be tight-fisted
- sich wie ein Igel zusammenrollen
(ニワトリ訳:ハリネズミみたいに丸くなる)
to curl up like a hedgehog, to curl up into a ball
また、あえてうがった見方をすれば、
(1) ポケットにハリネズミ>手を入れると痛い>なかなか自分の懐に手を入れようとしない>なかなか自腹を切ろうとしない
(2) 英語の stingy(針をもった>いやらしい>しみったれた)に当たるようなイメージ連鎖がドイツ語圏にもある(あった)?
といった別の仮定も考えられなくはない(特に (2) の方は、ほとんど可能性のない仮説ではあろうが)。
イタリア半島の長靴がけつまずいた小石のような位置にあるシチリア島,そのさらに南の沖合いに,マルタ島がある。ヨーロッパとアフリカ大陸をつなぐ海路の要衝として長い歴史を誇るこの島には、とのことわざが伝わるという(『世界の故事・名言・ことわざ・総解説』自由国民社,1999.12.「マルタのことわざ」(石垣幸雄)所収)。
- 「ハリネズミの子はハリネズミ」
日本の「蛙の子は蛙」と同趣だが,後掲の,アジア一帯に広く伝わる,親馬鹿を諷することわざも連想させる。
★ Too Trivial! ★ハリネズミが登場するものとして唯一知られるロシア語の言い回しも、この動物にとって、かなり不面目なものである。
ここで石垣氏が「ハリネズミは朝鮮産の亜種をのぞけば,ほとんどヨーロッパ特有の獣」と記しているのは,正鵠を得ているとはいえない。
ハリネズミ属 Erinaceus に話を限るならば概ねそのとおりだが,ハリネズミ亜科には他に3属を認める。マルタ島にハリネズミが棲息するなら,分布域からしておそらくアルジェリアハリネズミ Atelerix algirus かエチオピアハリネズミ Paraechinus aethiopicius であり,学名に見るように,いずれも Erinaceus とは異属である。
アルジェリアハリネズミは北アフリカとスペインから南仏にかけての地中海沿岸地域に分布し,ヨーロッパのものはアフリカから帰化したと考えられる。またエチオピアハリネズミはサハラ砂漠からアラビア半島まで,砂漠地帯に広く分布する。
某有名エジプト学者が持ち帰って同じW大学人間科学部の同僚である某生理心理学者に譲り渡したといわれるのは,おそらくこのエチオピアハリネズミと思われるが,まあ余人の知ったことではない。ただし,ハリネズミを持って帰っちゃうくらいなら,あの親父ほかに何を勝手に持ってきちゃってるかわかったもんじゃない,と勘ぐるのもまた人の勝手である。
ちなみに,ハリネズミ属には確かに朝鮮特有の「亜種」が存在するが (Erinaceus amurensis Koreensis),この「亜種」は中国北東部一帯に広く産するマンシュウハリネズミ Erinaceus amurensis という「種」に含まれるので,この朝鮮の「亜種」はアジアに産する唯一のハリネズミというわけでは無論ない。以上,例の如く『ハリネズミクラブ』によった。
道聴塗説をこととする身で言うのも我ながらすこぶる笑止だが,正しい語義用法を知らぬなら,専門外の術語は使わぬに越したことはない。こうして余計な恥を拾う。
ところで,この『総解説』の「ハリネズミの子はハリネズミ」は,挿し絵つきである。ちっちゃな子ハリをウンザリした顔で眺める親ハリ。親ハリの方は四肢が長すぎてあまりハリネズミらしくないのが,それはそれとして,なかなかチャーミングな親子ではある。
さて、次に、ヨーロッパの外に視界を広げると、アジアでは、西から東まで,広い範囲にわたって、カラスとハリネズミのイメージを組み合わせることで“親馬鹿”を諷するタイプのことわざが採録されているのが目を引く。遊牧民の間に伝えられていたものだろうか。
- ezhu yasno [ponyatno]
「容易に明らかだ[理解できる]」
(ニワトリ訳:ハリネズミでもわかる)
(研究社『露和辞典』1988.09.)
以下、出典の記載のないものは、いずれも大修館書店『世界ことわざ大辞典』(柴田武、谷川俊太郎、矢川澄子 編,1995.06.)に収録されていたものである。
- 「烏は我が子を『白い子』と呼び、針ネズミは『柔らかい子』と呼ぶ」
(カザフスタン)
cf.「ヤマアラシがその子どもに言う『おお、ビロードの(ような肌の)子よ!』」
(アフガニスタン)(『世界ことわざ大辞典』のほか,前掲『世界の故事・名言・ことわざ・総解説』中「イラン・アフガニスタンのことわざ」(縄田鉄男)にも所収)
- 「烏は(言う)うちの子は真っ白、ハリネズミは(言う)うちの子は柔らか」
(ウイグル族)
- 「黒いカラスは自分の子を白いと思い、トゲトゲ針ネズミは自分の子をふかふかだと思う」
(ブリャート)
- 「針鼠もわが子の針は柔らかいと思う」
(朝鮮)★ Too Trivial! ★アフガニスタンのヤマアラシの類諺を除くと、カラスの対句を欠いているのは、唯一、朝鮮のものだけである。これについては,原語の音写と、より厳密な訳を挙げておこう。
カラスの生まれたばかりのヒナの体色は何色だろうか? 生後すぐのハリネズミがトゲトゲしていないことはよく知られている。だとすれば、「親馬鹿」と呼ばれる親たちが見ているものは、一概に幻想、妄想とばかりも言い切れるまい。親とは結局、その子の無垢で純粋で可能性そのものでもあった時期の姿を、誰よりもよく知っている、あまりにも知りすぎている人たちなのだ。そこにこのことわざの深さを見るのは、うがちすぎだろうか。
なお,ブリャートは,アルタイ語族モンゴル語群に属するシベリアの牧畜民族。
朝鮮では、上の原形から、他地域とは違ったタイプのことわざも生まれている。
- Goseumdochi-do je saekki-ga ham-ham-hada-go handa
コスムドチド チェ セッキガ ハママダゴ ハンダ
「はりねずみも自分の子どもの毛は滑らかでしっとりしているという、自分の子どもは誰でもかわいいものだ、親はみな親ばか」
(角川書店『朝鮮語大辞典』1986.02. <情報提供:ニワトリ氏)
- Goseumdochi-do je saekki-ga ham-ham-hada-myeon joa-handa
コスムドチド チェ セッキガ ハママダミョン チョーアハンダ
「はりねずみも自分の子どもの毛が滑らかでしっとりしていると言えば喜ぶ、到底褒められるようなものでなくても褒めてやれば喜ぶ」
(同上)
★ Too Trivial! ★朝鮮半島で知られるもう一種類のことわざは、他項で紹介した、ハリネズミが果物を自分の針に刺してねぐらに持ち帰るというヨーロッパの伝承を連想させる。ただし,その意味するところは,まったく反対である。
上記2つのうち、後者と全く同じことわざが、民衆書林・三修社『エッセンス韓日辞典』1983.にも載っているが、ニワトリ氏によれば、角川の訳の方が原語に忠実であったとのこと。
同じくニワトリ氏の解説によれば、これらのことわざにある ham-ham-hada という言葉は典型的な擬態語で、「ハムハムしてる」、漢文調なら「ハムハムたり」といったところであるそうだ。
- Goseumdochi oe (oi) geolmeoji-deut (tta ji-deut)
コスムドチ ウェー(オイ) コルモジドゥッ(タ ジドゥッ)
「はりねずみがきゅうりを背負うように(もぎ取って背負うように),多額の借金があること」(角川書店『朝鮮語大辞典』1986.02.
<情報提供:ニワトリ氏。民衆書林・三修社『エッセンス韓日辞典』1983. にも同じ諺の記載がある)★ Too Trivial! ★『朝鮮語大辞典』に記載のある3つのことわざは、韓国・北朝鮮の大きな国語辞典の多くが載せているというから、わりによく知られたものなのだろう。
1971年5月刊の「玉川新百科 9 動物」では、ハリネズミについて、「日本には野生しないが、ウラジオストックや北鮮には〈チョウセンハリネズミ Erinaceus c. koreensis〉というのが住み、……」としている。
しかし現在は、中国から朝鮮半島にかけて分布するものは「マンシュウハリネズミ Erinaceus amurensis 」としてヨーロッパ南東部の Erinaceus c.(= concolor) とは別に種を立て,韓国などに分布する亜種は Erinaceus a. Koreensis と呼ばれているようだ(『ハリネズミクラブ』による)。
そのほかでは、こんなものもある。
同辞典の解説によれば,「ハリネズミでも一緒に暮らす友だちがいるからには,まして人間に友だちがいないはずがないという謂」(ニワトリ訳)とのこと。
- Goseumdochi-do sal dongmu-ga itta
(ニワトリ訳:ハリネズミにも暮らす仲間がいる)(語文閣『ウリマル クンサジョン Uri-mal Keun Sajeon』 Seoul, 1991.12-92.02)
(ニワトリ注:国語大辞典を固有語でいうとこうなる。日本語ならさしずめ、「くにことばおお辞典」)
ハリネズミの母親が子どもを引き連れて歩くところから生まれたイメージだろうか。
次に、中国に目を転じよう。
「○○にかけて××と解く。その心は……」という,日本にもあった謎かけが,ことわざになっているようなものか。
- 餓漢子捉住個胖刺wei
E4 han4zi zhuo1zhu4 ge pang4 ci4wei
ウー ハンツ チュオチュー カ パン ツーウェイ(weiは「[オ胃]」)
「[歇]腹のすいた男が太ったハリネズミをつかまえた。(転)手に余るが捨てるのも惜しい。」
*(ニワトリ注)歇後語(シエホウユ)というのは、前半がなぞかけ、後半がなぞ解きになった形の諺のことで、ふつう後半は省略され、また語呂合わせが行われることもある。
(光生館『現代中国語辞典』1982.03.)
★ Too Trivial! ★
意味するところは異なるが、ここでは「鶏肋」という言葉(ニワトリのあばら骨。大して役には立たないが捨てるに惜しいもの)が思い出される。これは、三国時代、漢中を制圧した魏の曹操が、蜀の劉備を攻めあぐねて吐いた言葉である。実際には“役に立たない”から攻めようとしなかったのではなくて、“手に余った”のが本当の所だから、曹操の負け惜しみの強い性格を割り引いて解釈すれば−−彼はこの謎かけを解いて自分の意を悟った部下の楊修を憎み、結局は言いがかりをつけて殺してしまう−−むしろこの状況には、「手に余るが捨てるのも惜しい」という上の歇後語の方がふさわしいと言える。
「[オ胃]起」「[オ胃]縮」については、漢字の項でもふれた。
- [オ胃]毛而起
wei4mao2 er2 qi3
「[成]ハリネズミが毛を立てる。(転)多くのものが一時に現れるたとえ。」(角川書店『中国語大辞典』1994.03.
<情報提供:ニワトリ氏)
- [オ胃]縮蠖屈 wei4 suo1 huo4 qu1 「[成]ハリネズミのように身を縮め、シャクトリムシのように体を折り曲げる;驚き恐れ身を縮めるさま。」
(同上)
アフリカのハリネズミにまつわることわざについては、ほとんど知られていない。唯一、西アフリカはブルキナファソのモシ族に伝わる、以下のものが挙げられるのみである。これについては、『世界ことわざ大辞典』のほか、『歴博フォーラム 動物と人間の文化誌』(国立歴史民俗博物館 編,吉川弘文堂,1997.8.)所収の「言語表象における動物の寓意」という論文(川田順造)中にも記載がある(p.154)。
- 「ヤマアラシが手に入らなければ、ハリネズミでも間に合う」(=工夫次第で何とかなる)
最後に、アラブ古典に見られる、
という言い回しを挙げておこう(『世界ことわざ大辞典』)。
- 「ハリネズミの夜を過ごす」(=夜を徹して何かをする、夜を眠らずに送る)
これは言うまでもなく、ハリネズミ(Anqad と呼ばれるらしい)が夜行性の動物であり、夜間に歩き回って餌をあさることから来たものであろう。どうやらこの点では、砂漠のハリネズミも、生け垣のハリネズミと変わらないらしい。
(1999.07.16. 最終推敲:2002.09.01.)
■ ハリネズミの日 ■
オランダに住む外洋客船の航海士,ダニエル・ブライヤン Daniel E. Blajan による園芸エッセイ集『マツボックリが笑う日』(翔泳社,1998.01.;原著 1997, Houghton Mifflin Company)は,原題を Foxgloves & Hedgehog Days という。「キツネノテブクロとハリネズミの日々」……西ヨーロッパの人々になら,これだけで即座に“園芸生活”が連想される仕掛けだ。
この本に収められたエッセイの一つに,「ハリネズミの日」がある。2月2日,冬眠からさめて穴を出たグラウンドホッグ(ウッドチャック)が,地面に落ちる自分の影で春の運気を占うといわれる日。アメリカで春の到来の印として祝われるこの「グラウンドホッグ・デイ」のひそみに習い,ブライヤン氏は「ヘッジホッグ・デイ」を毎年祝うことにしているのだという。
春先,庭の片隅に,殻つきのピーナッツを撒いておく。朝になって,ピーナッツが殻ごと消え去るのではなく,実だけが食べられて殻があたりに散乱していたら,それはハリネズミが冬眠から目覚めた証拠だ。「ハリネズミの日」の到来を宣言した筆者は,ハリネズミを愛好する仲間たちを招待する。山盛りのピーナッツを前に,毛布にくるまり,温かいワインを飲みながら,主役の登場を待つ。
やがて,カサコソと落ち葉を踏み分ける跫音を前触れに,潅木の茂みからハリネズミが顔を出す。息を殺して見守る観客たちの存在も知らぬげに,おそるべきテーブルマナーでピーナッツを貪り食ったハリネズミは,けたたましい音をたてて池の水を飲み,姿を消す。
このエッセイの中では,園芸家にとっては心強いハリネズミたちの習性が紹介され,筆者の子どものころの思い出が語られる。牛乳瓶を割ってミルクをくすねるハリネズミ親子を初めて見た6歳の筆者は,この無法者たちをてっきりトロール(北欧伝説に登場する怪物)かと思い込んだという。筆者はまた,昨今あちこちのペットショップでハリネズミが売られていることに憤慨している。
この本ではほかに,「失楽園」では夜中にうろつき回るがさつなハリネズミのたてる物音について,「ノクターン」では他の動物を威嚇するハリネズミのたてる玩具の蒸気機関車のような声について,それぞれ言及している。
ところで,「ハリネズミの日」を祝ったのは,実はブライヤン航海士が初めてではない。
ヨーロッパには古くから,ローマ人たちに起源を発する「ハリネズミの日」の習俗があった。北米(合衆国とカナダ)の「グラウンドホッグの日」は,これを懐かしんだ移民たちが,新大陸土着の動物に主役を置き換えて創始したものなのだ。
★ Too Trivial! ★ローマ人たちは,ハリネズミが冬眠することと,彼らがもっぱら夜に活動する動物であることを知っていた。もし2月2日にハリネズミが巣穴を出て,自分の影を眺めたら,その晩は月が明るく,その後6週間以上(つまり,早くとも3月の半ばまで)冬が続く。これは彼らが伝え始めた伝承だ。
本著は園芸雑誌「カントリー・リビング」に掲載された文章を中心に編まれたものだというが,オランダ人が勝手にアメリカのグラウンドホッグにプライオリティを譲り渡してしまっているのに気づいた英国人士たちの憤激はいかばかりであったか,想像に余りある。
この言い伝えはもともと,彼らの「フェブリュア祭 Februa」の一部を成すものでもあったらしい。Februa は2月15日に祝われたという祭りだから,実際には,2月2日の「ハリネズミの日」とは半月ばかりズレるのだが,このあたりの事情については不詳。
★ Too Trivial! ★後にローマ人たちの祝祭日はカトリックに取り込まれ,Februa は2月2日の聖燭節(キャンドルマス,聖マリアお潔めの祝日)となった。英国では,この置きかえは,5世紀に起こったといわれる。
ちなみに,今の2月 を表す月名 February とは,「Februa の月」ということだ。
ローマ人たちはユリウス・カエサルの時代以来,太陽暦を用いたが,2月15日の Februa は,それ以前の太陰暦の時代に,極寒の2月の15日,つまり満月の夜の祭りとして祝われたものの名残かもしれない。だとすれば,月と関連のある「ハリネズミの日」は,太陽暦導入以前には,やはり2月半ばに祝われたものであったとも考えられるが,未確認。
余談になるが,ローマ時代の年始は,春の第1月,March(戦勝の神 Mars の月)であった。したがって,February は年末に当たる。August(今の8月)は,他の偶数月と同様に,元は30日しかなかったのに,初代皇帝 Augustus(即位前の名は Octavianus )の名を申し受けたときに,むりやり1日増やして大の月(31日月)とされた。このとき,とばっちりを受けて日数を減らされたのが2月だったのは,やはり年末月であったためだろう。
また,同じ事情から,ローマ暦を受け継いだ諸国では,9〜12月を表す月名は(「第9月」〜「第12月」ではなく)「第7月」〜「第10月」を表す。たとえば,今の10月を表す October が,8本足のタコを表す octopus(octo = 8,pus = 足)と似ているのは,そういうわけである。August にしても,旧名は Sextilis(第6月)だった。
中国から日本に取り入れられた「二十四節気」のうちの1つ,「啓蟄(けいちつ)」は,「冬ごもりの虫が這い出てくる」という意味をもち(“啓”は「ひらく」,“蟄”は「蟄虫」すなわち「虫」),太陽暦の3月6日ごろに当たる。つまり,「ハリネズミの日」よりは後だが,長い二度寝を決め込んだハリネズミが再び巣穴から顔を出す日よりは前というわけだ。
キリスト教徒たちは,祭日そのものとともに,異教的な動物伝承もアレンジしてしまい,「ハリネズミの日」の伝承から,「聖燭節が好天なら,その年はもう一度冬の訪れがある」という伝承を作り上げた。
★ Too Trivial! ★カトリック教会の思惑に反して,「ハリネズミの天気予報」の伝承は,民衆に語り継がれて命脈を保ったばかりか,形を変えて新大陸に飛び火することになる。
聖燭節にはロウソク行列が行われ,1年間に使うロウソクが祓い清められるが,これは2月8日(または12月8日)に行われる日本の「針供養」の風習を連想させて興味深い。
イングランド南西部グローセスタシャーのヘントランド教会には,5世紀の聖人である聖ダブリシアス St. Doubricious のステンドグラスがあるが,その足もとには1匹のハリネズミの姿があるという。
人々の動物への愛着は,教会もこれを無視することができないほどの力をもっていたようだ。
アメリカやカナダで祝われる groundhog day(ウッドチャックの日)は,すでに記したように,ヨーロッパからの移民たちが持ち込んだものであり,この日 groundhog(ウッドチャック)が初めて穴を出て,もし地上に自分の影を見れば,さらに6週間の冬ごもりのために穴に引き返す,と伝えられた。
ただし,実際にウッドチャックの動向を1日中見張っているわけにはいかないので,一般には,ヨーロッパの場合と同様,この日が晴天なら冬はまだ終わらず,曇天なら春が近い,という気候占いの日となっている。
「ウッドチャックの日」は,「ハリネズミの日」と同じ2月2日だが,地方によっては2月14日(つまり St.Valentine's day と同じ日)に祝われるという。
★ Too Trivial! ★以上,hedgehog day については,主に Dawn Wrobel & Susan A. Brown "The Hedgehog" Howell Book House, 1997 によった。
St.Valentine's day も,ローマの祭りがキリスト教に取り込まれたものであり,269年ごろに殉教したとされるローマの司祭ヴァレンティヌスとは,本来は何の関係もない。この点で,St.Valentine's day と Candlemas とは近い関係にあるが,Christmas なども同様の起源をもつ。
愛する人に“チョコレートを”贈るという「バレンタイン・デー」が,メーカーの宣伝により1958年ごろから始まった日本独自の風習であることはよく知られているが,その日にドイツの菓子メーカーからハリネズミ型のチョコレートが売り出されている(他項参照)ことを考えると,風習や伝承の変形と存続の不思議を,つくづく考えさせられる。
(2002.07.12. 最終推敲:2002.08.31.)
■“ヘビ食い”として ■
マムシは、さっとむきをかえ、舌を出して、ハリネズミに向かってきました。坊やは、金きり声をあげて、目をつぶりました。が、そのときはやく、ハリネズミどんは、ヤリをいっぱい立てた、ハリエニシダのボールみたいにまるくなり、マムシのしっぽをおさえこんだのです。
なんども、なんども、マムシは、ハリネズミにかみつこうとしましたが、とがった針のかたまりにぶつかるだけです。こうして、ハリネズミは、マムシが死んでしまうまで、じっとかみついていました。
マダラ・メンドリは、ふるえおののきながら、ハリネズミのそばまでやってきました。
「ハリネズミさん、あなた、あたしのいのちをすくってくださったのね。」と、マダラはいいました。
「たいしたことじゃない。気にせんでください。」と、ハリネズミはけんそんして、いいました。
『グレイ・ラビットのおはなし』
独和辞典によれば、ドイツ語で「ハリネズミ」を意味する "Igel"(イーゲル)という語の原義は、「ヘビを食む者」であるという。
フランスの動物ジャーナリスト、ロビーは、『動物の変わりものたち』(八坂書房,1988.06.;原著 1968.)の中で、ハリネズミがクサリヘビの駆除に役立っていることにふれた後で、「事実、ハリネズミは我々を驚かすことをこれで終りにしたわけではない。クサリヘビの毒に対する抵抗力については大して知られていないし、……」と記しているし、英国の童話作家、アリソン・アトリーも、『グレイ・ラビットのおはなし』シリーズの第4話「ハリネズミのファジー坊やのおはなし」の中で、ハリネズミにマムシ退治をさせている(引用は岩波書店の岩波少年文庫版からで、石井桃子・中川李枝子 訳,1995.06.,p.139.)。なお、ブリテン諸島に棲息する唯一の毒ヘビは adder で、マムシと訳されることもあるが、正確にはクサリヘビである。
どうやらヨーロッパには、「ハリネズミはヘビの天敵」,さらには,「ハリネズミの身体には,ヘビ毒に対する(さらには毒全般に対する)耐性がある」というイメージがあったようだ。古くは「フィシオログス」に,ハリネズミとヘビは敵同士だという記事があるという(「“果物泥棒”として」の項参照)。事実、昆虫やナメクジばかりではなく、トカゲやカエルなどの爬虫類・両生類も捕食するハリネズミは、ヘビ類に対してもまったく分け隔てはしない。
「伝統的なイメージ」の項の【中世ヨーロッパ】で引用したハインツ=モーア『西洋シンボル事典』の記事によれば,「ヘビの狩人」のイメージから,ハリネズミは「悪魔の克服」のシンボルとなり,マリアや幼児イエスと一緒に絵画に描かれることもあったという。「“果物泥棒”として」の項でふれたように,ハリネズミが一方では,人の魂を奪い去る悪魔のシンボルとされたことを考えると(ハインツ=モーアはこちらのイメージについては知らなかったようだが),このことはなかなか面白い。
しかし、特にハリネズミがヘビの天敵として強く印象づけられているのは,ヘビの武器が鋭い牙であるのに対して、ハリネズミの他の動物に対する(おそらく唯一の)強みが「(一旦防御態勢に入ってしまえば)かみつくにかみつけない」という一点にあるせいでもあったのではないだろうか。ヘビの牙の何百倍以上ものハリ(ヘビの牙よりずっと無害なものではあるが)をもつハリネズミは,興奮するとヘビのお株を奪うような,シュウシュウという呟きさえもらす。
実際問題としては、ハリネズミとて,その鼻面や前肢に牙を突き立てられることを恐れないわけにはいかないはずなのだが。
★ Too Trivial! ★「ハリネズミは毒に強い」という伝承は,現実的な裏づけを,どの程度もつのだろうか。
スラトコフ『北の森の十二か月』(福音館書店,1997.10.)中の「ハリネズミとクサリヘビ」では,ハリネズミとクサリヘビの戦う様子が描かれる。ハリネズミに反撃するクサリヘビは,「からだじゅうに針がささり、口は血だらけだ。」と描写されているから,確かにヘビを捕食する際にも,ハリネズミのハリは役立っているらしい。
たとえば,『ハリネズミ・トントが教えてくれたこと』では,あるページで,「いろんな種類の毒にハリネズミは免えきをもっている」と記している。ハリネズミが実際に,毒への耐性を持っているらしいというテクストを,どこかで見たような気がするので,また見つけることができれば,本項に書き添えておきたい。
(2000.01.21. 最終推敲:2004.03.29.)
■“瓜盗人”として ■
「ことわざ」の項でふれたように,朝鮮には「ハリネズミが瓜(胡瓜)を背負ったように(借金を背負い込む)」という慣用句がある。
これを裏付けるように,内田亨監修『谷津内田 動物分類名辞典』(中山書店,1972.02.)では,ハリネズミの項に,「朝鮮では kosundotti といい夜出てきてマクワウリを食す.」とわざわざ記している。
古くは小野蘭山『本草綱目啓蒙』に,「偸瓜〓(〓は“虫或”)」というハリネズミの異名が『食物本草』から引かれている。偸は偸盗(ちゅうとう)の偸で,無論「偸瓜」は瓜を盗むということだろう。
ハリネズミが(果物ではなく)瓜を盗るというイメージは,いぬかわの知る限り,東アジアに特有のものだ。
しかし,『ハリネズミクラブ』によれば,アフリカ北西部やヨーロッパ南西部に分布するアルジェリアハリネズミ(のうち,スペインに棲息するもの?)は「少量の野菜などの植物を採食することが知られている」し,イランからパキスタンにかけて分布するブラントハリネズミも,「野生下では地域によってはメロンなどの果物も、動物質の食べ物の他に食べることが知られている」。メロンも胡瓜やマクワウリと同じ,ウリ科の果実だ。
魯迅の名作『故郷』に登場する少年閏土(ルントウ)は,「私」(少年のころの作者)に向かって,自分はハリネズミや「チャー」(魯迅による想像上の動物とされる)にとられないよう,スイカの番をするのだ,と語る。『故郷』は,ある出版社の中学3年の国語の教科書に,かなり以前から教材として採用されているから,日本で最も多人数の目にふれている「はりねずみ」は,実はこの『故郷』に登場するスイカ泥棒君かもしれない。
★ Too Trivial! ★
ハリネズミが,農作物につく虫ばかりではなく,作物そのものをも失敬することがあるのは,『ハリネズミクラブ』の記述を見ても確かだろう。グリムの「ウサギとハリネズミ」でも,ハリネズミは,いつも食べているのですっかり自分のものと思い込んでいるカブの出来具合を見に出かけたときに,同じくキャベツを見回りに来たウサギと出逢っている。(2001.09.26. 最終推敲:2002.12.10.)
■“ミルク泥棒”として ■
ヨーロッパには、ハリネズミは夜、乳牛の乳房からミルクを盗んでいくという伝承もある。
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これも、「ヘビの天敵」というイメージ同様、この動物の実際のふるまいと関係がある。英国やドイツでは、夜、ミルクの皿を外に出しておくと、ハリネズミが飲みにくるのだ(ただし、英国の自称スノッブ・ハリネズミ、ハリエット嬢が指摘するように、そのままの濃さの牛乳を摂取することは、ハリネズミの体にはよくないのだが)。迷信深い中世の人が、深夜や夜明け前に、食糧となる虫や小動物を求めて夜中に歩き回るハリネズミを、牛舎の近くで見かけたとしたら、牛乳をくすねに来たのだと勘違いしたとしても不思議はない。
アトリーの『グレイ・ラビットのおはなし』シリーズでは、このイメージも作品の中にしっかり織り込まれでいる。シリーズ中に登場するハリネズミ氏の職業は、牛乳屋なのだ。
興味深いのことに、魔女、そして妖精たちも、牛乳泥棒として汚名を着せられている。魔女狩りの際、捕らえられた“魔女”の罪状には、しばしば隣人の持ち物である牝牛のミルクの出を悪くしたりミルクを盗んだりしたことが含まれていたし、英国やアイルランドの妖精たちも、ミルク泥棒として悪名を馳せていた。そして、他項でふれるように、英国ではしばしば、妖精たちはハリネズミの姿をとって現れると考えられていたのである。
妖精と魔女の間には、異教の神/悪魔を介した類縁関係が考えられるが、魔女とハリネズミの間にも,おそらく何らかのイメージ的なつながりがあったのではないかと想像される。他項でふれたシェイクスピアの『マクベス』を想起されたい。また,栗原成郎『ロシア民俗夜話』(丸善〈丸善ライブラリー 190〉)によれば、「魔女はさまざまな方法を用いて他人の牝牛の乳を奪う。夜、猫、豚、鼬、狐などに化けて他人の家畜小屋にはいりこみ、直接牝牛の乳房から吸ったり、呪術により綱や丸太の柱を伝って牛乳が自分の手元に流れ出るようにする。」とのことだが、おそらくロシア以外にも、魔女が動物に化けて乳を盗みに来るという伝承はあったのではないだろうか。そして、その中にハリネズミが含まれていたとしても、不思議はないように思う。
考えるに,そもそも,神話や伝説,とりわけ,妖精,妖怪,そして魔女といった怪異を主人公とするものは,(いみじくもカフカが超短篇『プロメトイス』の中で伝説について語っている言葉のとおり),人間には説明のできない不可思議不可解な現象の説明原理として創案されたものであろうと考えられる。
いつもは出るミルクが,ある日に限って出てくれないという事態は,まさに不可解な現象であり,ミルクを「奪い去ったもの」として想定される超自然の存在は,それが腹立たしい現象であるがゆえに(人は,既得のものと思われた自らの権益が思いがけず侵されたとき,何より苛立ちをおぼえるものである),人に対して悪意をもつ何かでなければならなかった。それが,ミルクを牛の体内から掠め取る妖精や悪魔だったのだろう。
★ Too Trivial! ★18世紀に『動物誌』を著した英国のゴールドスミスは、「また牛の乳を吸って乳首を傷つけるともいわれているが、なにせ口が小さいことだから、この告発からは無実だとの証しがたつだろう。」と記し、さらに果物泥棒の汚名も冤罪らしいとしているが、その後で、台所に置いてあった壺から、ハリネズミに肉を盗まれたという、知人の文章を紹介している。
ヨタカという鳥も,無実の罪を着せられた一つである。
この鳥は,大口を開けて夜空を飛び,飛んでいる昆虫類を呑み込む習性をもつが,小森厚『どうぶつ学名散策』(東京書籍〔東京選書89〕,1983.07.)によれば,ローマでは,この大きな口で,ヤギの乳を盗み飲むと思われていた。
ヨタカ類は属名を「カプリムルグス caprimulgus」といい,ヨーロッパのものは Caprimulgus europaeus ,日本のものは Caprimulgus indicus というが(シーボルト Siebold, Philipp Franz Balthazar von, 1796-1866 の『日本動物誌 Fauna Japonica』には,「カプリムルグス・ヨタカ Caprimulgus jotaka 」として記載されている),この属名は,ラテン語の「カプラ capra (雌ヤギ)」と「ムルゲーオ mulgeo (乳を飲む)」からきたもので,「ヤギの乳を飲む者」を意味する。
“Wild Bird Trading
Collection”より
by Hirohiko Sano化け物じみた?ヨタカの口
(C) Shiretoko Site抱卵中,巣に近づいた人
を威嚇するヨタカ
(C) Jiro Murayama
同様に、ハリネズミは、卵泥棒であるとも考えられていた(このイメージも、『グレイ・ラビットのおはなし』の中で流用されている)が、こちらは実際にありそうな話である。
『旅するジプシーの人類学』のジュディス・オークリーも、他の研究者の論文(ハリソン・マシューズ,1968)によって、民話の世界のハリネズミが「卵を盗み、寝そべっている牛からミルクを吸い、また、リンゴをとげでつきさして巣に持ち帰ったりする」というイメージについてふれている。
★ Too Trivial! ★
D.W.マクドナルド編「動物大百科 6 有袋類ほか」(平凡社,邦訳1986.11.)では,自分の頭部ほどもある卵を,殻ごと味見しようとしているように見える,間抜けなナミハリネズミの写真を見ることができる。
解説文は,「このナミハリネズミはそれほど熱心に卵を食べようとしているようには見えないが,」と前置きした上で,「かれらは,手にはいるときは鳥の卵やヒナもとる.」と説明する。
(2000.01.21. 最終推敲:2004.05.07.)