ひとりごと99年6月分  


このページは私の日記のようなものです。私の感じること、周りで起こったことを書きます。


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6.30

 今回の指揮者アラン・ギルバートさんは将来絶対にメジャーなオケで大活躍される方だと思います。とても自然で音楽的です。今日私の書いたのを読んで明日のチケットを買われたという方からメールをいただきました。自信を持って良い演奏会になりそうだと言えます。

 2日ほど前にある方からヴァイオリンの選び方について何を注意したら良いかというご質問がありました。お返事が遅れたことをお詫びしつつ、ここでお答えします。まず予算について、そして何に注意したら良いかについてお答えします。
 まず予算についてですが、安いヴァイオリンにはプレスされた大量生産品と手工の楽器の2種類があります。プレスされた品というのは安いのですが、私としては質的にお薦めしたくありません。私が自分の生徒に紹介するものの場合安い物はセットで8万位くらいです。ヴァイオリンは予算以上にその時買える楽器が限られているので選択の範囲が狭いのです。やはり先生を通してお買いになることをお薦めします。
 注意することについては、前にも書いたことがありますが、予算の配分が難しいです。どういうことかと言うと、たとえば50万の予算だとしてヴァイオリンと弓の値段のバランスの取り方が難しいということです。安い楽器を(皆様にとっては安いと言えないとお感じになるでしょうが、50万位までの場合について言っています。)買う場合はヴァイオリンと弓にバランスをとって予算を配分するより、どちらかに重点をおいて買ったほうが得策だと思います。一般的には弓に重点を置いたほうが良いと思います。またサイレント・ヴァイオリンについては私は全然価値を認めていません。
 一般的なことについては以上の通りですが、それ以上は信頼できる方に相談なさるほうが良いでしょう。私に相談されてもその方がどういう方で何に価値を見いだされる方なのか分からないのでは、お答えのしようがないのです。


6.29

 今日は最初に須川展也さんのソロによる西村朗さん作曲のサキソフォーン協奏曲から練習しました。伴奏していても楽しめるなかなかの聞き物だと思います。ギルバートさんはとても経験豊富なようで、練習の仕方がとても上手いです。全体の時間を考えて単なる時間つぶしのような練習は一つもしません。
 2番目に浜田理恵さんのソプラノソロの入るメシアンの「ミの詩」をやりました。9つの短い曲からなる組曲です。3曲目はコープランドの「静かな都市」です。私は曲降りです。今回はハイドン、西村、コープランド、メシアンというプロで、とても変わっています。これらの曲を暗譜しているようで、その勉強量たるや半端なものではなさそうです。
 明日もう一日練習があってあさってにオペラシティーで本番です。


6.28

 今日はアラン・ギルバートさんの練習初日でした。指揮者として当然とはいえ、いろいろの指揮者を見るにつけてこのように音楽に対するイメージをはっきり持っていて、更に音のイメージもしっかり持っている人は大変少ないです。ギルバートさんのように音楽のしっかりある人の場合いろいろ注文をつけられてもやっていてもっともだと思わされます。指揮科の学生さんなどこういう人の注意の仕方だけまねをするのではなく、音楽の深さをちゃんと理解して下さい。今日は練習していてきつい事はきついのですが、練習の効果がちゃんと上がっていくので、練習していて気持ちが良いです。
 多くの指揮者を見ていると同じオケでも指揮者が違うと出来上がりはまるで違います。ですが指揮者の違いというのは演奏会で聴くだけではなかなか見えてきません。たとえばオケは弾き間違えるとすぐ分かりますが、指揮の振り間違いは見ているだけでは多分分からないでしょう。指揮のせいでオケが乱れてもそれは表向き出てこないのです。ですから指揮に責任があってもそれをちゃんと指摘している批評にはほとんどお目にかかれないわけです。
 それはともかくとして、今回はなかなか面白い演奏会になりそうで、私も期待しています。


6.27

 今年前半の定期も昨日のC定期で終わり、これからはいつも通りの演奏旅行のシーズンに入ります。この次はオペラシティーでの演奏会ですから演奏旅行ではありませんが。去年あたりから演奏旅行に定期の曲目をもっていくケースが多くなっています。これは別に悪いことだとは思いませんが、現状を見ていると定期特にB定期の地味な曲目を持っていくとどうもお客さんの方が面食らっているように感じられるのです。この前の人魚姫もそうです。横浜でさえ今一つ盛り上がらない感じがしたのですが、これは私だけの感じなのでしょうか。もちろん大変喜んで下さる方がいるのは承知していますが、一般的な反応という意味では今一つなのです。
 その意味では通の方と一般的なお客様との差がどんどん開いていっているように思います。もちろん以前のような演奏旅行モードが良いと言っているわけではありません。今やっているのと以前の入門者向けとの丁度中間を狙うようなところが良いのではないかというのが私の個人的意見です。今のやり方の良いところは定期でしか聴くことの出来ない大指揮者の本番を地方でも聴くことが出来ることです。テレビで聞く以上に本番を聴くことが大きなプラスだからです。この曲目選びは今ある意味で試行錯誤の部分があるのだろうと想像しています。(どの程度の曲まで受け入れられるかを見ているのではないかなと想像しています。)


6.26

 昨日10万人を突破しましたが、99,999と100,001を引き当てたという方から今日メールをいただきました。折角のご縁ですからこの方にも記念品を差し上げることに致しました。
 この方のメールの中にいくつか面白い項目があります。
1.初日と2日目の演奏の違い
どちらが良いという傾向があるかというご質問ですが、これは判断している私がオケの中で弾いているので、いい加減なのかも知れませんがノリは初日の方が良いかも知れません。全体の出来は良く分かりませんが、これは場合によって違います。あるときは初日の方が集中して良かったのに2日目にはだれてしまい、あるときは2日目の方が肩から力が抜けて良い演奏だったりするからです。これはその時の運です。
2.最近のN響の音色について
N響の音にはもう少しVIVIDな感じがあると良いというご指摘ですが、それは本当だと思います。これはN響の最も大きな課題の1つでしょう。上手いだけではなく楽しいということの方が大切だということです。N響の音は重量感があるが、しなやかさや伸びを欠くというのは私たちの合わせるということへの意識の持ち方に原因があるのでしょう。合わせるということには時間的なタイミングだけでなく、音色リズム感なども入るのですが、まだ時間的なタイミングの方に捕らわれ過ぎているように思います。つまりタイミングは合っているのだが、表情が一緒になっていないので平坦に聞こえるということです。
3.アマチュアオケの問題点
指揮者ばかりを気にしていて自発性に欠ける。妙に合わせることにこだわっている。というのは私も賛成です。音の出だしなどは指揮者の合図に合わせなければいけませんが、各パートリーダーはお互い同士で弦楽四重奏のように合わせなければいけません。(お互いに見合うだけでもかなり違います。)また特定の音だけ妙に合わせようとするのはおかしいということですが、音程が合わないのは基本的に技術不足なのですから常に少しづつ音程を良くしようと心がけていくしか方法がないのです。いつも正確に同じ音が出せるなら音を合わせることに燃えても良いですが、毎回違う音しか出せないのにお互いに合わせてみてもあまりプラスには作用しません。

◎この方のメールの中に今までの演奏で印象的だったものが挙げられているのですが、それを読んでいて指揮者の資質ということを考えさせられました。私が弾いていて感激する指揮者というのは皆弾いているときに気持ちに何かを燃え上がらせてくれるのです。名指揮者は皆ごく普通の表情で(感じているフリなどしないで)棒を振っているのに、その雰囲気から音楽の表情が見ているだけで浮かび上がってくるのです。指揮を志す人は是非こういう大家の練習をちゃんと見て欲しいです。(大家の練習を初めから最後まで見学している人を見たケースはほとんどありません。もっともN響は練習を公開していませんが。でも不思議なことに大したことのない人の時の方が見ている人が多かったりするのです。)そしてオケに何を言って何を言わないか(これはこの前も書きましたが自分の感じたことを全部言って見せても良い結果は出ません。)、練習で何を注意しているか(抽象的な言い方をする場合はほとんどありません。イメージをどう具体的に伝えられるかが勝負なのです。)など参考になることは山ほどあるはずです。

 今日はC定期2日目でした。私の印象は昨日と変わりませんが、お客様の拍手はすごかったです。土曜日の午後の演奏会は普段の夜の演奏会とはお客様の「のり」がちょっと違う感じです。いい悪いではなくこういうノリで演奏会を楽しむのも大切なことだなと考えさせられました。でもステージの上と客席では少し落差がありました。


6.25

 今日はまず皆様にお礼を申し上げます。昨日10万人目の方に記念品を差し上げると書きましたが、なんと今日夜カウント数を見たら10万を突破していました。そして10万人目をヒットされた方からメールをいただきました。大変沢山の方に読んでいただいていること本当に有難く皆様に感謝いたします。ありがとうございました。

 今日はC定期の初日です。本番を終わってみると大勝さんはとてものっていて、練習の時とは別人のように感じました。昨日も書いたように静かに歌わせるところをとても大切にされる方で、バラの騎士でもゆっくりしたところは特別の思い入れがあるという事が表情からも分かります。スウェーデンのマルメの音楽監督である大勝さんらしくスウェーデンの作曲家ステンハンマルの曲を1曲目に持ってきています。交響的序曲というよりは歌劇の序曲という感じの曲です。2曲目はチョーリャン・リンさんのソロによるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲でした。早いところは他に例を見ないくらい速さで弾かれています。アンコールにはバッハの無伴奏組曲第3番のガヴォットとロンドを弾かれました。最後にR.シュトラウスのバラの騎士です。普通シュトラウスの曲をメインに持ってくるときは英雄の生涯とかツァラトゥストラになるのですが、バラの騎士をわざわざ選ばれたのはどういう意図があるのか私も知りたいです。練習の時と違って曲頭の何小節でもすごい思い入れとともに始まりました。お客様にもとても受けているように感じました。
 ただ惜しむらくは練習の時の約束と違いすぎて、私たちが面食らってしまっていることです。(出来るだけついていくように頑張ったのですが、おいてきぼりを食らいました。)明日は衛星放送のライブで放映されるそうです。
 今月の定期を通して感じるのは最近の日本人の若手指揮者はちょっと前までとはかなり変わってきているということです。音楽的イメージの点ではとてもしっかりしたものを持っているのですが、オケの特性が分かっていないのも共通しています。どういうことかと言うとオケというのは100人近くの人間の共同作業なのです。テンポを変えるにも100人の人が同時にテンポを変えるにはそれなりの慣性というものがありますから、指揮者にはその重さを受け止めて欲しいのです。今月の3人の指揮者はともにその点についてあまり理解されていないように感じました。棒を新しいテンポで動かせばオケがついてくるというものではありません。またメロディーにはそれにふさわしいテンポというものがあるのです。たしかにN響は慣性が重すぎるきらいはありますが、それにしてもテンポの変わり目は全体に不自然です。ですからオケの中でお互いにお見合いをしているような具合になるのです。(そうしないと合わなくなるから。それにそうやってお互いに帳じりを合わせるからそれほどずれないですむのです。)
 楽屋でも指揮者が何かをやろうとしていることは皆すごく分かるのですが、何をどうしたいのかということが我々に伝わってこないので、どう協力したら良いのか分からないという話が出ていました。


6.24

 私のホームページもそろそろ10万人になろうとしています。10万人目をヒットされた方は画面のスナップショットを添えてメールをいただけないでしょうか。記念にN響グッズを送らせていただきます。準備不足だったので急なお知らせになりますが、私としても大変うれしいことですので、よろしくお願いします。

 今日はC定期の練習最終日でした。お互いにかなりペースの折り合いがついてきました。昨日書いたバラの騎士の初めの部分も分かるようになりました。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はさすがに素晴らしいです。ドロシー・ディレイ軍団特有の音色です。
 これは今月私が弾いた2つの定期で感じたことなのですが、お二人とも弱音の質感、イメージを大切にされてただハッタリを効かせるだけの演奏ではないのはとても素晴らしいです。そのことを認めた上で2点希望があります。それは指揮者は自分のイメージを楽員に伝えるときには具体的に言って欲しいということと、通し練習と小返しの練習の意味を考えて欲しいということです。
 第1点についてはその昔練習中に「そこはテレビのコマーシャルのように弾いて下さい。」と言った指揮者がいますが、そのような訳の分からないことを言われると我々としては最も困るのです。その人のイメージがどういうものだか想像できないからです。そこはピンクのようなイメージでと言われても困るのです。抽象的な表現は最低限にして欲しいのです。
 また第2点ですが練習をするときには途中で止まらずに弾く必要が絶対にあるのです。最低でも1楽章止まらずに弾くとその中から全体のペース配分が見えてきたり、曲の構成(クライマックスとそこに行く過程、クライマックスから引いて行く様子)が見えてくるのです。私たちも弾きながらそれをのみ込もうとしているのです。大したことでもないことで中断されると折角の緊張感が台無しにされるのです。今月私が弾いたお二人ともに音楽のイメージはすごく良いものを持っていらっしゃるのですが、練習の持って行き方のためにすごく損をしています。
 これは次元が全然違いますが、アマチュアオケの練習でも似たようなことを感じます。特にアマチュアの場合は止まらずに通して弾くということが第一条件ですが、いつまでたっても通して弾かせない人がいます。ゲネプロで初めて通して弾くのではダメなのです。部分的に弾けるということと全体を通して弾くことの間にはすごい差があるのです。たとえば速めのテンポで全体を弾かせたいと思うのなら、全曲を通してその速いテンポで弾いて何が問題になるかを浮き彫りにしなければいけないのです。(但しそれを隅から隅まで指摘しまくるのでは弾く方はやる気を無くしますから、オケの力を見抜いて必要なことだけを言うのでないとダメです。それこそが名指揮者の資質です。何を言うかと同時に何を言わないかもとても大切なのです。全体のバランスを欠いた注文をされると私たちは首をひねりながら弾くことになるのです。)

 昨日今日とテレビで盛んに放送されているので皆さんご存知だとは思いますが、小沢征爾さんがウィーン国立歌劇場に移られることになりました。
 もう一つベルリンから今日(23日)ベルリンフィルは新しい音楽監督をついに選んだというニュースが来ました。フィルハーモニーで楽員会議があり、全楽員の投票と話し合いの結果、アバドとの契約が切れる2002年シーズンからの新音楽監督に「サイモン・ラトル」を要請することに決定したそうです。ラトルはまだ44歳だそうです。若いですね。他の候補としてはバレンボイム、ヤンソンスがのぼっていたようです。(バレンボイムが最も有力視されていたようです。)
 世界的にも音楽界が動いているようです。


6.23

 今日は練習も2日目ですから、お互いにかなり馴れてきたという感じで練習も能率的に進みました。前回の上岡さんも今回の大勝さんもゆっくりした歌わせる部分にすごい思い入れがあるようで、二人ともこういう部分に半分以上の時間を使っています。ただ今回バラの騎士の初めの部分はどうもテンポの移り変わりが今一つよく分かりません。私だけかも知れませんが、私のところでは全体も合っていないように聞こえます。勢いを重視しているので合わないことを承知でやっているのでしょう。かなり速めのテンポなので、早めに食いつく感じで行かないと取り残されてしまいます。
 英雄の生涯やツァラトゥストラよりはこじんまりした曲ですが、曲想の変化や内容については決してひけを取らない名曲です。シュトラウスの曲は今年の11月にサヴァリッシュ先生が没後50周年記念で今の2曲を弾きます。残念ながらバラの騎士は弾きませんが。


6.22

 昨日はプロバイダー側の問題で、ホームページを置いてあるプロバイダーに接続できなかったので、アップロードできませんでした。

 今日からは大勝さんの練習が始まりました。曲目はステンハンマルの「エクセルシオール」、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、シュトラウスの「バラの騎士」です。バラの騎士から練習が始まりました。若い指揮者の場合N響の練習だとどうも張り切りすぎるという感じが強いです。前回も結局は張り切りすぎて空回りしている印象でしたし、今回も幾分その傾向があります。逆に以前の指揮者は自分のイメージをほとんど言わず、借りてきた猫みたいな練習をするケースが多かったのですが、それに比べればずっと良いと思います。少し空回りするくらいの方が練習の時はともかく本番は良いものになるでしょうから。


6.20

 今日は足利市民会館での演奏会でした。ここは以前はよく来たのですが最近はあまり来ていません。私が入団した当時からのホールで昔ながらの日本のホールの典型という感じの響きです。同じ曲でも会場が違うとまるで違う曲のように聞こえます。

 

 今日の演奏会は「親子のための演奏会」という触れ込みですが、プログラムを見るととても親子のためとはいえないような曲目ばかりです。これから年に1回の定期演奏会の初めにはあまりふさわしくないプログラムでした。もっとも来年はスヴェトラーノフ先生で来ることになっているようで、どんな曲で来るのかとても興味があります。今日は演奏会の前にプレ・トークのようなものが別棟の小ホールで指揮者とコントラバスの吉田さんの2人で行われたようです。
 昨日の横浜とは対照的な響きのホールで、こう毎回響きが違うと面食らいます。これで4連戦は終わり次は大勝さんのバラの騎士です。


6.19

 今日は横浜みなとみらいでの演奏会でした。ここは3月の末にきているので会場の写真はその時のものを再度載せます。

 

 今日弾いた感じではここは響きが分散していて他のパートが聴きにくいです。ゲネプロの時に弱音の時遠くに聞こえるという会場で聴いている人の声があり、結局普段の弾き方に戻ることになりました。私の日本の会場では今回のような指揮者の希望の弾き方では良く聞こえないだろうという心配が的中しました。今日のお客さんの反応を見ていると明日の足利での演奏会が心配です。今回ほとんど触れなかったミシェル・ベロフさんのプロコフィエフのピアノ協奏曲は今回のプロでは一番受けています。メンデルスゾーン、ツェムリンスキーのようなオケだけの曲より華やかな協奏曲の方が聴いていて楽しいのでしょう。今日の会場のピアノはあまり弾きよくないという話でした。

 明日はいよいよ今回4連戦の最後の足利の演奏会です。朝早く家を出ていくつもりです。


6.18

 今日は以前メールでご質問をいただいた件について書きます。それは「良い聴き方正しい聴き方とは何か?」ということです。
 以前私は「万人に通用する良い聴き方正しい聴き方というものはない。」ということを書いたと思いますが、結局はそういう事なのですがそれでは答えにならないと思うのでそれについて書きます。これはある意味では「万人に共通する良い弾き方正しい弾き方は何か?」ということと同じ質問だと思うのです。弾く側では悩んでいるのでは仕事にならないのでとにかく割り切らなければ行けないので、自分の今出来る範囲内で割り切ってしまうのです。いろいろな人の演奏を聴いて自分でも演奏していろいろやった結果が万人に共通する王道はないという結論なのです。Aという人にとって当然と思えることでもBという人には「?」でしかなかったり、同じ作曲家の作品でも人によってまるで違う解釈をしたりしています。弾く側は迷いがあるといけないので、自分の解釈こそが正しい、当然だというようなしゃべり方をしますが、そうしなければ演奏家は自分を支えられないのです。
 では聴く側はどうすれば良いのでしょうか。解釈にいろいろあるということを知るのなら、色々なCDや演奏会を聴けば分かるでしょう。ただ演奏に伴う細かい部分については聴くだけでは本当のところは分からないです。(私たちがピアノの演奏については本当のところが分からないのと同じです。)ただ逆に楽器のことが分かるということが良いことかどうかは疑問です。楽器特有の弾き方に捕らわれすぎて、本来の音楽的イメージが失われることも良くあるからです。(ある音形がその楽器にとってはとても弾きにくいため、たとえばテンポ通りに弾けないのが当然と思ってしまうということなど良くあります。)また音楽の評価で何を一番大切に思うかという根本的問題もあるのです。ある人は指が回ることを一番と思い、他の人は音が良いことを一番と思うというようなことです。弾く側では自分のやり方が正しいと思うので(思わないとやっていけないので)、指の回る人はそれを一番大事にしますし、指がそれほど器用に回らない人は良い音(これもまたとても難しいことで、何が良い音なのかということもなかなか答えにくいのです。)を出さなければ指だけ回ってもダメだと言います。これはある意味でその人の生き方と同じ問題ですから、簡単には結論を出せません。結局はその人が好きか嫌いかという次元の問題になってしまいます。
 その割には私が簡単に指揮者の批評をするではないかと言われるかも知れませんが、私もものすごい数の指揮者のもとで弾いていますから、10分も練習すればその人の技量や器など見えてしまいます。(自分がその指揮者にはるかに及ばない場合でも、その人がすごい音楽性がある場合その深さは分からなくてもすごいということはちゃんと分かります。)
 弾く側でもこれくらい色々な見方があるのですから、このページに私が書いていることは私の「寝言」でしかないのです。ただ私が言えることはたくさん演奏を聴いてその中から自分の好きなものを選んで、自分が何が好きか何が好きでないかを捕まえられるようになれば、自然にいろいろ見えてくると思います。(弾く側の言っていることが正しいという保証はありませんから、弾く側の話は話半分で聞くくらいで丁度良いのです。また自分の感想を言葉で表現できなくても少しも心配ありません。かえって言葉を使うことによって、その言葉のニュアンスに縛られてしまう危険性の方が大きいです。批評を呼んでいると言葉が独り歩きしていることが良くありますから。それにどんな演奏にも長所と短所がちゃんと両方あります。全然だめな演奏もなければ、全て良い演奏もありません。全てはバランス、価値観の問題です。)
 もちろんその中で多くの人に受け入れられる評価の基準というものはあります。ありますがそれこそがもっとも多くの問題を含んでいるのでここで一刀のもとに言えるほど簡単ではありません。言えるくらいなら誰も悩まないですから。
 結局答えになっていませんね。でもニュアンスくらいは分かっていただけますでしょうか。


6.17

 今日は定期2日目でした。今日はメンデルスゾーンの序奏は昨日とはまるで違うテンポで進んで行きました。こんなに違うと練習は一体なんのためにしているのか分かりません。練習の時のレクチャーは一体何だったのでしょうか。でも人魚姫になったら昨日と同じでした。テンポの変わり目とゆっくりなところは棒を見ていても音を聴いていても先が予想できません。(呼吸していても曲のテンポとなんの関係もない呼吸なので、音楽の進行の役に立っていません。)結局1曲目の初めだけ少し違ったけれど、全体の印象は昨日と全く同じです。(自分の考えている呼吸、テンポ、拍子感がオケに伝わらなければ、指揮者のイメージはオケに伝わらず、絵に描いた餅にしかならないのです。)

 本番が終わって変えるとき首都高が渋滞していて家に帰るのに1時間かかりました。空いていると30分位で帰れるのですが。

 今回の練習の時に掲示されていたのですが、シュタイン先生が本番中に倒れられたそうです。その本番はその場にいたほかの指揮者が引き続いて指揮をして無事に終わったそうですが、シュタイン先生は今年10月に予定されていますが大丈夫なのでしょうか。倒れられたのが2度目ということもありとても心配です。


6.16

 今日は定期初日です。昨日書いた心配は半分あたり、半分外れました。
 本番になったら今まで練習では見せなかった集中力と持続力を見せてくれ、その意味ではなかなかの好演でした。音色もなかなか良いものがあり、楽屋でもなかなか評判の良い部分がありました。
 ただゆっくりなところで拍子がなくなるというところは何とかして欲しいです。メンデルスゾーンの短い前奏がとても長くなってしまうのです。弾く側(特に管楽器)から言うとこのように小節線をまたぐ度に伸びるのはたまりません。次の音がいつ来るか分からないのでは息(弦楽器は弓)をどのくらい残したら良いかまるで検討がつかないのです。また振りながら息をしているように見えないので、pppp と書いてあるようなところでは弾く方は窒息してしまいます。(実際私の周りでも息をさせないので弓が振るえている人がいました。)
 まだとても良い部分と基本的な部分での問題点が同居していて、粗削り過ぎます。自分で楽器を弾く経験をもって欲しいです。次の小節に行くところで棒が止まっているのにオケの方を向いてニコッとしているようでは、弾く人の神経がまるで分かっていません。今日の印象では音楽そのもののイメージはとてもしっかり持っているし、それもまたとても良いものを持っていると思いますが、今の状態ではオケの協力を得るのは難しいでしょう。(拍子をちゃんとコントロール出来ていないのに、顔の表情だけ作られたりすると音楽に対する誠実さに対して「?」を感じてしまいます。良いところがたくさんあるのにすごく損をしています。)


6.15

 今日の練習では昨日おとといの印象とは違って、良い部分がかなり見受けられました。昨日まではいささか張り切りすぎていたようで、弾いている我々とピッチが合わないところが見受けられたのです。後は会場で聴いてどう聴こえるかです。というのはピアニッシモで発音するときなど音の出が分からないようにぼやっと弾けとか、拍子がはっきり出ないように1拍目をはっきり弾かないようにとか、普通は言わないことを言われるのです。良く響くヨーロッパの石造りのホールなどでは有効かも知れませんが、日本の普通のホールでこのやり方が効果を上げるとはとても思えないです。また弾いていて一番困るのは呼吸が出来ないのです。これで発音が合うわけがありません。私自身は明日の本番はちょっと心配です。
 昨日書いたソリストの変更の件ですが、ヤブロンスキーさんは虫垂炎だそうです。ベロフさんは本当に急遽来日されたそうです。このプロコフィエフはなかなかの聞き物だと思います。
 1曲目のメンデルスゾーンの良くは真夏の夜の夢を書いた同じ人の作品とは思えません。メンデルスゾーンという人は良いときと良くないときの落差が大きいようです。ツェムリンスキーは標題音楽でまた特に変わった音を使っているわけではないので、人魚姫の話を曲を聞きながら想像できる楽しくて聞きやすい曲だと思います。
 人魚姫などでは所々とても良い表情の出るところがあります。ひょっとするとオペラなどをやると良いのかななどと想像しました。今回はB定期ですからサントリーホールです。その後土曜日に横浜みなとみらい、日曜日に足利でマチネーです。明日のゲネプロ、本番をやっていくうちにまた指揮者の全然違う部分が見えてくるのではないかと思います。演奏が良ければ練習の過程などどうでも良いわけですから、明日本番の出来次第で評価が決まります。


6.14

 昨日は家族のコンサートの後飲み会になり気持ち良くなってしまったので、そのまま寝てしまいました。

 昨日から上岡さんの練習が始まりました。とてもロマンチストのようで人魚姫にもすごい思い入れがあるようです。弱音をとても大切にするしニュアンスをとても大切にし、妥協をしない人です。人があまりやらない曲を進んで取り上げようというタイプの人で、ドイツにいる人の話によるとミニ若杉さんという感じだそうです。(この人がやらない曲を中心にやるというのはなかなか難しいのです。弾かれない曲というのはやはり理由があるのです。それを押してやるというのはとても冒険です。今回のメンデルスゾーンも人魚姫もその手の曲ですから2曲もそういう曲を取り上げる勇気は大したものです。)今回の曲は弾いたことがないとおととい書きましたが、練習の進むうちにメンデルスゾーンも人魚姫も弾いたことがあるような気がしてきました。
 昨日今日の練習を通して感じるのは、自分のイマジネーションをとても大切にするということです。ただ残念なのは、一音出すたびに大げさに反応したり、細かく言う割にいつもテンポが違ったり、音楽と顔の表情が全然合っていないことです。まだ若い人ですからこれからどんどん変わるでしょうから今の状態で結論は言いませんが、今回は申し訳ありませんが私は全然噛み合いません。(他の人のことは知りませんが。)
 メンデルスゾーンも曲としては他のメンデルスゾーンの曲と比べると面白くありません。人魚姫はきれいな曲でロマン派の曲という感じで聴いて楽しいと思います。(いってみれば映画音楽のような感じです。指揮者の意図としてはメンデルスゾーンが海の上での話、人魚姫は海の中での話という海をテーマにしたもののようです。)ピアノ協奏曲のソリストのヤブロンスキーさんは病気のようで、ミシェル・ベロフさんが替わりに弾くようです。(曲目は同じです。)


6.12

 明日家族が小さなコンサートをするのでそれの準備をしていたらもう時間がなくなってしまいました。先月のソリストの紹介からずっと滞っているのですが、近いうちにやります。

 明日からはN響は上岡敏之さんが登場するB定期の練習が始まります。曲目はプロコフィエフのピアノ協奏曲以外今までに私は弾いたことがない曲です。実際に音になってみないと何とも言えないので明日が楽しみです。今回はサントリーで2日弾いた後横浜みなとみらいと足利で同じ曲目で演奏します。今まではこういう近郊の演奏会はこのような地味なプログラムで行くことはまずなかったのですが、最近は定期の曲目を出来るだけ演奏旅行や近郊の演奏会にもって行くようになっています。今まで演奏旅行や近郊の演奏会はポピュラーな曲でないと受けなかったのですが、今回このような曲目がどのように受けるのかはとても楽しみです。私自身は今回のプロは横浜はともかく足利ではいささか無理なのではないかと思っています。一般的に言ってまだ地方の演奏会でこのプロでいくのは「?」です。ただいつまでも同じことをやっている必要はないわけですからこういう試みに挑戦することはとても良いことだとは思います。現代曲を定期で少しづつ取り上げるのはとても大切なことですから、成功して欲しいのですが。(私自身は一晩の演奏会全部新作というのはいささかキツイですから。)

 最近ほとんどディジタルカメラを持ち歩かないです。前はいつも持っていたのですが、最近は演奏会の時しか持ち歩きません。会場の写真は良くいくところはほとんど撮ってしまったということもあるのですが。6月は指揮者も変わっているので明日はカメラももって行こうと思っています。

 なお2日ほど前ハードディスクのバックアップをするとき手順を間違えてしまったので、ひとりごとのページの内容を一度消してしまいました。(FTPサイトからアップロードしてあるものをとってきて事無きをえました。)ひょっとするとリンクの外れているところがあるかも知れません。具合の悪いところがありましたら教えて下さい。よろしくお願いします。


6.11

 今日はこの前のアメリカ旅行の現地での新聞の批評を「アメリカ演奏旅行の新聞批評」のページに1つ、シカゴの時の批評を載せました。全体の印象はそこそこに評価しているが細かいところはまだ一息という表現です。次はニューヨークの批評を近いうちに載せます。

 今日は批評と今月の曲目紹介を書いたら時間がなくなってしまいました。


6.10

 昨日の話の続きです。音楽を言葉で表現することについてですが、これはレッスンをしていていつも限界を感じます。こういう感じで弾いて欲しいと言葉をいくら並べてもたった1回ちゃんと弾いて見せるほうが遥かに説得力があるのです。ですから今弾いた演奏を言葉で批評するということについては私はとても空虚なものを感じてしまいます。(特に音を説明しているというより、自分の言葉に酔っているとしか思えない批評に会うとその感を余計に強くします。音を黙って聴いてみたらと言いたくなるのは弾く側の勝手というものなのでしょうか?)これは名指揮者でいつも感じるのですが、いわゆる深みのある演奏の秘訣は禅問答のようなわけの分からない精神とか言うものの中にあるのではなく、もっと単純な非常に簡単なことの中にあるのです。それを言葉でちゃんと指摘できないということはまだその部分が本当の意味で分かっていないということだと私は思っています。

 今日は8時ちょっと前からFMで定期を聴きました。ちょうどベートーヴェンの4番のピアノ協奏曲が終わったところでした。休憩から後半のブラームスの1番にかけて聴きました。今日のブラームスはとても若々しい演奏で、自分の主張が良く出ていると思いました。ただちょっとドライブのかけ過ぎで、バランスが今一つという感じはありました。(私の聴くところこれは指揮者の希望だと思います。いつものN響だったらこういう響きにはなりませんから。)今回の大植さんという指揮者は色々な意味ですごく将来の期待できる人だなと思いました。今月の3人が皆そうであることを祈っています。


6.9

 今日は最近いただいたメールへのお返事の意味も込めて書きます。ご質問は「良い聴き方について教えて欲しい。」というものです。
 結論から言うと良い聴き方、正しい聴き方というようなものはありません。人にはそれぞれ色々な趣味や価値判断があるので、万人に通用する聴き方などないのです。(たとえば白の車と赤の車のどちらが良いかという場合、それは完全に個人の趣味でしょう。それと同様音楽の表現も個人の趣味による部分がとても多いのです。たとえばある部分を p で弾くか f で弾くかというような部分で、譜面の指示通りでなくても美しい場合もあります。そのようにこれが正しい曲の姿だというものはありません。ただ弾く本人は自分の考えはしっかり持っていなければいけませんし、自分の主張は強く持っています。)
 聴かれた方が自分で本当にそう思うのならそれは皆貴重なご意見です。ですが色々な所で批評として出てくるものを読むと言葉の遊びないしは自分の勝手な思い込みの押し売りとしか思われない場合が多いです。たとえばある曲を聴くときに、その曲の決定版と言われるCDがあるとするとそのCDと較べてどうだと言うような批評があります。(はっきりそう言わなくてもいかにもそういう物と較べていると分かる場合が時々あります。)こういう観点から聴くとその演奏こそが最善で、後からその曲を弾く人の演奏は皆物まねに聞こえるのです。ある演奏が好きだというのは全てその人の自由です。ですがあるCDを神聖視するあまり他の演奏を受け入れないというのはやり過ぎです。後進の演奏家の演奏を全然受け入れないというのはその人にとって音楽は単なる先細りの道でしかないということです。(それで良いという人がいるという話を聞いたことがあります。これでは音楽に将来はありません。)
 これは私自身の経験ですが、ある人の演奏が良いと思っても次に別の演奏家を聴くとまた別の意味で良い演奏だと思う事など日常茶飯事です。どれが最善かというような基準で音楽聴くのは私は間違いだと思います。聴くときにまずちゃんと押さえるべきことは、その演奏があるレベルに達しているかどうかということだと私は思います。Aという人の演奏は好きだな、Bという人も良いと思う、Cの演奏はどう聴いても良くない、Dの演奏はAやBとは違うけれど良いと思う、その中ではBが一番良いかな、というような余裕のある聴き方をしないと聴くことが苦痛になります。
 言葉にして表現できなければ音楽が分かっていないというようなものではありません。言葉にしたからと言ってそれが正しいという保証もありません。聴く方は楽しむために聴いているのですから、理屈はいらないのです。私たちも聴くときはまず黙って聴いて楽しみます。それを言葉で表現しなくても出来なくても一向に構わないと私は思っています。その方の感想を正直に言っていただくことの方が遥かに参考になります。
 音楽を聴いてそれを楽しんだり、それから元気を与えられたりするならそれで音楽を聴く目的は達しているのではないでしょうか。音楽の深みがどうのこうのといっても言っている人自身がその深みとは何かが分かっていないケースはざらです。自分の発した言葉に酔うのではなく、自分の聴いた音楽に酔えば良いのです。(どうしても酔えないような演奏だったらブーイングの対象になるのかな?)


6.8

 今日レッスンをしていて再確認したのは、ゆっくり練習することの大切さです。ほとんどの生徒が練習というと出来上がりのテンポで漫然と弾いているのです。遅いテンポでちゃんと表情をつけて弾くのは早く弾けるようになるための一番近道なのですが、いくら言っても出来上がりのテンポで弾いて、間違えたらそこから弾き直して終わりなのです。あるところで弾き間違えたとすると、その原因は止まったところにあるのではなく前からの連結がうまくいかないから止まるのです。ですから止まったところから先を弾いてもなんの意味もないのにいくら言っても分からない(と言うより分かろうとしない)のです。
 つなげて弾けないというのにもいろいろレベルがあるのです。
1.まず曲を頭が覚えていないという単純に練習不足のレベル、このレベルの人はとにかく何も考えなくて良いから何度も弾くことです。このレベルの人には特効薬はありません。
2.次のレベルは頭では分かるが指がついてこないというレベル。このレベルになると曲は一応覚えてはいるのですが、まだ身に付いていないのです。このレベルの場合覚えるためには頭の整理をするのが一番の早道です。頭の整理をして指に音楽を覚え込ませるのです。ここが実は一番の秘訣だと思うのですが、これは人によってやり方が違うのでこれは万人に共通のやり方などありません。
3.最後に指も一応動くが安定性に欠ける場合で、この場合には問題点はそのフレーズの取り方が違っていることが原因だったり、想像しているイメージがどこか違っていることが原因なのです。ですがこれは前のレベルに増して原因をつかむことは難しいでしょう。曲の覚え方も人によってすごく違います。覚えられないとき、難しくて弾けないと思うときは頭を整理するしかありません。その中から自分で道を見つけられるようになるでしょう。その糸口がゆっくり弾く中で見つかることが多いので、ゆっくり弾けというのです。


6.7

 今日はN響は降り番なのですが用事があって練習の始まる前に練習所に行きました。今日は午後から練習だったので10時に家を出て車で行ったのですが、首都高で事故があってそのせいで混んで1時間半近くかかってしまいました。普段は行きでも40分くらいで行くのにです。帰りに芝公園の入り口を入ったら自損事故を起こした車が止まっていました。最近はこういう事故がとても多くて困ります。ほとんどがわがままから来る事故のように思います。

 昨日の演奏会の話の続きですが、基本姿勢として自然に弾いてその中から曲の姿を浮かび上がらせるのが一番大切だと思うのですが、実際はそれを貫ける人はかなり少ないです。指が回ることにコンプレックスがあるようでゆっくりしたところでは突然歌わせようと頑張るのですが、妙にこぶしの回った変な表現になってしまいます。クライマックスが指が回らないので明瞭に弾けないので、決める音でさっと逃げてしまったりです。この手の欠点(個性というのかな?)を持っている人は思いの外多いです。ところがこういう演奏会の批評を呼んでもそれを指摘しているケースはほとんどありません。客席の反応も関係者が多いせいか皆うっとり聴いていたりすると、こちらは聴いていてずっこけてきます。
 あとから見ると雑誌か新聞に出た批評しか残りません。でもこれではいつまでも良い聴衆など育ちません。これでは演奏家自身も育っていきません。的を得た厳しい批評が必要なのです。雑誌の批評などに捕らわれず自分の耳を頼りに感想を教えていただきたいです。


6.6

 今日はある人の演奏会を聴きに行きました。演奏家としてかなりのキャリアを持っている人ですが、聴いていて色々なことを考えさせられました。演奏家として何をアピールするかということの大切さです。技術と表現力のバランスというのも大きな問題です。速いところで指が追いつかないのに対してゆっくりなところでそれを取り戻そうという意欲が空回りしてストレートな表現ではなくすごく持って回った弾き方をしているようにしか見えないのです。もちろんすごく良いところもたくさんありました。ただ安全運転をするためにクライマックスで今一つ決まり切らない感じを与えてしまうのが残念です。これは演奏家だれにとっても宿命の問題で、年と技術の問題です。年をとると経験を積むことが出来ることは確かですが、運動能力は間違いなく落ちてきます。今日も聴いていて上手い学生の方がよほどちゃんと弾いていると思いましたが、音楽の表現はただ者ではありません。(いささか自然さを欠いてはいましたが。)聴いている時は人事ながら、自分も同じことをやっているのだなと思うと人事ではありません。
 その意味でもっとも短命なのは歌手でしょう。次が管楽器、次が弦楽器、それからピアニスト、最後に指揮者です。弦楽器など70代になったらほとんど現役として通用しませんが、指揮者などスヴェトラーノフ、スクロヴァチェフスキ、プレヴィンの各先生など皆70代です。でも年さえとれば大指揮者というわけではありません。年をとっているだけの大指揮者もいますから。ピアニストにもアラウとかチェルカスキーとかの人がいます。惜しいことに日本人にはこういう長寿の演奏家はほとんどいません。こういうところを見ると日本人とヨーロッパ人は人種が違うのかなと思います。


6.5

 いよいよ来週から6月の若手日本人の登場する定期が始まります。私は最初の大植さんの定期は降り番です。昨日から我が家のペット君が調子が悪くて一晩中付き合わされて大変でした。近くのペットクリニックに連れて行き今は静かに横にいます。また今日は今まで大事にとっておいたCD-ROMの大整理をしました。前に買った1枚ごとにビニールに入れるSleeveというものに入れてあったのですが、これでも場所ばかりとるので1つ200枚入る携帯用CD入れを買ったので場所を移し始めたのですが、あまりにも枚数が多いので古いものを整理始めたら半分くらい処分することになりました。(たとえばOSのCD-ROMでもSystem7、7.5、7.5.1、7.5.2、7.5.3のアップデートと7.5.3、1400用、7.6、2400用、それにOS8、8.1、8.5と12枚もあります。)余ったSleeveがまたたくさん余りましたが、今度は雑誌のおまけのCD-ROMなど期限を決めてそれより古いものは1枚づつ処分する事にしました。(普通のCD-ROMのケースを1枚入れるところにこれだと6枚くらいは入るのです。)こうやってみると一体Macにいくら金をかけたのか計り知れません。私はやりだすと徹底的にしないときがすまないのでやり過ぎた部分が多くハードもソフトも無駄が多すぎます。このCD-ROMなど今では人にあげても少しも喜ばれないものばかりのようです。

 今日は一日整理に費やされました。


6.4

 今日は会場の写真を撮ろうと思ってデジカメを持って行ったのですが、バッテリーが全部放電されていて1枚も撮れませんでした。
 ところで今日の演奏会は思いの外盛況で意外でした。昨日ちょっと書いたことなのですが、弾く方と作曲する方との感覚の違いについてです。弾く側の感覚というのは出来るだけ単純に物事を理解しようとするので、言ってみればユークリッド幾何とニュートン力学で物事を理解しようとする癖があると言えるのです。それに対して作曲する人はリーマン幾何と波動方程式で物を理解しようとしているように感じるのです。弾く側は何と言っても弾く時の感覚を大事にするので、仮に波動方程式が真の姿だとしても、物事をもっと単純化してニュートン力学で理解しようと本能的にするものなのです。(演奏する時にどのようにファジーにしたら良いかということなど考えながら弾くことは無理なのです。作曲する人にはそこがどうしても理解できないようです。逆に作曲する人から見ると何で弾く側は楽譜にそんなに縛られるのだろうかと疑問に思うのでしょう。弾く側は楽譜の制約の中から美を表現しようとしているのです。)たとえば勝手に弾くということについての感覚が作曲する人とは全然違います。現代曲ではよく次のいくつかの音形を好きなタイミングで勝手に弾けという指示がありますが、こういう指示を見たとき弾く側は作曲する人は何を考えているのだろうかと考えるのです。人と合う必要もなければ勝手なタイミングで弾けというのは弾く側の本能的な心理から理解できないのです。(それは単なる無秩序にしか感じないということです。)結局現代曲の演奏というのは量子力学の世界を古典力学で理解しようとしているようなものです。だからゆらぎの概念の全然ない古典力学でそういう物が表現できないのは当然だというのと同じです。これは基本的スタンスの問題なのですからどちらが合っているとか間違っているとかの問題ではないと思うのですが、演奏する側と作曲する側には越えられない溝が現状ではあるとしか言えないと思います。
 演奏する側はその生い立ちから言って不確定性を受け入れる感覚が基本的にないのです。これはクラシックの演奏の基本的スタンスです。今日の演奏会の前にプレトークというものがあったのですが、それを楽屋で聴いていて思ったのは作曲する人というのは弾く側とは全然違う観点で曲を見ているのだなということです。これは弾く側からの勝手に要望ですが、作曲家はもう少し弾く側の感覚をもっと本質的な部分で理解して欲しいです。(もちろん逆に作曲家は演奏する側に同様な希望をもっていらっしゃるでしょうが。)
 今日の話は何か禅問答みたいになってしまいました。


6.3

 今日もMusic Tomorrowの練習でした。たしかにこれだけ練習すると曲に対するイメージもかなり変わってきます。仕掛けがわかると弾いていても面白いです。リーバーマンのフルートとハープの協奏曲は急に編成が小さくなったために降り番になってしまいました。オーケストラのための作品というと編成の大きい曲がほとんどで、弾く側からいうと自分のパートがどこまで意味があるのかなと思うことがあります。音色の変化という部分についてもいろいろ変わった楽器を使うことによって変化を求めているようで、その点についてはたしかに効果が上がっていると思うのですが、もっとその楽器本来の持ち味を使って欲しいという気がすることも確かです。
 前に3月の定期に尾高賞作品を紹介していたようなやり方の方が、現代曲をアピールするには有効だという気がするのです。こういう曲だけを集めて一晩の演奏会にするというのは少なくとも私の身の回りにいる人を考えるといささか無理があると思うのです。やはり前のようなやり方にした方が聴く側も受け入れやすいですから。作曲家の学生などにとってはすごく楽しみな演奏会のようで私も券を頼まれたりしていますが。
 もっともいつの時代でも新作というのは私のような意見を克服してその価値を認められてきているのですから、価値のある曲は結局ちゃんと残るのです。それは歴史が判定するのでしょう。

 明日の会場はオペラシティーです。最近はどこの会場に行くにも問題は駐車場です。10時間以上も車を置いたら目の玉の飛び出すような金がかかります。その点最近の地方の会場はお客さんがほとんど車で来るせいもあるのでしょうが、大きな駐車場を持っているところがとても多いです。(どこの会場でも終演時に車を出すのに大混雑するのがまた困りものなのですが。)明日もどうしようか考慮中です。


6.2

 今回のMusic Tomorrowの作曲者の1人池辺さんは私と縁があります。と言うのは私は高校は都立新宿高校に通っていたのですが、私が新宿に入った年池辺さんは芸大に入られています。私が新宿に入った時にオーケストラの部室に行ったとき池辺さんが修学旅行のイメージを元に作曲されたピアノ協奏曲の楽譜を見たことがあります。新宿を卒業してから私は東大に行きそれから芸大に入ったら池辺さんはもう先生になっていらっしゃいました。今日も練習の前にいろいろお話をさせていただきました。
 今はN響アワーの解説者としていつも登場されています。去年N響の演奏旅行で大分に行ったときには演奏会の後会場の出口で声をかけていただきました。その時はN響アワーのための取材で大分に来られていたようです。今の作曲界を聴きたい方は今回のMusic Tomorrowを是非聴いて下さい。
 明日もう一日練習がありますが、明日はリーバーマンのフルートとハープのための協奏曲を練習します。(その他の3曲も練習します。)モーツァルトの名曲を見るとリーバーマンの曲もとても期待させられます。ソロはフルートが工藤重典さん、ハープが早川りさ子さんです。

 今日のMacWIREを見ていたらなんととうとう450MHzのデスクトップが登場したようです。350MHzのモデルが20万を切るくらいで出るようですからすごい時代です。こうなると少々不具合があっても乗り換えたほうが良いという流れになっています。でもこうなったらもう一息静観します。最近は新モデルが出てもあまりわくわくさせられません。前は新モデルが出ると細かくそのスペックを覚えていたものですが、最近は覚える気にもなりません。はっきり言って素晴らしいことは分かるけどどの機種でも今一つ魅力に欠けるような気がして仕方ないです。それはソフトについても同じです。前は新しいPageMakerが出るとその新機能がとても魅力に見えたのですが、2年位前からは新しいものが出たからと言ってアップグレードする必要をほとんど感じなくなってきました。機能はものすごくなっているのにです。
 今のソフトの機能は私たち普通のユーザーにとってはフルに使うことなどほとんどありません。だから新機能がついたとしてもそれが実際にメリットになることがないというのが本当のところでしょう。機能を限って軽く動くほうがよほど良いのですが、そう感じるというのは私がジジイになった証拠なのでしょうか。


6.1

 今日はMusic Tomorrowの練習でした。指揮の秋山先生はいつも丁寧に疑問点を残さずに練習していくタイプですので、今日も細かく練習しました。現代曲のように仕掛けの分からない曲の場合にはとても有難いです。これはその人の性格も関係していると思うのですが、外山雄三先生などとは正反対のタイプです。今日は池辺さんの2曲と三善さんの曲をフルに練習しました。現代曲の場合私自身にとっては何が一番大切かというと拍子を勘定することです。現代曲は拍子がどんどん変わるうえに4分の3.5拍子というような割り切れない拍子も出てきます。とにかく今どこを弾いているかを逃さないことが最大の関心事です。クラシックの曲だと拍子など何も考えなくても進行していきますが、現代曲は譜割りをちゃんと理解していないとすぐ行方知れずになります。その意味では今日の3曲は拍子さえつかめれば弾きやすい方です。
 この拍子が分かるというのはごく当然な事ですが、実際に弾く場合には勘違いするのは拍子の単位を勘違いしているというのがほとんどです。耳を頼りに弾けないときは自分の目と頭で確認しながら弾かないといけないので、練習が終わるとすごく気疲れします。
 今日も思ったのですが、作曲家というのはピアノで音楽を考えているなという感じがします。たとえばトリルをしながらグリッサンドというような指定がある場合、ヴァイオリンで弾く時どうしたら良いのだろうかと悩んでしまうケースが多いです。グリッサンドと言ってもいやでも弦を変わる必要があるような場合、どうしたら作曲者のイメージに合うのだろうかと悩んでしまいます。1弦でハイポジションに上がるのが非現実的な場合のことです。


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