中途半端な夏も終わりいよいよ明日からは9月秋のシーズンの始まりです。今月はまず期待のチョン・ミュンフン指揮のヴェルディのレクイエムです。色々な噂のある人ですが、実像を明日からじっくり見られるので楽しみです。マスコミを通しての話と実際目の前で振られるのとでは大体の場合印象は全然違います。よほどの大家とか、本当にうまい人の場合以外はがっかりするケースが多いからです。
私事ですが、姉夫婦はアマチュアの合唱団で知りあったのですが、その時今度やるヴェルディのレクイエムをやったことがあるそうで、青春の思い出の曲だそうです。定期を楽しみに聴きに来るそうです。(今では子供が大学生になっています。)
前にも書きましたが指揮者は明日早朝日本に着くので、練習は11時からです。普通は10時からですが。
あるところで聞かれたのですが、「うまくなるとどんどん良い楽器が欲しくなるものですか?」という質問でした。勿論そうです。
楽器の値段と音の効果の関係というのはとても難しい問題です。一体いくら出したら良いのですかという質問はよく聞かれますが、これには解答しようがありません。私見では最低レベルで25〜30万、普通に使えてそこそこに勉強できるもので50万、音楽学校に入っても使えるレベルのものは250万以上するというのが今の相場だと思います。これは楽器と弓の両方を含めての話です。
特に難しいのは弓です。難しさは2つあって、1つめは今は良い弓がとても少ないこと、2つめは良い弓を選ぶことが難しいことです。更に言うと、楽器の音の違いが分からない場合は無理をして高い物は買わないことです。後で高い物をつかまされたと疑心暗鬼になるからです。ちゃんとした人についていってもらって信用できる楽器屋さんで選んでもらうことです。(高い楽器になるほどこの問題はシビアです。1000万の楽器と950万の楽器がある場合50万高いほうが必ず良いかというと「?」です。1000万と1200万でも同じです。安い楽器なら諦められることが高い楽器では被害甚大になります。)
楽器の価値は実は買い取ってもらうときに分かるのです。少なくとも買ったときの値段で買い取ってくれないようだったら、その楽器を買うのは止めたほうが良いです。(口約束はあてになりません。一筆書かせておくのが良いのです。もっとも売ろうと思ったら問題の楽器屋は倒産していたなどという笑えない話も結構ある。)売った方がそれだけの価値を見出していないことの証明だからです。但しこの話には例外があって、木を掘って作ったものでないプレスした安物のヴァイオリンの場合は買ったときの値段では絶対に買い取ってもらえません。だからプレスの安物楽器は奨められないのです。買ったとき高くてもそれを売るときにもっと高く売れれば良いわけです。(簡単に儲かると思わないで下さい。何年か経てば必ず楽器の値段は上がります。ですがその時は他の楽器も上がっているので、売ってその後楽器を手にしないのなら儲かりますが、新しい楽器を買うのだと少しも儲かったことにはならないのです。それにちゃんと弾かれていない楽器は少しも魅力的ではないです。大体ヴァイオリンで儲けようとするのは心得違いです。)
世の中の風評くらいあてにならないものはありません。本当に良い物を持っている人に教えてもらうのが一番の早道です。それにちゃんとしたところでは値段はいい加減にはつけていません。高い物の方が悪かったりしたら信用問題だからです。
旅行中からずっと続いていますが、まだしばらく雨が続くようです。台風4号が通りすぎるまではダメでしょう。今年は気象庁の梅雨明け宣言があってもちっとも夏らしい天気にならず、今の雨も梅雨の続きではないのでしょうか。(私は梅雨明け宣言が間違っていたと思っているのですが。)おととい浜松からの帰りも朝のNHKのニュースでは新幹線が熱海〜新横浜間で運転休止だと出ていたので困ったなと思っていたのですが、ホテルのフロントで聞くと新幹線はちゃんと動いているようですとのことでした。テレビのニュースのことを言って再度調べてもらったら、上りは名古屋は定時に発車しているが、前に列車がつかえているので東京に着くのは遅れるだろうとのことでした。実際は浜松は定時に発車して15分遅れで東京に着きました。だから被害はほとんどなかったのです。ですが、他の線ではいろいろ障害が出ていて、止まっている区間は結構多いようです。演奏旅行中の被害は大したこともなくて良かったです。
10月に行く那須では大変被害甚大のようで心配です。テレビを見るととても演奏会といった雰囲気ではないです。実はかなり前の話ですが、長崎で演奏会があったすぐ後、同地が豪雨に襲われたということがありました。N響が長崎に行ってから1週間か半月くらい後だったと思います。また豪雨で列車が大変遅れて開演時間を遅くさせたり、会場練習なしにぶっつけ本番をやったこともあります。
一番被害の大きかったのは私が入団する直前の高知の演奏会が豪雨でキャンセルになったこと、またこの前行った和歌山の演奏会が以前やはり豪雨で川が氾濫してキャンセルになったことの2回です。最初のキャンセルになった高知の演奏会の弔い合戦の時は私は行きました。この時先輩で松山から高知までの山越えの道を自転車を飛ばして駆けつけた人がいるそうです。
またキャンセルになった和歌山の演奏会の時は、当日朝9時に大阪の東急インに全員が集まりどうするかを決めるということだったのですが、その時点で和歌山には行けないということで演奏会はキャンセルになりました。その日はそれから急遽京都に行き昼間から飲んで一日のんびりした覚えがあります。
私が入団するより更に何年か前には松江で豪雨に会い、ホテルから避難したことがあるそうです。その時ある先輩が避難する途中で道の側溝にはまり頭までつかりそうになった時、ヴァイオリニストの血が騒いで楽器が濡れないように楽器のケースを投げ上げたという話があります。(投げ上げたケースがその後どうなったかはちょっと聞き漏らしましたが。)
最近は新幹線に飛行機と交通手段のスピードアップがすごいですが、豪雨などの災害が起こると移動距離が長い分大変です。今は新幹線が止まると他の交通期間では時間がかかりすぎて間に合わないというケースが多いです。
私自身はこの天候のために速歩20分がずっと中止になっています。(腹が出てこないか心配です。)
またいつものページに戻ってきました。
今日N響の楽譜係をやって来られた右田さんが突然亡くなられました。先程(23:00頃)電話がありましたが、びっくりしました。ついこの間具合が悪いので急に入院されたという話を聞いていたのですが、あまりにも突然の訃報に驚いています。心よりお悔やみ申し上げます。
今日午後3時にiMacが発売されるとのことでとてもにぎやかです。N響にもiMacが欲しいという人が何人かいるので、ひょっとすると今日手に入れた人がいるのではないかと思います。私自身は今更Macを持っても邪魔になるだけなので今回は見送ります。ただこれからの方向性を示す機種ですから、関心は持っています。テレビにも何度となくCMが流れています。これからの周辺機器やCPUの動きが私には今一つ本当の姿がまだ出ていないように感じられて、その姿が見えた時点で次の機種のことを考えようと思っています。今最高位の機種を買っても半年から1年もするとエントリーレベルの機種がその性能を持つのですから、必要もないのに高いものを買うのは「あわてる乞食はもらいが少ない。」です。ただ今新しくMacを買うならiMacは良いでしょうが、今までの蓄積のある人はよく考えないと。
さて今日レッスンをしていて、難しいところ(技術的に難しいというより、音楽的に難しいところ)を練習するとき色々なことを考え込みすぎて自分で心理的に追い込まれてしまっていることが多いことを再確認しました。考え込むだけで音楽がちっとも流れていかないのです。考え込んで弾いているものを聴くと聴く側もいろいろ文句を言いたくなるのですが、弾く方が割りきって弾いていると聴く方もそんなものかなという気にさせられるのです。もっとも技術的に問題のないレベルにまでは行っていなければダメですが、その先は気の持ちようが一番大きい要素です。
こういう高いレベルでの話に対して、普通の場合は次の忠告が最も有効だと思います。それは「弾いている本人がおかしいと思い、納得できていないものを、聴いている人が素晴らしいと言ってほめることなど絶対にない。」というものです。まず自分が聴いていて恥ずかしくないかを自分に問いかけるのが一番良いです。
今日は一日家にいましたが、明日からはまた旅行です。最近は前のように演奏旅行が長くないので(長い旅行はプログラムを2つにして前半と後半に分けるようになった。前は2つのプログラムが入り乱れて2週間くらい続けて拘束されることが多かった。)ずいぶん楽になりました。また新幹線や飛行機が速くなったので、簡単に東京に戻れるようになりました。
特に違うのが海外旅行です。以前は一度出ると40日は日本に戻りませんでした。その上シングルが少なく私はほとんどツインでしたが、今から10年くらい前のヨーロッパ旅行以降そういうことはなくなりました。(この手の旅行は東南アジア旅行と今言ったヨーロッパ旅行の2つです。)これだけでも疲れは全然違います。またホテルのレベルもずいぶん良くなりました。今では最長で2週間、ホテルは4ないし5スターです。
また明日から旅行ですからこちらをお読み下さい。
明日からは演奏旅行です。こちらをごらん下さい。
今日は練習のために練習所の近くの高輪区民センター(高輪コミュニティープラザ)に行きました。ここに収容人員250くらいの感じの音楽ホールがあります。

あらかじめ会場の方でピアノを置いていた所と、そこから後ろに50cmくらい下げたところで響きがものすごく違うのにはびっくりしました。やはり反響板からの反響が大事だなと感じた次第です。NHKホールでの配置の件についても反響板から離れすぎていることのマイナスがあるのではと感じました。写真の位置はあらかじめ置いてあったところです。何を弾いてもバランスが悪い、音が抜けない、雑音が聞こえるなど散々悩まされたのに、ちょっと下げただけでほとんど問題は解決しました。反響板からピアノとの距離が物を言うのでしょう。
今日は私は初めてオペラシティーで弾きました。ゲネプロの時は残響はあるのだけれど音が硬いという感じを持ちましたが、本番の時はお客さんが入ると適度に吸われているようで、なかなか良い響きでした。客席でステージを見てもヨーロッパの会場のように見えてなかなかのものでした。(惜しむらくは音の響きがちょっと違うという感じですが。)私にとっては家から乗り換えなしで初台まで行けるので、とても楽で良いです。ここで定期をやってくれると良いな。

客席の天井が左右対称でなく、天井の高さがとても高く残響はとても長いです。ゲネプロの時ヴァイオリン協奏曲の第1楽章を客席で聴きましたが、ちょっと硬めながらもとてもクリアな音で、迫力はありました。響きの質としては今一つという感じです。ゲネプロと本番の落差を考えると、ここはお客さんの入りで響きがかなり違うようです。
ところで演奏の方はというと会場の響きに助けられて決して悪い出来ではないのですが、N響の演奏として良い方かというとそうとは言えないです。迫力のある音にはなっているのですが、ベートーベンらしい音かというと首をひねらざるを得ない音です。
今日のヴァイオリニスト ジェームス・エーネスという人はジュリアードの出身だそうですが、聴いているとヨーロッパの人かと思うような弾き方でした。楽器はdel
Gesuだそうですごい音が出ていました。その点ではとても聞き物です。まだ20才そこそこの若い人です。本番もとても良い演奏でした。
今日もフスマンさんの練習でした。結論から言うと私自身はどうも波長が合わない感じです。言っていることのどこかが気に入らないということではないのですが、何となく良く分からないという感じです。テンポの設定もピンと来ません。テンポは楽譜通りにやろうとしているようなのです。ベートーベンのテンポ表示は早すぎて非現実的だというのが一般的解釈なので、そのつもりで弾いているととてつもなく速いのです。私としてはなんともきついです。昨日も「どろぼうかささぎ」の主部がとても速くて細かい音を弾ききれないテンポだと書きましたが、今日もその延長上にある感じで、「そのテンポで1拍の間にいったいいくつ音があると思っているの?」という感じです。ちょっと聞くとカッコ良く聞こえるかもしれませんが、一つ一つの音が吟味できないうちに店先に並んだという感じです。(お断りしておきますが、これは私自身の感覚ですから他の人はどう感じたかは知りません。)
今回のプロ(演奏旅行前半)は私は前半は曲降りです。ベートーベンの7番は私はベートーベンの交響曲の中では4番に次いで好きな曲ですから弾いていて面白いのですが、色々つけられる注文はよく意味が分かりません。
たとえばベートーベンの7番とかブラームスの2番とかよく弾かれる曲で今まで弾いてきたやり方を根本的に直すようなやり方をされると、こちらとしては面食らうだけです。こういう曲の弾き方を根本的に直すには時間がかかるし、基本的な音楽的スタンスから変えなくてはいけないのです。
たとえばブーレーズとかメータとかの人たちはあれだけの名指揮者なのにN響を振るときにN響のやって来たことは一応評価しながら少しだけ自分の希望の方に近づけさせ、出来るともう少し更に自分の方に引き寄せ、練習が終わるころにはしっかり手中に収めてしまうのです。このクラスの指揮者は世界的に見てもごく少数派です。今回のフスマンさんも至極当たり前のことしか言っていませんし、おかしなことを言っているわけではありません。その意味ではごく普通の指揮者でしょう。
原因は私が波長を合わせられないからでしょう。他の人なら全然違う感想をもたれることでしょう。日本では指揮者は大先生でプレーヤーは指揮者に合わせなければいけないと思われていますが、指揮者だって我々と同じ人間です。絶対君主ではないのですからご無理ごもっともではないのです。でもオピニオン・リーダーであるわけですから私たちをしっかり先導して導いてほしいです。でもその時私たちが理解できる(納得できる)基準で分かるように(ついていけるように)引っ張ってほしいだけです。
今日から新しいシーズンの始まりです。今日はマティアス・フスマンさんの練習です。この人は前にやったことがあるようなのですが、私の印象には全然残っていません。名前だけは覚えていますが、この曲をこのように振ったというような印象がないのです。(顔の方もよく覚えていない。)初めはブラームスの2番の練習でした。細かいところにこだわりが沢山あるようで、休み明けのぼけた頭には良い刺激でした。全体にテンポは速めで、どろぼうかささぎの序曲などはちゃんと弾けないくらいの速さです。また2番の2楽章も練習の時は速めでした。(本番になると全然違うということはよくあるので、本番でどうなるかは知りませんが。)今回明後日の演奏会はオペラシティーですが、今まで2回ここでやった演奏会はどちらも降り番だったので私自身は初めてここで弾きます。とても楽しみです。
今日昼食の時の話で、指揮者には3種類あるという話になりました。1つ目は自分のやりたいことをはっきり出して、オケをその方向に有無を言わさず引っ張っていける人、2つめはごく普通の指揮者、3つめは邪魔になる指揮者だというのです。1はともかく2はどういうものかと思われるでしょう。ごく普通の指揮者というのは1番目のタイプの人ほど強い個性を持っているわけではないけれど、オケを邪魔するわけではなく自分のやりたいことを表現できる人ということで、実際の演奏会では最もこういうタイプの人にご厄介になることが多いわけです。このごく普通の指揮者というのはけなしているのではなく、むしろほめ言葉です。(逆に言えばプレーヤーも普通のプレーヤーと言われるようでないといけないということかな?)
今日の練習の最後はラフマニノフのピアノ協奏曲でした。ソロは小山実稚恵さんです。練習の時はソロと指揮者のタイミングがちょっとずれていました。(ソロのルバートの仕方と指揮者の趣味が合わないような感じでした。)練習中にピアノの弦が切れてびっくりさせられました。(かなり大きい音がした。)
今N響のMac軍団は皆いつ本体のアップグレードをやるか悩んでいます。G3のボードを買うか、新しいG3Macを買うかです。今N響ではG3にしている人はほとんどいません。(私が知っている限りではいないと思います。黙ってアップグレードしている人がいるかも知れないので。)私もiMac以降USBが使われるようになると今までの周辺機器が無駄になるので、今は何も新しいものを買わないで静観です。別に今の環境で特に不満があるわけではないから、あわてて新しいものに手を出す必要もないです。(これはMacに限らないと思いますが。)むしろ今からパソコンを始めようという人の方がやりやすいでしょうね。
昨日ご紹介した本「The Way They Play」は次のような本です。

昨日全13冊と書きましたが、14冊でした。右の写真のように色々なヴァイオリニストの写真と楽譜を載せています。前はこのシリーズの新しい本が出るのがとても楽しみでした。アカデミアとかヤマハに行くと新しいものが出ていないか必ず確かめたものでした。こういう本を読んだからといってうまく弾けるようになるわけではありませんが、悩みの解決の糸口になるのではないかという淡い期待をもって隅から隅まで読んだものです。悩みが解決すると、こういう本を読むとなるほどとうなずけるのですが、分からないときは同じ文章を読んでもちゃんと理解できないです。
これはレッスンを受けるときも同じことで、分かってみると確かに先生はちゃんと教えて下さっているのですが、分からないときは言われていることの意味が通じません。結局うまくなる時には自分で気がついて、自分で注意して直すのです。レッスンを受けている時、うまくなる方法を先生に教えてもらおうなどと思ってレッスンに行っているうちはうまくなりません。先生はヒントはくれますが、人それぞれに体も趣味も違うのだから本当に自分に合った解決法は自分が探すしかないのです。
私の場合は今までの最大の悩みは楽器の持ち方です。この事について色々な本を読みあさりましたが、分からないうちは読んでいるこちらが勝手に脚色して読んでしまうのです。(先入観念の強い暗示にかかりやすい人は要注意です。先生が一言言ったどうでもいいようなことを後生大事にしてしまう危険があるからです。人を信用しない人はこういう危険に陥ることは少ないですが、逆にとても良いアドバイスをもらってもそれを無視する危険性があります。これをどうバランスをとるかがその人のセンスの問題なのです。人を頼っているような人はこの一番肝心な考えることを逃げているわけですから、うまくなるわけがない。)
こういうことまで含めて生徒の悩みを解決するのが先生の役目だとは思いますが、私も分かっていてもなかなかそこまで出来ません。それに一言二言で直るほど甘いものではありません。
昨日はさぼってしまいました。今日からまた再開します。
私が持っている本にSamuel Applebaumという人の書いた「The Way They Play」という本があります。たしか全13冊くらいのシリーズ物です。色々なヴァイオリニストに焦点を当ててインタビューして、色々な音楽的技術的質問に対する答えをまとめたものです。勿論全部英語ですが、それほど難しい英語ではないので読みやすいですし、読んでいてとても面白いです。シリーズ後半になるとそれぞれの人の得意の曲の譜面のコピーをのせて指遣いボーイングを見せてくれています。何年か前までは銀座のヤマハで見かけましたが、今では置いていません。(私の見たときたまたまなかったのかも知れませんが。)色々な人の弾いている時の写真が沢山載っていて見ているだけでも参考になります。また色々な人の音楽感を覗くことが出来て面白いです。
たとえばミルシュタインなどは楽器を持つのに肩当ては勿論ハンカチも使う必要はないという話が出ていたり、名前は忘れましたがG線を弾く時は隣にC線があるつもりで弾くようにと言っている人がいます。(これは太いG線の音を出すときには常識ですから、何もこの人だけが言っているわけではないですが。弓でE線側の木のところに弓の毛が当たって白くなっているのはよく見ますが、本当はG線側の方が白くなるようでないといけないということです。)日本人では江藤先生が載っています。
今では手に入れにくい本だとは思いますが、なかなか面白いです。以前全音から同じような「弦楽技法」という本が出ていましたが(続編もある。)、それは写真などほとんどないので見て面白い本ではありませんでした。また「二十世紀の名ヴァイオリニスト」という本もありますが、これは聴く側の立場から書いた本ですから、私にとっては読み物としては面白いですが、弾く側としては参考になりません。
楽しみにしている方には申し訳ありませんが、今日は夏休みということで失礼します。また明日から再開します。
私も夏休みで今くつろいでいます。いろいろCDを聴いたりしています。今はバッハの無伴奏をいろいろ聴いています。前に書いた3種類のCD(シェリング、ミルシュタイン、テツラフ)を聴くと、私もずいぶん若い頃と趣味が変わったと思いました。若い頃はバッハというとシェリングのものばかり聴いていましたが、今回はミルシュタインのものにすごく惹かれます。テツラフの演奏も協奏曲の時やリサイタルの時はすごく自由に弾いている感じがしたのですが、バッハのCDを聴くとミルシュタインの方がずっと自由に弾いています。いささか強引に感じるところもありますが。
最近の大きいホールの所為もあるのかも知れませんが、皆全体に低いポジションで弾いています。(低いポジションで弾く方が音量が出るから。)ちょっと前はE線のファーストポジションなどで弾くとかならず怒られたものですが、今はE線の開放弦やファーストポジションはザラです。これはStradやdel
Gesuのような良い楽器だから出来るのだという説が多いのですが、低いポジションで弾く方が楽ですから、低いポジションの危険性さえ承知していればその方が効果が上がるかも知れません。
これに関して言うと何と言っても弦の状態が良くないとダメ。寿命のきたような弦で弾くとどんなに頑張っても良い音はしません。ガット弦は1月半から2月、ドミナントはせいぜい2週間が良い音の出る限界です。半年も1年も張ったままのドミナントで練習しても音の練習にはなりません。(ドミナントはガット弦に較べて安いですが、良い音の出る期間が短いので頻繁に弦を替えると結局ガット弦と費用は大差が無くなるのです。)音を問題にするなら絶対ガット弦です。
ではなぜソリストがドミナントを使うかというとそれはガット弦では必ず必要ななじませる期間が取れないからです。普通の人だったらガット弦を使ったほうが良いです。
またミルシュタインの演奏は聴いていると弓の返しがほとんど目立ちません。これはこの人の特徴です。(勿論聴いていればどこで弓を返しているかは分かりますが、返しがとても滑らかなのです。すごい技術です。)
今日23:25からNHKで「炎のレッスン・樫本大進」を見ました。ザハール・ブロン氏のレッスンは本当に炎のレッスンで、このようなレッスンを受けられるのはとてもうらやましいです。このようにエネルギッシュなヴァイタリティーに富んだレッスンはすごいです。シベリウスの1楽章の初めも大切にしていることは生命力だと思います。自然さも大切にしています。今日の放送は表向きのレッスンの部分でしょうが、普段通りのレッスンはどんなものなのだろうかと是非知りたくなります。45分の番組でしたが見ていてもっともっと見ていたいと思いました。この手の番組の中でも出色の出来で、とても参考になりました。
番組の中で、先生は生徒がある課題が出来ると更に先の課題を与えていくというコメントがありましたが、これは名指揮者に指揮されている場合と同じ感触です。これこそが名教師の資質なのでしょう。
2年前にディジタルヴィデオを買いましたが、その時はビクターのものが出たばかりでした。それを早速買ったのですが、問題はバッテリーが30分しか持たないことです。演奏をとろうとすると30分しか持たないとよほどうまくバッテリーを交換しないと、途中で切れてしまいます。出先で演奏の記録を気軽にとろうとするとディジタルヴィデオが一番良いのです。今のディジタル・ヴィデオは最低でも1時間、ちょっと大きいバッテリーだと2時間くらいは平気で持ちます。(だからといって買い替えるにはあまりにも高すぎます。)音質について言うと何と言ってもDATが一番良いです。でも絵がないこと、頭出しがしにくいという欠点があります。絵が欲しい時はディジタル・ヴィデオ、頭出しが簡単にできる必要がある時はMDを使っています。(したがって色々なメディアがあふれてしまいます。)演奏をカセットにまとめようとすると、DATやMDからとるだけでなく、ディジタル・ヴィデオの音声部分だけをカセットに移すことも出来ます。こうなると一体何を持っているのが一番良いのか迷ってしまいます。
このところの自分の練習で再確認したことなのですが、ある曲を弾く時のアプローチの仕方に2つのやり方があります。私はいつもある曲を弾く時その曲のCD(私が若い頃はレコードでしたが。)を聞いて、自分なりにその曲の感じをつかんで弾いていっていたのです。これに対してとにかく普通に弾いていってそこから自然にその曲をつかんでいくというやり方もあります。私の今までのやり方というのは一見良さそうに見えるのですが(だからこそそうしてきたのです。)、これは初めから曲に対するイメージを固定してしまうし、曲に対する思い入れが強すぎて力んでしまこともあります。ここはこう弾くべきという面からやっていくという、言ってみればアマチュア的アプローチは長所もある反面、意欲が先走るという決定的短所を持っています。
それに対してもう一つのやり方は別の面の短所を持っています。それは強い曲のイメージを持っていないとただ事務的に弾くだけの器用貧乏になるのです。このやり方は曲が強くてもその思い入れに潰されずにやっていけるという良さも持っています。
どんなやり方も一通りのやり方ではダメだということのようです。それぞれのやり方の長所短所をはっきり知ってやっていく必要があります。
もう一つこんな事当たり前とか、こんな事は簡単などと勝手に決めつけないで、練習することも大切です。難しいところを練習するのに音程をとるのがまず大切なことは誰でも知っていますが、それを実践する人の少ないこと!音程をとって、次にボーイングをきちんと覚えてそれから両手を一緒にすると言う当たり前のことをやると、その中から今まで気がつかなかったことが見えてくることがありますよ。速いところはゆっくり弾いているのも当たり前のことです。(と自分に言い聞かせている。)
本当はこんな演奏する側の心理など公開しないものなのでしょうが、自分の気の持ち方が変わっていくのが面白かったのでちょっと書いてみました。
夏休みになってから練習がとてもはかどり、弾いていてとても楽しいです。今まで疑問だったことが解決したからです。入団当時のような新鮮な気持ちを味わっています。このきっかけはヴァイオリン以外のことから来ているのです。それは6月の初めに健康診断したことです。それが直接影響を及ぼしたわけではないのですが、それを機会に色々なことがうまく運ぶようになりました。
少し内容的なことをご紹介すると、一番の問題点は楽器の支え方のことでした。要するに楽器をしっかり肩にのせればよかったのですが、左肩が上がるのは良くないと言う思い込みが強すぎて、左手の動きが制限されていたようです。こんな事はそれだけ見ると大した問題ではないのですが、人それぞれに何かが邪魔をしてあるところで伸びが止まるのです。私の場合はそれがたまたま楽器の支え方だったということです。弾くことの悩みは皆それぞれに違います。その悩みは他人には決して分かってもらえないのです。ここまで来ると自分で解決しなければいけないのです。
ほんのちょっとした楽器の揺らぎでも、実際に弾いているとすごく気になるもので、弾き出すときの弓の不安定とか、ポジションのシフトの不安定などにすごく影響を与えます。大体何か不安定になると力で押さえつけようとしてしまいます。すると弓が弦の上ではねたり、楽器ががたがたしたりします。
楽器の持ち方が変わったので、練習のためにバッハを弾こうとしたのですが、いろいろ疑問なところがあるのでCDを3枚聞いたらそれぞれに違い、面白かったです。聞いたのはシェリング、ミルシュタイン、テツラフの3種類です。最近は新しいバッハの無伴奏のCDは出ていないと思うのですが、その中でテツラフのものは若さにあふれる個性的な演奏です。手本になるかどうかは疑問ですが、聞いていて楽しいですし参考にはなります。シェリングのこれぞバッハのお手本という弾き方もすごいです。ミルシュタインのものはテツラフとはまた違った意味で個性的です。私はミルシュタインの弾き方が好きです。私はバッハの無伴奏の楽譜を7,8種類持っていますが、ボーイングをどうしたら良いかなと迷うようなところは物によって色々なボーイングが書いてあります。(だから7,8種類も楽譜を買うことになるのです。)自分の好きな譜面も自然に出てきますが、それでも1種類だけに絞るのは難しいです。私が参考にする楽譜はシェリングのものか、ガラミアンの物です。
先日書いた筋肉の弛緩のことですが、今日ある人からアレクサンダー・テクニックなるものを紹介されました。私もこのホームページを見ただけですので内容についてどうこうは言えないのですが、これの出来た経緯を見ると参考になりそうです。(メニューインがこれをやったことがあるということです。メニューインはヨガを取り入れたりこういうことには積極的です。)他にもマッサージの中にも良い物があるという話ですし、整体にせっせと通うN響の人もいます。いろいろ調べてみようと思っています。
先日PTNAの地区本選を聴いて感じたのですが、譜面を見ながら聴いていると「一体譜面のどこを見て弾いているの?」というような演奏が多いです。また審査結果を見ると審査員も曲が全然分かっていないのがアリアリです。たとえばC級のグリーグのパックの終わりの音、譜面には4分音符でペダルをすぐ切るようにはっきり指定しているのに、ちゃんと弾いている子はほとんどいない。また
pp と ff が出てくるがその違いも問題になっていない。またハイドンのソナタなど左手が16分音符になるところが一番の技術的問題の場所なのに、そこに入ったところで鈴を鳴らして演奏は終わり、一体何を考えているのですか?またテンポが揺れて不安定だったり、粒の全然揃わないような演奏が成績上位に入ったりしています。(指がお団子になっている〔一本一本ちゃんと動いていないということ〕のに2位をとったりしている。)
PTNAのコンペティションはとても励みになる催しだとは思いますが(2学年おきに級が決まっていて、沢山の級があるので入賞するチャンスは多い。頑張っている子には持って来いのコンクールです。)、今のやり方では中途半端です。
1人の人が2ヶ所の予選を受けられるというシステム、また自分の住んでいる地区ではないところに行って予選を受けられるという2点がおかしいです。実際住んでいるのは東京近郊なのに、東北などあまりレベルの高くない地方に行かせて予選を通らせるので有名な先生もいます。「東京の人は東京で受けろ。」という地方の人の声をよく聞きます。(もっともこういう姑息な手段を使う人は大体最後まで行きません。)
また良い審査員を集めることも急務です。もちろん良い先生も沢山いらっしゃいます。審査表に「まさにその通り」という批評を書いて下さる先生もいる一方、悪い審査員もとても多くて、審査表など読むに値しない文章書いている人がいたり、審査結果に納得のいかないものは沢山あります。受けた子供達に逆にどの審査員が良いか選ばせてみたら面白いですね。審査員が青くなったりして。
このコンクールを目標に頑張っている子供たちに恥じないようにしないとね。
夏休みのこの時期は秋の日本音楽コンクール、学生音楽コンクールの準備期間としてこれらのコンクールを受ける若い人は奮闘中だと思います。日本音楽コンクールについてはピアノ部門だけが他の部門と違って参加者の実力が良くわかるやり方です。他の部門もこれを早く見習うと良いと思うのですが。(同じ曲でないと判断できないわけではないのですから。)
毎年思いもかけない人が現れてくるもので、とても楽しみです。今年は本選はピアノが協奏曲です。協奏曲が本選というのは聴く分には華やかで楽しみです。内容をじっくり聞くにはリサイタル形式の方が適しているとは思いますが。
ピアノについてはPTNAのコンペティションが予選が終わりいよいよ本選になっていっています。本選が終わると全国大会です。今月の終わりには結果が出ます。その後9月に入るとすぐ日本音楽コンクールの予選が始まり、その後学生音楽コンクール、10月には日本音楽コンクールの本選、11月は学生コンクールの本選、全国大会となっていきます。芸術の秋がいよいよ始まっていきます。(今日は夜はまるで秋のような気候でした。今日は家中で夜食事をしに出かけたのですが、帰りはとても涼しかった。)
弓巾と弓の圧力の関係というのはとても微妙なもので、技術的なことだけでは解決できないです。弓巾を大きくすると音がひっくり返らないためにはそれなりの力をかけないといけないわけで、そうすると嫌でも音は重くなります。場所によってはちっともエレガントでないのです。(小さい時にVivaldiのa-mollの始めの8分音符を全弓で弾く練習をさせられたのを思い出します。こんなところで全弓で弾くなんてなんの意味があるのでしょう。この曲の出だしは軽くなければいけないのに。それに安い楽器と弓ではまともな音にならない。)
小さくまとまらないように弓巾を大きく、弓のスピードは速く弾けるのは勿論大切なことです。でも音楽的に必要ないところでそれをご披露する必要はないです。バッハの曲のフォルテとロマン派のフォルテは全然違います。ヴィブラートも同様に違ってきます。弓を大きく弾くとヴィブラートもつられて大きくなり、出来上がった音楽は化け物のようになってしまいますし、柔軟性が無くなります。「大きく弾こう」という観念は捨てたほうが良いようです。「大きく弾く」ではなく「良く響かす」というのが本当でしょう。良く響けばヴァイオリン1台でも大きい音がします。それに名ヴァイオリニストが大きい音の時いつも全弓を弾いているわけではありません。
本来「ヴァイオリン」のページに書くべきなのですが、音の大きさを決める要素は3つあります。弓の圧力、弓巾、弓の通り道の3つです。弓の圧力も弓巾も大きくすれば音は大きくなります。また弓の通り道についてはフレッシュが自分の教本の中で書いていますが、駒の近く、指板の近く、その中間の3つがあります。駒の近くは圧縮された音(フォルテの音色)、指板の近くは逆にピアノの音色、その中間がもっとも普通のヴァイオリンの音です。そこで「駒の近くを圧力をかけて弓巾を大きくして弾け」という発想が出てくるのですが、これをやると実に汚い音になります。実際は駒のそばを圧力をかけて弾く時は弓巾は少し少なめにする、あるいは駒のそばで弓巾を大きく弾く時は圧力は少し加減するのです。(この2つは出てくる音はフォルテでも音色は全く違います。やってみれば分かります。どちらが良いかは弾いている曲の場所によって毎回違います。その判断の基準こそが弾く人の音楽的センスなのです。)
これは弦楽器に限らずピアノでも言えます。ヨーロッパの上手いピアニストはフォルテでもフォルティッシモでも手はあまり上下動しません。(大きい音を出すために手を高く上げて鍵盤に打ち降ろすようなことは絶対にしません。)下手なピアニストほど手首がガタガタ動き、つられて体がぎくしゃくしたり、もっと悪い場合は弾くのに必死で体がカチカチになってしまいます。(勿論ヴァイオリニストも同じです。ですがN響では圧倒的にピアノ協奏曲の方が多いので、伴奏していて見るのはピアニストの方が多いのでピアニストの話をしたのです。ピアニストに恨みがあるわけではありません。あしからず。)自分の出来る範囲で良く響かせ、出来るようになったら更に表現の範囲を拡げる(より大きい音に挑戦する。)のが良いようです。
今日教育テレビで趣味悠々・ヴァイオリンという13回連続の番組が始まりました。もともと趣味で弾くヴァイオリンと歌っているので初めから期待はしていませんでしたが、適当に有名な曲を並べているだけなのには本当にがっかりしました。1つ技術を覚えたらその上に更に新しい技術を覚えるというようにしなければ、何回の番組でもちっとも技術など伸びません。こんなことで上手くなるなら、苦労しないし皆名ヴァイオリニストです。
もっとカリキュラムをちゃんと作ってほしいです。せっかくの講師が泣きます。またヴァイオリンのレッスンの時間にピアノソロを聴かされるのも「?」です。もう一つ注文を付けるとするとヴァイオリンの音をこのようにオンで録音する意味がわかりません。ヴァイオリンの音が先生も生徒も変な音で録音されています。離れて録音すると身のある音がしないと思ってのこととは思いますが、効果があるとは思えません。
音楽をやっている人はあまり自分のやっていることを肉体運動だと思っていないので、スポーツ選手のように自分の体をケアしません。でもあまり筋肉を緊張させすぎると本来弾けるものも弾けなくなってしまいます。私の知り合いでスポーツセンターに行ってケアしてもらったら急に弾くのが楽になったという人がいます。(どこでどのようなことをしたのかは知りません。)私自身も骨が曲がっていることは分かっています。N響の人でも整体をやっている人は多いですが、私はどうも食わず嫌いでやる気になれません。そういえば中村紘子さんもそういう体のケアの重要性を強調されていました。
先程弦を張り替えて何気なしに湿度計を見たら何と72%を指していました。あわててエアコンをドライに切り替えました。いつまでも梅雨がはっきり明けないこの天候では楽器も湿気に悩まされています。ここ何日か発音が悪いなと思ったのはこの所為だったようです。皆さんも気をつけて下さいね。
名教師というのは名カウンセラーではないかと思う今日この頃です。以前テレビでドロシー・ディレーのインタビュー番組をやっていました。あれを見ていても、公開レッスンなどを見ていてもそのような気がします。(もっともテレビや公開レッスンに自分の本性を出すはずはないのですが。でも注意の内容を聞いていてそう感じるのです。)結局生徒が自分の考えを整理して自分で難問を解決できるように、良いヒントを与えているという感じです。結論が分かっていても生徒に自分で気づかせることが大事のようです。もっともこれで生徒が上手くなるのは、生徒が自分でちゃんと練習をしている場合で、自分では何もしない場合にはやはりつける薬はないというのが本当でしょう。本気でやれば何か解決法が見つかります。弾き方が変わらないのは自分がそれで本当に困っていないからです。生徒が本気でやっている場合に、弾ける先生に習うとあっというまに上手くなったりするのです。
このところレッスンと自分の練習をやっていていやというほどこの事を感じています。
今日も練習していて、奏法は人に教わるものではなく自分で見つけるものだということを再確認しました。人に習っても体は自分の物ですから、ちょっとした角度、重さなどは自分で見つけないとダメです。大筋は簡単に理解できるのですが、最後のホンの少しのところを理解するのはとても大変です。ここが解らないと弾いていても何かしっくり来ないのです。このところ弓の動きについて考えていますが、力加減(量と方向)を分かるのが難しいです。
良い先生に習っていても最後の細かいことは理解できないのだから、奏法の本を読んだだけでは上手くなどなれません。私の経験から言うと先生のちょっとした一言というのは両刃の剣です。上手くいけば一発で問題を解決できるのですが、上手くいかないとどうでもいいことに捕らわれてしまうこともあるのです。これが先生と生徒の相性なのでしょう。(感覚が合う生徒と合わない生徒もいるし、それ以前にまずテンポの合わない生徒もいます。こういう生徒の場合は困ってしまうのです。こちらは出来るだけ我慢して生徒のテンポに合わそうと思っていても、のろさの度が過ぎるとこちらもウンザリしてきます。)
やはり弾ける人に習わないと本当のことは教えてもらえないでしょう。(弾けない人はどうしたら弾けるか分からないから弾けないのです。)ただ名選手必ずしも名監督ではないのと同様、必ずしも名演奏家が名教師ではありません。また先生にも2つのタイプがあって、手続きを細かく教えてくれる人と、イメージをわかせてくれる人の2種類の先生がいます。自分で練習していく人は後者の先生につく方が良いですが、普通生徒は先生に教えてもらうまで自分では努力しないので、そういう人は前者の先生についてある程度習ってから後者の先生につかないとダメです。でも自分でどんどんやるタイプの人でないと、結局大成しません。(ごちゃごちゃ練習している間にすっかり曲に悪い意味で馴れてしまい、初めの新鮮さが無くなって手垢にまみれた演奏しか出来なくなってしまいます。新鮮な感動のあるうちに曲をある程度まとめられるのでないと、いくら長いこと練習してもちっとも上手くなれません。色々な面でヴァイタリティに富んで、勢いのある人でなければいけません。)1回目のレッスンの時にもう暗譜して奏法上の問題は自分で解決しているようでなければいつまでたっても上手くなれません。こういうことを言うと私は専門家になりたいのではないからという人が必ずいます。アマチュアでも弾ける人は程度の差こそあれ心構えとして自分でちゃんとやろうとしています。(弾くのは先生ではなく、本人なのです。)
今日また家で練習していると、昨日のホールでの練習の時のことが思い出されました。弱音(
p )の弾き方が狭い練習室とホールでは全然違うのです。狭い部屋だと力んで弾いていても一応部屋の中ではうるさく聞こえるので、ちゃんと音が出ているような気になるのですが、ホールで弾くとちゃんとした発音をしていないとみじめな音しかしません。自宅にホールのような練習室があればよいのでしょうが、この日本の住宅事情でそのようなことは望むべくもありません。ですから時々ホールで練習しないといけないのでしょう。(でもその度に何万と利用料がかかるのは大変ですが。)普段の練習の時にこのホールでの練習の時の音をちゃんと覚えておかないといけないのです。その点オーケストラで弾く人は練習前や休憩時間に広いホールで弾けるチャンスがあるのだから、それを使わない手はないです。
何度もうるさく言いますが、弾けないことの原因の7割方は弾く人が自分で作っています。思い込み、焦り、力みが邪魔をするのですが、これらはほとんど自分で作った幻想です。
おととい買ってきた「Mac People」の中にACTION Filesというシェアウェアがあり、それを使うとDialog ViewとDefault Folderの2つの機能がこの1つで実現できます。何をするものかというと、ファイルの「開く」又は「保存」などのウィンドーで、ファイルの検索や削除などファインダーの機能や、良く使うフォルダーに1発でアクセスできたり、またそのウィンドーのサイズをドラッグして拡げられるのです。最後の機能はとても便利です。もともとのウィンドーのサイズはとても小さくて一度に5,6個しかファイルが見えませんが、これを使うと一度に10いくつのファイルを見ることが出来ます。これを使うと純正のウィンドーなどには絶対に戻れません。(特にこれを使うとExcelでもウィンドーが拡げられるのです。Dialog ViewではExcelのウィンドーは小さいままだったのです。)これの日本語版がどうも市販されるようです。(Mac Fanの8/15号に新ソフト紹介のコーナーに出ています。)これは絶対にお奨めのユーティリティーです。
今日は夜6時から近くのホールで練習をしました。普段自分の家で弾いていて感じるのとは全然違うことを感じました。まず音を聴く場所によって同じ演奏でも印象がまるで違います。前の方(と言うより演奏している人より下の場所)だと高音部の伸びが足らず面白く聞こえないのですが、後ろの方で演奏者より上の場所だとすごくきれいに聞こえるのです。コンクールなど審査員席の場所によっても結果はかなり違うことが予想されます。確かに皆同じ条件なのですが、良い演奏でも音響の悪い場所で聴いたら良く聞こえないケースも充分考えられます。
また小さい部屋で弾くのと、たとえ小ホールでもそれなりの広さの場所で弾くのでは、印象は全然違います。小さい部屋で感じることは広いところで弾いたときには大した問題にならず、小さい部屋ではほとんど気がつかないことが広いところでは決定的な問題として浮かび上がってくるのです。これはメリハリのつけ方という点についての問題です。
また演奏に当たってはテンポが非常に大事だということを再確認しました。ちょっと遅いだけで演奏は締まりがなくなります。ちょっと遅いだけでフレーズの移り変わりが全部目立ってくるのに、のったテンポで弾くとちょっとだけ遅いときに気になったことが一つも気にならなくなってくるのです。(これは聴く人の音楽感によるので、私が聴いた場合の話です。)具体的に言うとちょっとテンポがのびると、sfのついた音が全部重くなって間延びするのに、ちょっとテンポを上げただけで音楽に流れができほとんど気にならなくなったのです。また弾く時にここで弦が振動してその音が会場に伝わっていくのだなと感じるだけで音が変わります。
結局うまい演奏と下手な演奏の違いというのは元はちょっとしたことなのです。でもそこで弾いている本人がその音を聴いて焦ったりするとその違いは決定的な違いになってしまうのです。(焦るとどんどん体に力が入って、普段なら簡単にできることまで出来なくなってしまう。)違いは精神的なというか気の持ち方だと言えると思います。更に言うと先生のひとことの言い方で生徒は良くなったり悪くなったりするのです。
今日のホールでの練習で家での練習では気づかない色々なことを再確認させられました。
今日は一日自分の部屋の片付けで終わってしまいました。日ごろ片付けをしないことのツケが回ってしまいました。したがって非音楽的な一日でした。(レッスンもなかった。なかったから片付けられたのですが。)その後夜7時過ぎに近くの江戸川の花火を見に行きました。初めは近くの本八幡の駅から見ようと思ったのですが、高いビルに邪魔されて全然見えないので隣の市川駅に行ってそこで見ました。(同じことを考える人が沢山いて、ホームには沢山の人がいました。)
ところで昨日書いたことの反響が大きいので書くのですが、私は演奏会を聴いての感想を色々な所に投稿することを悪いとは全然思いません。大体演奏会を聴きに行くときの楽しみの一つに、その印象を他の人と話し合うことも含まれていると思うからです。また聴かれる方がどのような印象を持つかは演奏する側にも責任のあることですから、演奏する側が言われたことに対して文句を言うのはおかしいとも言えます。だからといって言う側は何を言っても良いというものではないでしょう。(良くないと言うのは良くない演奏をする方に責任があるのではないかというのはある意味で当然な反応でしょう。それに演奏する側はそれでギャラをいただくのですから。ただ何を指して良くないと言うのかということになると、聞いていて納得できる理由を言われるのでないとこちらも返事のしようがありません。)
少なくとも音楽的なことについては誰が聞いてももっともだと思える基準でものを言うのでなければいけないでしょう。自分だけに通用する基準でものを言ってはいけないと思うのです。もしそんなに物を言いたいのだったらclosedなところでしゃべれば良いのです。Publicな場所でものを言うのならそれなりに物の言い方があるでしょう。(インターネットにしろパソコン通信にしろ誰でもアクセスできるところに発言する時はそこはPublicな場所です。勿論批判をしてはいけないと言ってるのではありません。色々な意見を頂くことによって我々は伸びていくわけです。批判を頂いているうちが華なわけで、何も言われなくなったら終わりです。言われるということは注目されていることですから。また弾く側とは違う観点で演奏を批評してもらうことはとても大切なことです。)ただ言いっ放しではこちらも受け取りようがありません。どんなに良い意見でもこれでは活きません。
というようなことを言いたかったのが昨日書いたことの真意です。