演奏で最も大切なことは何でしょう。この質問に対する答えは簡単なようで、とても複雑です。まず万人に共通の認識はありません。勿論音程を正確に、リズムを正確に、音楽のスタイルに充実になどの当たり前の事柄をいくつか列挙するのは簡単ですが、その中で何が一番大切かというと人によって違う答えが返ってきます。さっそうと速いテンポで難しい曲でも正確に弾くことを売り物にする人もいるし、器用ではないけれどしっとりした音と表現を売り物にする人もいます。(後者は前者に言わせるとヘタクソと言われる。)また音が全てだと言う人もいます。(その意味も人によって千差万別ですが。)どれも正しいのですが、どれか一つで演奏の全てが理解できるほど単純なものでもありません。たとえばどんなに音が良くても、テンポがいつも遅れるような人は合わせる場合には困ります。またタイミングはばっちりでも音が汚い人も困ります。また音楽的な部分についても、ある人は特別に飛び抜けてはいないけれど逆に外れることもないが、他の人は良いときはメチャクチャ良いが、悪いときは聴いていられないという場合もある。ですからある演奏会を聴いてそれが気に入ったとしても別の機会に同じ人を聴いた時に同じ感動をまた受けられるかどうかは分かりません。
またある演奏に感動を受けたとして、本当はその演奏のどこが気に入っているのか自分でも分からない場合もあるのではないでしょうか。たとえばホールでの定期で弾いている方は「こんなのどこがいいの?」と思っているのに、終わったら「ブラヴォー」のオンパレードだったり、逆に「この人はうまいな!」と思うのに、お客さんにはちっとも受けないというのは日常茶飯事です。こういうときに色々な掲示板などを読みに行くとどう聴くとこんな印象を受けるのだろうかと首をかしげたくなる感想を読むこともしばしばです。(はっきり言うと音を聴いて言っているのではないな[演奏会に行っていないと言う意味ではなく、出てきた音で判断しているのではないということ]と感じる。)
私が一番理解できないのはいろいろ書き込む人達にある程度共通することとして、ある演奏会を聴いた時その演奏会を良いか悪いかのどちらかに分類したがることです。私は良い演奏会は1割、悪い演奏会も1割、残りの8割はある部分は良いが他の部分は悪いか又はそれほど良くないというごく普通の演奏会だと思うのです。そんなに単純に善し悪しを言えるほど出来がはっきりしている場合はごく稀だと思うのです。(弾く方が一生懸命やったら良い演奏になるわけでもありませんし。だからといって一生懸命弾いていないものなど聴きたくもないですよね。)またいくらある人のファンだからといって盲目的にある人の演奏をほめるのはヒイキの引き倒しになるのではないでしょうか。
そういう意味において私は演奏の終わった直後の「ブラヴォー」はお客さんの反応の参考にはならないと思っています。そんな掛け声より何も言わないで拍手をして下さるお客さんの反応の方がずっと参考になります。最近は「ブラヴォー」を聴いてもあまりうれしくありません。というのはその掛け声が普通のお客さんの感覚と懸け離れているようにしか感じられないからです。言ってみればわざとらしい「ブラヴォー」など他のお客さんの迷惑にしかなっていないように感じられるからです。仮に今日は普通の出来だと思うけれど、この時間楽しませてもらってありがとうというふうに感じるならそれはそれで良いのではないでしょうか。そういう拍手だってあるのではないでしょうか。「ブラヴォー」か「ブー」のどちらかしかないというような聴き方はではなく、もっとその中間の選択肢を豊富に持って演奏を楽しんでいただきたいのです。○か×かではない、というか黒と白だけの無彩色の世界ではなく、カラーの世界を楽しんでいただきたいのです。その部分を聴いての反応(拍手とか批評)が演奏家を更に育てるのではないでしょうか。
今日いただいたメールの中でアマチュアオケのコンマスの方からのものがあったのですが、その方へのお返事にもなると思うことがあるので書きます。
演奏する人は、後にそのままの形で残らない音で商売しているわけですから、聴いている人の心に残った印象が勝負なのです。ところが聴いている人は弾いている人が何を一番問題にしているかは知る由もないのですから、批評も弾く側と接点がないものもあります。そうなると弾く側は自分を支える基準がないのです。ですからどうしても自分が正しいと思うことを人にも求めるようになるのです。たとえばドイツ人はドイツ音楽についてはとても雄弁で、我々のやる音楽が正統派なのだと主張します。確かにある範囲ではそれは正しいのですが、同じドイツ人でも同じ曲を全員が同じに弾くわけではありません。伝統と呼ばれる部分については、ドイツ人でなければ分からない部分もあります。ですがドイツも音楽家が皆ドイツ音楽を弾いたらうまいわけでもありません。またフランス音楽になると急に静かになる人も沢山います。フランス人はまたその逆です。またチェコの音楽、ロシアの音楽はそれぞれに独特の語り口があります。
逆の意味でアメリカや日本の音楽家は全てのジャンルにある程度適応して弾けるのですが、どの特定のジャンルでも本国の一流の人には一歩譲ってしまうものです。これを器用貧乏と見るか、そこまで適応性があると見るかは見る人の考え方次第です。
ここに演奏家が何で自分を支えているかが関わってくるのです。難しい曲を速く音程正確に弾けることが問題な人、自分のヴァイオリンから出来るだけきれいな音を出すことが目的な人、音楽的な内容を問題にする人などさまざまです。またその音楽的内容ということについても人によって千差万別で、同じことを言っていても内容はまるで違うということはよくあります。またその志と実際に出る音との間に落差があるのも事実です。
音楽的なイメージを言葉にするとうまく表現できないということもよくあります。そこでどうしても演奏家はそういうことをしゃべりだすと止まらなくなってしまうのです。それはそうです。その言葉にしにくい部分こそがその人の一番大切にしていることなのですから。またそうであるからこそなおのこと他人には理解できないのでしょう。ですから私は個人的には茶飲み話で音楽の話をすることはあまり好きではありません。なぜなら誤解されることの方が圧倒的に多いからです。それに私が大事だと思うことでも、他の人にはどうでも良い事かも知れません。その落差に悩むくらいなら黙っている方が良いという感じだからです。
それじゃなぜ私がここでこんなに色々なことを書くのだろうかと疑問に思う方も沢山いらっしゃるでしょう。それはしゃべるのと違って文章として読んでいただくので、双方ともに気持ちに余裕のある状態でいられるので、少しくらい言い過ぎていても面と向かって話するのとは違って一呼吸おいて読んでいただけるからです。
また少し違う話ですが、私が市響でトレーナーをしていて感じることの中にボーイングのことがあります。よくボーイングなどをつけるときに問題になることに「音楽的なボーイングと弾きやすいボーイングの違い」ということがあります。私はこの2つはほとんど同じことだと思っているのですが、アマチュアオケの人の中には音楽的なボーイングは難しいもので、弾きやすいボーイングは素人が弾いても出来る方法だと思っている人がいるのです。難しい曲なのにボーイングを変えただけで突然素人でも弾けるようになる筈なんかあるわけがないでしょう。それにアマチュアの人以上にプロは面倒なことは嫌いです。(理想が低いと言う意味ではなく、弾く音譜の数はアマチュアの人の比ではないのだから効果も上がらないのに、面倒臭いボーイングなどごめんです。)だから楽に弾ける方法があったらまずプロがやっています。またある人が楽だと思うボーイングでも隣の人が同様に感じる保証などありません。ボーイングを決めるときは勿論そのオケの標準的レベルは考えますが、そのために非音楽的なボーイングを付けたりはしません。ちょこっと弾いただけで弾きよい弾きにくいを言うのではなく、なぜそういうボーイングを付けられたのかを考えて欲しいのです。それにボーイングというものはちょこっとテンポが変わっただけでもまるで変わってしまうのです。(これはアマチュアオケの指揮者の方には銘記していただきたい事です。のったテンポなら一弓で弾けるものが、もたもたしたテンポだと弓を返さなければならず、レガートが切れるということもよくあります。またゆっくり練習するときにただのんびり弾くのではなく、リズム感拍子感を守ってゆっくり弾くようにして欲しいです。)
練習って一体何のためにやるのでしょう。「弾けないところを弾けるようにする。」という返事が多いと思うのですが、それは練習の目的の一つに過ぎません。最大の目的は自分に自信を持つことだと私は思っています。そのためには考えられることを細大漏らさず全て網羅してやらないといけません。またそうするから自分はちゃんと練習したと思うことが出来るのです。またそうやることによって「うまくいけばここまで出来るし、うまくいかなくてもこれ位で食い止められる。」ということが分かってきます。そうなれば本番のプレッシャーがかかっても一応の線で防御できます。こういう練習を曲の全てに渡ってやるのが理想ですが、1ヶ所でもこれでうまくいくようになるだけでも本人にとっては大きな収穫です。「こうやれば私でも出来るんだ。」という手応えを得ることが大切なのです。だって本番の最中には他の誰も頼りにはならないのです。自分で手がかりを作って自分でちゃんと処理しなければ、誰も助けてなどくれません。(誰も本番中に人の面倒が見られるほどの余裕などあるわけがないからです。)
更に言うとこうやっても本番の時には往々にして失敗します。でも1回限りのやり直しの効かない演奏ですから、そんな失敗は必ずついて回ってきます。失敗したからといっていちいち落ち込んでいたら身が持ちません。うまくいったら自分の自信にして、失敗したら教訓だけは大切にして失敗は忘れる。これしかありません。だって何とかして自分を支えなければ話にならないからです。
もう一つの大きなファクターは、どこまで妥協せずにやるかです。「ま、これでいいか。」と思うと絶対にそのレベルより上には行きません。でもいつも「精神一到何事かならざらん。」の心構えでやっていたのでは、一緒に弾く人は悲劇です。なぜならいつ何が起こるか全然予想がつかないからです。「こうやったらこうなる。」ということの積み上げの上に頑張るのでなければダメです。アマチュアオケを見ていていつも感じるのは、自分の責任でやるべきことを中途半端にしたまま、火事場の馬鹿力を頼りに本番に向かう人が多いことです。
私の行っている市響も前は本番に強いなどと言っていましたが、去年辺りからそんなことは言わなくなりました。普段やって出来ないことは本番でもやはり出来ていないことをちゃんと意識するようになりました。ここまで来ると次の段階もすぐ目の前に来ていると思います。この前の演奏会も問題点は以前として山積はしていますが、皆が一つにまとまろうという迫力があり聴いていて楽しめたと思います。(私もそれなりに楽しめたという意見を何人もの人から聞きました。)この次の市響の演奏会は更に難しい曲に挑戦します。どこまでこの調子で行くのかな?
今日はまず皆様にお礼を申し上げます。と言うのは大変多くの方にメールを頂きとてもお一人づつお返事を書けないので、ここでお礼を申し上げます。とても参考になったと同時にとても励まされました。(と同時にまた自分にネジを巻かないといけないなとも思いました。)
今日いただいたメールの中でちょっと面白いことがあったので一言書きます。それは演奏する人の心構えについてのことなのです。演奏する人は舞台の上で1人でお客様を相手に弾くわけですから、自分に対して根拠のあるしっかりした自信が持てないと弾いているうちにどんどん委縮していくのです。ちょこっと間違えるたびにどんどん受けに回って行き着くところは自滅です。ですから人から見て不遜に見えるくらい(?)自信がないとダメなのです。ですからアマチュアオケでも弾ける人はそれなりに自分に自信を持っています。その事自体はとても貴重なことです。しかし誰でも問題を抱えているわけですから、自分に自信を持ちながら自分のやり方を反省し修正していくという「言うは易くして行うは難しい」ことが出来るかどうかです。
人の言うことをよく聞いて、注意されるとすぐ直そうとする一見すごく良い性格の人は、実はとても問題なのです。というのはさしあたりはうまくいくでしょうが、基本的な部分で人に左右され過ぎて、いつまでたっても人の趣味に動かされてしまい自分のやり方を持てないで終わってしまうのです。たとえば楽器の持ち方一つをとっても、体格(特に肩幅、腕の長さ)、筋力と筋肉のつき方、感覚、音楽的趣味(どういう音が好きか、どんなジャンルが好きか)による影響は無視できません。いくら先生にこうしなさいといわれても、先生と貴方(私?)とは人が違うのです。どんなに先生のことを尊敬していても、先生と同じやり方をしてうまくいく保証はありません。
私自身のことを書くとある時期先生に楽器の先を内側に入れなさいとすごく言われたことがあり、それを直そうとしたのです。ですが私は身長の割に腕が長く、先生は小柄で腕が短かったのです。私が先生と同じにやると楽器が邪魔になって弓の動きが楽に行かないのです。分かってみれば大したことではありませんが、悩んでいるときはちょっとした事に捕らわれてしまいやすいです。だから自分のやっていることを冷静に観察しながら、練習しないといけないのです。
何を言いたいのかというとオーケストラの場合人数分だけ考え方があり、それぞれに皆自分が正しいと思っているわけですから問題は複雑です。それこそ社会の縮図です。たとえば音の切り方一つを見ても、そのやり方をちゃんと良くしようとしてやっている人と、言われるから面倒臭いけどやっている人では出来栄えは天と地ほども違います。そこが問題になる人とならない人がいるわけで、そこがその人の価値観なのです。でも単にその事を知らないだけの人も多いので、そういう人には説明するだけで考え直してもらえるケースも多いので、うるさく言うわけです。
結局自分のやり方でやっていく以外に方法はないのです。そして周りの人を巻き込んでいくしかやりようはありません。
全然まとまっていませんが、また明日続きを書きます。
今日は一日コンピューター相手に格闘していました。今年の会計記録を入力するのに丸一日かかってしまいました。このページのように毎日必ずやるようにしたらと家族に笑われてしまいました。練習と同じで毎日少しづつやるのが長続きする秘訣なのですが、どうしても面倒で放っておくものですから、7ヶ月分になってしまいました。
練習をする時は1つの課題はすぐ出来るように分割しておくのが良いようです。1つの単位を20分位にしておくのがちょうど良いです。たとえば基礎練習1時間というとちょっと身構えますが、単音の左手20分、重音の左手20分、右手の基礎運動20分というように分けておくとちょっとしたヒマにやれるので気が楽です。また一日に出来る分は限られているので欲張らないことです。
何度も同じことを書いていますが、言っている私自身が練習しているとつい忘れてしまうのです。それでいつもアリジゴクにいつも捕まってしまうのです。これを再確認したのは毎日速歩き20分を始めてからです。たった20分で大した運動量ではないのですが(歩く歩数だってたかは知れていますし、筋肉を鍛えるわけでもありません。)、今まで色々体操をしても大して効果が上がらなかった私にとても良く合います。昨日おとといと歩けなかったのですが、今日歩いたらとても気持ち良くまたやろうと思っています。ベルトの穴が2つくらい小さくなりました。
私のホームページは初めて1年2ヶ月くらいです。('97.5.17に始めました。)今年3月くらいから毎日ページを更新した後ヒット数をメモするようにしているのですが、それを見ると面白い傾向があります。はっきりしているのはウィークデーは平均130以上、週末が100前後という違いがあるのです。時間による変化は調べられませんからこれ以上はわかりません。(昼休みなどに職場で見て下さる方が多いのかななどと想像しています。)最近N響の人にホームページをやるのは大変だろうかということをよく聞かれます。(自分のホームページを作りたいようです。)私の返事はいつも「更新する手間は大したことではないが、問題は書く内容があるかどうか、また面白いかどうかです。」ということです。1月も更新されないページを見ようなどと思う訳ないですからね。でも更新するだけではダメで内容がやはり問題です。その意味では毎日書くのは大変だと思うことがありますが、ヒット数を見ると期待していただいているのだなと思って頑張る気になるのです。夏休みのこの時期に全体に手を入れようと思っています。これから先のことまで含めてどうしようか思案中です。
このページについてのご感想を教えていただけると幸いです。メールはa-nezu@path.ne.jpまでお願いします。
今日は越谷の演奏会でした。駅を降りたら前に来た時のことを急に思い出しました。

今日は湿気がすごくて悩まされました。昨日と比べると今日の方が音は良いように感じました。今回の指揮者渡邊さんはだんだんテンポが少しづつ遅くなっています。練習の時の印象とは少し違ってきています。でも若い指揮者の中で期待される人である事は確かです。とても自然ではあるのですが、その先どうするのかということになると今のところ未知数です。今日は昨日と違って「カルメン」が終わったらちゃんと拍手がありました。安心しました。今日楽屋でプログラムについて話をしたのですが、小品を続けるのは楽しい反面充実感に欠けるのではという意見もありました。確かに今日のように「新世界」を弾いた後は小品プロとは違う充実感がありました。色々見方はあるものです。演奏自体について言うと昨日の方が少し良かったかなという感じです。
今回の指揮者は31歳だそうですが、指揮を見ているともっと若さをアピールしても良いかなと思いました。ぐいぐいオケを引っ張るという感じはしません。若い指揮者だとそういうものを期待するのですが。N響は初めてですからそのせいもあるのでしょう。もっとN響に馴れてからが楽しみです。
私は今日の演奏会で夏休みです。(次のサントリー、大阪のフェスティバル・ホール、四日市は降り番です。この次のプロはなかなか難物です。)次は夏休み明けの演奏旅行が出番です。私は8,9月は全部出番になってしまったので、とても大変です。(1月半以上出っぱなしです。)
最近N響でFinaleを使い始めた人が何人かいます。(Windows版の人もMac版の人もいます。)今までFinaleを使っている人は私以外あまりいなかったのですが、仲間が増えてうれしいです。ですが初めて使うときは、どこにどういうコマンドがあるか分かりにくいので、皆苦労しているようです。「小節線をまたぐ連桁」とか、色々質問されます。その点今の英語版Finale97はAcrobatのPDFファイルのヘルプがついているので助かります。日本語でないのが最大の欠点ではありますが。
N響には何人もMac派がいますが、皆それぞれに問題を抱えているようです。不思議なことに私は最近深刻なトラブルには見舞われていません。小さいトラブルには事欠きませんが、理由の分からないことはありません。どうも見ているとトラブルに見舞われる人はどこか簡単なことで間違えているようにしか見えません。同じ環境でも私の場合はトラブルにならないようなことが問題になっている人の話を良く聞きます。特にインターネット関連ではこの種の問題を良く聞きます。
今日は牛久の文化センターの演奏会です。家からは1時間半くらいかかりました。駅から少し離れたところにある文化施設の集合体の中にこのホールはあります。

今日は早く家を出たので、12時半には会場に着いてしまいました。それから近くで昼食をとって2時少し前に会場に戻ってきて自分の席を確認し、写真を撮ったところです。今日の会場はあまり響かなそうな感じです。会場練習をしてみないと分かりませんが。(14:00)
今日は渡邊一正さんの練習でした。新世界についてはテンポは速めで止まらずにどんどん行くというタイプです。第1楽章の第2主題も全然テンポを落とさずさっさと行くという、あっさりした演奏です。練習は要領よくやっていました。弾いていて何をしたいか私には分かりやすかったです。それにどうして欲しいかをはっきり言っているので、弾くほうにもイメージがわかりよいです。
今回は今まで通りのプロだと書きましたが、カルメンは今まであまり取り上げなかった曲ですから、その意味では新しい試みと言えます。水上の音楽と新世界は今までもよく取り上げているので、全体としてはそんなに変わった感じはしません。色どりとしてカルメンがちょっと変わった感じと言う程度ですが。
明日は牛久の演奏会です。私は昔我孫子に住んでいましたから牛久には何度も行ったことがあります。時々牛久沼のほとりの料理屋に食べに行きました。市川に引っ越してから10年経ちますが、市川に引っ越してからは一度も行ったことがないので10年ぶりということになります。明日の会場は市民センターという駅からとても離れた会場のようです。(駅から徒歩25分とありました。)最近は地方でも新しい会場は駅から(市内の中心部から)とても離れたところに出来るケースがとても多いので、私達にとってはとても不便です。(というのは会場についてから軽く食事をしたいと思っても、町から離れたところにある会場だと近くに何もないというケースがよくあります。近くのコンビニでまずい弁当を買わざるを得なくなるのです。)最近の経済事情から仕方ないと言えば仕方ないのですが。その上牛久では夏祭りがあるようで、午後から夜にかけて車は通行止めになるようです。
このところN響の事務所のMacは問題続きです。Powerbook5300が何台かあるのですが、全てちゃんと動きません。全て電源を入れてもちゃんと起動しないという現象が出ています。その内の1台は私がシステムを入れ直そうとしたのですが、結局起動音もしないままになってしまいました。CD-ROMからの起動も失敗、HDカードを差してそこから起動させようとしても失敗、外付けのHDを付けても起動せずという具合です。事務所にある他のMac(1400、LC475、Powerbook5x0)はいずれも問題なく快調に動いているのに、5300だけがダメなのです。評判の悪い5300の面目躍如です。今日も練習終了後しばらくやってみたのですが、無駄に終わりました。この3台の5300はいずれも秋葉原の某ショップのアウトレットから買ったものですが、初めから保証書のついていない中古で私だったら絶対に手を出さないものです。多分この3台にかけたお金は全て無駄に終わるでしょう。
最近先生の影響ということについて考えさせられることが多いです。ちょっとした先生の一言が生徒に影響が強すぎることがあるのです。私自身についても学生時代にある人に楽器の持ち方について一言言われ、その事が頭に強く残ってしまい何年もの間無駄な努力をしてしまったことがあります。先生に言われたこと自体は少しも間違ってはいないのですが、それを言われるタイミングが悪いと不要に気持ちの中で増幅されてしまうのです。
先生のことを信じているので、言われたことを忠実に守ろうとしてついやり過ぎてしまい、本人はどんどん深みにはまっていくのです。ちゃんとやろうとすればするほど度が過ぎておかしくなるのです。こういうことは自分が弾き方に悩んでいるときほど陥りやすいわなです。先生も良かれと思って言っているし、聞いている生徒も先生の言うことをちゃんと守ろうとしていてどちらも悪気が無くてもこんな事になるんです。
私の場合は弓が先に来た時腕が後に引けると言われて、そうならないように楽器の先を内側に入れ、右腕を前に出すようにしたのですが、いささかやり過ぎになってしまったのです。和音を弾いたりすると弓の角度の関係で弓が引っ掛かるような感じがするほどになってしまったのです。
弾いているとき初めは良くても途中で悪くなることがよくありますが、自分でも今悪くなったなと感じることがあります。私自身の場合はそういう場合ほとんど気負い過ぎが原因です。何回も弾いていれば自分でどうなるか分かっているので、そこに来ると普通に弾けばよいのに体が硬くなってしまうのです。こうなるとアリ地獄にはまったようなものです。勿論練習しなければダメですが結局弾けるかどうかは、心理的要素が決め手になると思います。否定的に考えるとダメなのです。否定的というのは「こうやってはいけない。」というように考えることです。こうすれば良いというように積極的に考えてやっていかないと、本番のプレッシャーがかかった時に必ず失敗します。
明日は牛久、越谷の練習です。今回はごく普通のプログラムで、
1.水上の音楽(ヘンデル)
2.カルメン(ビゼー)
3.新世界
というものです。指揮は渡邊一正さんです。この前ダン・タイ・ソンさんのピアノ協奏曲の時の指揮をしていました。私はピアノの方ばかり聴いていたので指揮の方はあまり印象がありません。
今日はシモノフ氏の演奏会の最後を飾るサントリーでの「夏」でした。今日の最後の拍手の感じを見ると、こういうプロにはそれなりの力があるなと感じました。大曲を弾いたときの拍手と違ってしんみりした感じでした。前にも書いたように有名な曲の持つ魅力がお客さんを引きつけているのだと思います。
今回の一連のシモノフ氏の演奏会をやって感じるのは、同じところでも毎回テンポがものすごく違うのです。これを即興性と見るか、単なる気まぐれと見るかは難しいところです。確かに毎回それなりに効果のある演奏をしてはいますが、毎回違うと自分の主張はどうなっているのかなと思います。練習の時あるところを取り上げるとき、実際の演奏の時と全然違うテンポで振りだしたりするからです。たとえばアンダンテ・カンタービレなどどんどんテンポが落ちていきましたし、ボロディンも同じ傾向があります。「白鳥の湖」については割といつも同じ感じでした。この曲については自信を持っていて経験も豊富だと思います。
昔は定期もAはスタンダード、Bは通好み、Cは入門向けというキャラクターがはっきりしていました。今はどれも同じようなキャラクターになっています。というかどの定期もBの性格の曲目をやり過ぎていると思います。全部の定期が皆重いものである必要はないし、そうであってはいけないと思います。
秋からはオーチャード定期など始まります。昔のC定期とプロムナードコンサートの中間を狙っているようです。また去年から名古屋、岡山、鎌倉の定期が始まっています。ただ私がわからないのはなぜこれらの定期がB定期と同じ曲なのかということです。これは日程の問題だと思いますが、B定期の性格を考えるとA定期の曲を持っていくのが本筋だと思うのです。N響の演奏会も3つのキャラクターを考えてはっきり性格分けをした方が良いと思うのです。たとえば一月の定期にマーラーの9番、ブルックナーの9番、ジャンヌ・ダルクなどというのは(昔若杉先生の時こういうプロがありました。)、聴く側から言っても苦痛だと思います。(弾く方が苦痛なのだから、聴く方だって苦痛でしょう。どんなに良い曲でも一月〔3週間〕の間にこれだけ重い曲をやられたら、私はウンザリしてきます。申し訳ないですが。)
また演奏旅行の曲目も昔はいつも同じような曲でした。今年のように色々なプロを試みているのはとても良い事だと思います。演奏の善し悪しは指揮者の問題もあるので、判断は難しいですが、こういう試みはドンドンやってみるべきです。(同じ曲目でも指揮者が良ければ名演になるし、それほどでなければ演奏はソコソコの物にしかなりません。一つの断面でとらえるのではなく色々な側面を考えて今後の方向を決めて欲しいです。どこの演奏会か、聴衆は誰がメインなのか、曲のバランスはどうかなど色々考えることはあります。)
でもここで問題になるのは誰がそれを判断するかです。これはどのオケについても言えることですが、この判断を誤るととんでもない方向に行ってしまいます。
今日は2つ音楽について考えさせられる出来事がありました。
1つはこちらです。
もう1つはテレビの「たけしの万物創世記」です。音痴を治すという特集でしたが、音痴を歌うという側面でとらえていますが、それ以前に音が分からなければ話にならないのにその点についてはノータッチです。音の高さが把握できていないのに正しい音程で歌えるはずがないのに、口の開け方などを初めからやっているなど見当違いな特集でした。一番面白いのは440ヘルツと442ヘルツの音の違いの話です。それは誰でも440と442の違いは両方を聴いて言い当てることは簡単にできます。でも単に1つの音を聴いてそれが440か442かを言い当てるのは難しいです。プロの音楽家でも結構間違えると思います。
もう少し音楽について成熟して欲しいなと思う出来事2つでした。
明日はサントリーホールでN響の夏 I の本番です。曲目は演奏旅行の時と同じものです。今までのN響にはなかった側面が出ている面白い演奏会だと思います。ご期待下さい。
旅行から帰ってまたいつものページに戻りました。
今回の演奏旅行を見て、いわゆる名曲というものについて考え直しました。最近はいわゆる名曲などには一瞥も与えない人達がいます。確かにこういう曲は多くの人が演奏するので手垢にまみれた感じがするのは否めませんが、多くの人に受ける曲というのはやはりそれなりに良さがあります。簡単な形式と内容の中にそれなりの意味を盛り込んでいることはやはり立派なことです。こういう曲だけを聴く必要など全然ありませんが、たまにはこういう曲を虚心坦懐に聴いてみると新鮮に聞こえます。私達がよく話するのは有名な曲にはやはりそれなりに良さがあり、あまり演奏されない曲はやはり内容的に今一つだということです。こういうあまり演奏されない曲を取り上げる場合、よほど考えてプロを作らないとつまらなさだけが強調されることになります。勿論良さを正当に評価されない曲というのもあります。ありますがそれはやはり例外的なものです。ほとんどの場合あまり弾かれない曲は弾いていてつまらないです。
今回のような名曲集はやはり面白いです。(いささか深味にかけるとしてもです。)それに対して前回の演奏旅行の曲集は、私の個人的意見では、ウィーンの人にとって意味があり理解しやすい曲であるにしても、日本で日本人相手にやる演奏会としてはちょっと無理があるように思います。勿論悪い曲ではないし、それなりに楽しいのですが、同じようなもっと有名な曲があるという気がして仕方ないのです。(勿論この前のプロは指揮者の十八番のプロでしょうから、その意味では悪くないのです。ですが、この曲をたとえば佐渡に行って演奏する場合適当かというと「?」です。〔別に佐渡を特別視しているのではないですが、たまたま最後に佐渡で演奏会があったから言っているのです。〕)
もう一つ強烈に感じたのは、たとえばチャイコフスキーにはチャイコフスキーの弾き方があり、たとえその曲を弾くのに馴れていても、適当に日本流にアレンジして流して弾いてはいけないということです。たとえばワルツにしてもウィンナーワルツとは全然違います。またルバートにしてもロシアの曲の場合書いてないところでは絶対にルバートしません。それが日本ではチャイコフスキーの5番の2楽章などものすごく適当に弾かれている場合が多いです。(オケの方が流してそのように弾く場合もありますが、指揮者がそのように振っている場合もものすごく多い。)こういう点についてはシモノフ氏などは徹底しています。いささか極端に感じる部分もありますが、一つの主張を持ってもっともな範囲で指揮されています。これは今回の旅行中にホテルで朝食をしている時に出た話です。
オーケストラというのは不思議なもので、指揮者がある要求をしたとき、それに対する楽員の反応は人によりさまざまですが、結局は一番レベルの低いところに行ってしまいます。これは前にアマチュアオケのことを書いたときに言いましたが、10人中9人までが良くやろうとしていても、たった1人が無神経に弾いただけで全体が台無しになると言ったのと同じことです。私達は仮にそういう人がいたとしてもN響の演奏がその事によってレベルが下がるということがないよう努力はしています。でも張りつめていた気持ちが緩むのは確かです。でもそれをお客様にお聴かせするのでは申し訳ないです。
一般的に言うと、指揮者というのはどうもあまり人を信用できないようで、自分の思っていることが楽員には通じないと思い込んでいる人が多いです。(言葉が通じない場合は特にそうです。)前にも書きましたがある指揮者がAという曲を指揮する場合、その人も色々なオケで何回か指揮をした経験があるかもしれませんが、私達は逆に色々な指揮者で色々なやり方を経験しているのです。ですから私達はその変化の幅の広さをいやというほど知らされているので、指揮者にはどうやって欲しいかをはっきり棒で示して欲しいのですが、当然のような顔をして講釈を始め自分の思っているように弾かないのはおかしいというような顔をされると、こちらもムカッと来るのです。こういうことから指揮者との行き違いが始まるのですが、大家の場合この様なことは絶対にありません。大家はそのようなことは絶対に顔に出しませんし、演奏会を成功させることが第一義で、そのために楽員を上手にのせてうまく持っていってしまうのです。恐いだけの指揮者など見ていて哀れです。(恐怖政治など今の時代通用しません。)ヨーロッパのオケにはよくあることですが、指揮者が勝手なことを言い出すとオケはボイコットします。指揮者は良きリーダーなのであって、独裁者ではないのです。全ての価値判断の基準を自分が作ると思ってもらっては困るのです。(色々な価値判断があるからオケは面白いし、いろいろな色があるのです。)
今日はユーリ・シモノフ氏の練習でした。とても乗りの良い人で、よくここまでと思うくらいです。リズミカルに歯切れの良い演奏を目指しています。スラブ行進曲に始まりルスラン、白鳥の湖と進みました。N響はあまりこういう曲を取り上げてきませんでしたから、いささか大変です。でも普段取り上げる曲と違って楽しさがあります。(普段やる重い大曲は楽しいというより大変という気持ちの方が大きい。)演奏会をやるときソナタを中心にやるのと、小品のオンパレードでやるのとの違いのようなものです。小品を続けてやる場合よほど余裕がなければ、聴いていて格好がつかないものです。ソナタの方が曲そのものに形式がしっかりあるので、少々下手でも何とか聴けますが、小品(10分位の中位の曲でも同じ)を続けて弾く場合は曲の世界を1曲ごとに弾き分けなくてはならないので、とても大変です。オーケストラの場合も同じです。交響曲を弾くのとは異質の難しさがあります。
明日からまた演奏旅行です。明日は宇都宮です。今回はPHSを初めて持っていく演奏旅行ですから、色々な所でつないでみようと思っています。
明日からはしばらくこちらをお読み下さい。
昨日は市響の本番でした。色々写真を撮ろうと思ってPowerbook一式を持っていったのですが、弾くことに関連して色々出来事がありそれどころではありませんでした。結論から言うと昨日の演奏は全体としてはとても良かったと思いました。ちょっと前までは色々気になるところがあったのですが、先週の練習辺りから皆さん尻上がりに調子を上げていました。この大変なプロを最後まで頑張っていけたのは大収穫です。
少し気になったことといえばバランスの問題です。会場の響きの抜けの悪さが邪魔をして、管楽器の長い音がもろに弦にかぶってしまっています。その音の問題は会場での聞こえ方にも影響しています。1階席と2階席で聞こえ方がものすごく違うのです。謝肉祭のソロは他のパートの音が大きいこともあってなかなか音が通らず、練習の時から色々やってみたのですが、結局思ったようにはいきませんでした。(2階席ではきれいに聞こえていたようですが、1階席の人には音が小さく聞こえていたようです。練習の時自分で何度もやってみたのですが、どうやっても音が会場の方に行きません。)謝肉祭の初めなど金管と打楽器の音が大きすぎて、弦の動きなどすっ飛んでしまっているようでした。
チェロ協奏曲はとても良かったと思いました。全体的にはソロとのバランスもかなり良くなっていたと思います。管の吹き伸ばしの大きさはとても問題ですが。
交響曲になったら弦の方の音も人数が増えてよく出るようになったようです。全体的にはお客さんにも好評だったでしょう。市響のOBの人がずいぶん上手くなったと言われていたそうです。私がゲストコンマスをさせていただいたことがプラスに作用していればうれしいのですが。
今回は市響の皆さんの熱意、頑張りに敬意を表します。この次は更に大変な曲に挑戦します。頑張りましょう。
例によって本番の後打ち上げがあり、家に帰ったときには疲れていたので演奏会の報告は失礼させていただきました。昨日の打ち上げの時にも市響の更なる発展を期そうと、色々な人達が気炎を上げていました。ちょっと前の雰囲気とずいぶん変わってきています。アマチュアオケとしては新たな段階に足を進めつつあるという感じです。地元のオケがこのようになるのは大変うれしいし、頼もしくもあります。私もお手伝いさせていただきます。
明日からのN響は以下のようなプロです。
グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
チャイコフスキー:アンダンテ・カンタービレ
チャイコフスキー:スラブ行進曲
ムソルグスキー:はげ山の一夜
ボロディン:ノクターン
チャイコフスキー:「白鳥の湖」抜粋
これはN響「夏」Iもこのプロで22日にサントリーホールで行われます。最近はプログラムの構成が変わってきて、聴いて楽しいプロの路線にのっています。指揮はユーリ・シモノフ氏です。宇都宮、郡山、水沢、函館の皆さんご期待下さい。なお水沢、函館はNTTコンサートです。
明日は市響の演奏会です。今日はその最後の練習でした。夕方6時から地元市川市文化会館の大ホールで練習がありました。まず下の写真のようにメンバーがみんなでステージのセッティングです。

N響の場合プレーヤーがステージのセッティングを手伝うということは絶対ないので、不思議な気がしました。でもアマチュアオケだからそれでいいのかなとも思いました。座る場所の微調整を2,3度してからプログラム順に練習が始まりました。今回のオールドヴォルザーク・プロはN響でやったとしても大変なプロだと評判が悪いでしょう。終わっての感想はコンマスっていうのは大変な仕事だなということです。交響曲の4楽章で2ヶ所テンポがバラバラになってしまい、まとめられませんでした。自分で弾く以前に気になることがあるとどうしても自分の弾くことがおろそかになってしまいます。夜6時半から9時半近くまで練習して家に帰りましたが、気になることを少しまた練習しました。明日はうまくいくことを祈りつつ今日は早く寝ることにしました。
2,3日前にASTELのPHSで通信(インターネット)とするのに成功したのでとてもうれしいでした。パワー・アンテナもうまく作動しました。後問題はASTELを使ってFAXが出来ることだけです。時間がないのでまだ実験していませんが、これも多分うまくいくでしょう。また来週の水曜日から演奏旅行ですから、その時ASTELが使えるといいなと思ってPHSをかったのですが、色々手続きにまだ時間がかかりそうです。さしあたりプロトコル変換サービスについてはうまく行きました。(ただプロトコル変換サービスはASTEL東京のアクセスポイントにつながなければいけないので、電話代が高くつきそうで、どうしたものか思案しています。でも携帯を使っての場合に較べてスピードが速いので、それなりに使えます。携帯の9600bpsではメールを読むだけでもむだに時間がかかります。
今日も楽器の話です。
私が色々な批評を読んでいて納得しないことの一つに楽器が何かという問題があります。Stradを持っていることで有名な人の演奏だと、仮にその時はVuillaumeを弾いていてもStradと勘違いして聴いているケースなど山ほどあります。大体楽器の違いより奏者のボーイングの技術の方がずっと大きな違いなのです。私達もソリストの楽器が何かはとても興味がありますが、分かってみてもなんの役にも立ちません。話題としては面白いですが。(前にも書いたように良い楽器ほど奏者を選ぶのです。最高の状態のStradなど普通のオーケストラプレーヤーが持っても全然良さがでません。楽器に翻弄されるのがオチです。)結局Stradでも弾ける技術を持っていることが大切なのであって、その時弾いているのがStradなのかPressendaなのかが問題なのではないのです。
たとえば前に紹介したテツラフさんなど新作の楽器で弾いているそうです。確かに聴いていてものすごく良い楽器だとは思いませんが、これがStradだったらどうかなどというようには聴きません。また折れてしまった弓が何で、その後交換した弓が何でどちらが良かったかなどどうでも良いのです。それにテツラフさんが色々な楽器を弾いた場合楽器の違いよりテツラフという人の個性の方が表に出るという結果になると思います。
これはピアノの場合には如実に出ます。なぜなら同じSteinwayを何人もの人が交代に弾くことになるからです。(場合によっては同じ日に、他の場合は日をあらためて)ピアノの場合楽器は何かということをあまり問題にしないのに、なぜヴァイオリンだと目の色を変えて作者を問題にするのでしょうか。(奏者による違いを体験したかったらピアノのコンクールを聴くか[それも予選の方が面白い]、音楽学校のピアノの公開の演奏会や試験を聴くと腕による違いが良く分かって面白いです。それを経験すると私の言っていることが実感として分かると思います。なぜピアノというかというと何人もの人が同じ楽器を弾くことになるからです。ヴァイオリンのように楽器による違いが排除されるから。)同じStradでも状態によって天と地ほどの違いがあるというのに、へばったStradより健康なGuadagniniの方がよほど良いのになぜStradだと良いのですか。たとえばハイフェッツはTononiでデビューして名声を獲得しています。楽器が何かばかりを気にするから、イタリアの楽器の神話にだまされて単にイタリア製というだけで大して良くもない楽器を高い値段で買う羽目になるのです。演奏家については持ち物で評価するのではなく、音を聴きましょう。(音が分からないから持ち物で評価するのかな?Stradと言われると安心したりして。)
かなり旧聞に属するのですが、今日「ピアノ」のページにPTNAの予選を審査した家内の印象を載せておきました。こちらをお読み下さい。
楽器の話の続きです。
ヴァイオリンと同様ピアノも人によってこれが同じピアノかと思えるくらい出てくる音が違います。音楽学校の試験のように同じピアノで何人もが続けて弾くととても面白いです。調律してあっても(というか整調してあっても)弾く人によっては出てくる音がバラバラだったり、少々バランバランのピアノでも上手い人が弾くとちゃんと聞こえてきたりするのです。これはN響で見ていても感じるのですが、怖い顔をして調律師に食いついている人は大体あまり上手くありません。本当に上手い人は調律師が合わせた後少しくらいは注文を付けますが、後はそのピアノからその状態の中で最高の物を自分で引き出していっています。
昔お世話になった楽器作りの方がおっしゃっていましたが、本当に上手い人は魂柱などどこにあってもちゃんと弾くようです。勿論魂柱の場所は決まりがあるのですが、そこからとんでもなく離れたところにずれていても弾ける人はちゃんと音を出すのです。
今目の前にある楽器が良い物か悪い物かという最も簡単に分かりそうなことでさえ分からない、あるいは間違える人はとても多いです。場合によるとプロでも虫食いの楽器をつかまされるそうですから。(前に書いたかもしれませんが、5本の弓を良いほうから並べろと言われて、真っ逆さまに並べた自称楽器博士が居たそうです。)
あまりにも色々な話があってまとまらないのですが、世の中に流布している噂などほとんど大間違いです。ガット弦とナイロン弦の善し悪しなどについても、たとえばソリストがDOMINANTを使っているから、今やガット弦などいらないという話があります。ですがこれについては使い方という最重要項目を落として話をしているので、話が違う方向に行ってしまうのです。この問題について言うと、ガット弦の方が音が良い事はソリストは百も承知です。ではなぜDOMINANTを使うかというと、それはガット弦は張り替えたとき音程がなじむのに2〜3日かかるのです。それに張った途端に切れることもあるので、余裕を見て本番の1週間前に弦を替えるのです。ところが忙しいソリストはそれでは弦を張り替えるタイミングを逸してしまうので、音が良くなくてもナイロン弦を使うのです。DOMINANTなど張り替えてもほとんど音程は狂いませんから。ですが、DOMINANTが良い音で使える期間はとても短くせいぜい10日から2週間です。ですから月に2回から3回弦を替えているのです。そうなるとかかる費用はガット弦を使った場合とほとんど変わりません。(ガット弦の3〜4倍くらい替えないといけないので、単価が1/3〜1/4でもトントンなのです。ちゃんとした状態にするにはDOMINANTは安上がりではないのです。)そういう側面を無視してというか知らないで話をしても、話は見当違いです。DOMINANTは切れないからと1年近くも張り替えないで使っている人の話など私は信用しません。(世の中にこういう人は沢山いますよ。)
但しガット弦なら何でも良いわけではありません。管理の悪い楽器屋で買ったガット弦くらいタチの悪い物はありません。前に書いた「錆びているけど音に関係ありません。」というようなことを言う楽器屋で買わないことです。DOMINANTも店によってずいぶん状態が違います。手にしたときから「こりゃダメだ」という感じのする弦を売っている店など結構沢山あるのです。
今日は今度の日曜日の市響の演奏会のために弓の毛替えと弦を買いに行きました。そこで色々話を聞くと、どうも中途半端な楽器ばかりが横行しているという話になりました。ピアノの場合はコンクールなどでは同じ楽器を弾くので嫌でも楽器を弾きこなす実力が見えてきますが、ヴァイオリンは自分の楽器を弾くので楽器と腕がごちゃまぜになっています。どうしても素人の方はどういうのが良い楽器か分からず、自分を基準に弾きやすいということを最重要視して楽器を選ぶので、表板を薄く削ったようなペーペー鳴る楽器を良い楽器だと思いがちです。ですが良い楽器と言うのは手ごわいので、そんなにすぐ弾きこなせるものではありません。名器ほどその傾向が強く、名器は誰にも弾きやすいと思うと大間違いです。弾けない人が弾くと楽器が弾き手を馬鹿にするのです。(いくら弾いても音が出なかったり、ひっくり返ったりする。)イタリアの楽器といってもピンからキリまであるのです。同じメーカーでも良いものと駄作があります。イタリアの楽器ならニスが良くて良い音がするというものではありません。中途半端なイタリアの楽器なら、状態の良いフランスの楽器の方がよほど演奏効果があります。弓だってトゥルテを持てば誰でも良い音が出るものではありません。楽器以上に弓は手ごわいです。良く分かる先生にちゃんと選んでもらう以外に自分の身を守る方法はありません。何百万、何千万も払って偽物を掴まされないよう充分気をつけて下さい。
私自身は自分の生徒なら楽器の善し悪しを見ますが、ただ紹介されただけの人については何も申し上げません。なぜなら私の意見に責任のとりようがないからです。中には楽器を安く買うためだけに私のところに来て、新しい楽器を買ったら「なしのつぶて」という失礼な人もいるのです。あれだけ一生懸命時間をかけて楽器を選んでやったのにという気分です。だから私の生徒でない人に良い楽器商を紹介したり、良い楽器を見つけてあげたりということはいたしません。
今日本に入ってくるヴァイオリンのうちどのくらいが本物なのでしょうかね。ラベルや証明書などいくらでも偽造できます。証明書も聞いたこともない楽器商のものだったり(インチキで有名なところの証明書だったりすることもある。)、書式が本物とは全然違うものだったり偽物は枚挙にいとまがありません。仮に本物であっても表板が虫食いだったり、致命傷の傷があったり、とっくの昔に寿命がきているものとか色々怖い話で一杯です。音楽をやる人は基本的にお人よしなので、悪賢い人にかかるとイチコロです。ヴァイオリンを買う方は充分お気を付けて。(これはいくら言っても言い過ぎることはありません。)うまい話は向こうから歩いてこないのです。(これは私の人生訓)自分が努力もしないで(自分で判断できるようになるまで練習もしないでということ)良い物を見つけようとするなど考えが甘いです。自分の実力にあった楽器しか手に入りません。実力がつけば自然と次の楽器が見つかります。
今日も昨日に続けて肩当てについて書きます。
肩当てをして弾くのと、しないで弾くのとは楽器の持ち方は全然違います。肩当てをしている場合はどちらかというと肩は下げておかないと肩当てが邪魔になります。それに対して肩当てをしない場合は肩は下げると楽器を支えられません。それは肩当ての厚さを考えたら当たり前のことです。それを同じ持ち方で良いと考えるのは無理があります。
また肩当てをしない場合は左手で楽器を支えないといけません。ポジション移動なども肩当てのない場合は楽器を左手で支えてやらないとうまくいきません。それに対して肩当てをしている場合は顎と肩のすき間に肩当てがすっぽりはいっている状態なので、左手に負担はかかりません。ただ左手に負担がかからないからその方が良いのかというと、そうでもないのです。これはとても微妙な問題で文章で表現できるような次元の問題ではありません。
楽器の持ち方については肩が決定的な役割をしています。楽器を万力で挟んで固定させ、指はその固定した楽器の上で動けば自由に動くだろうというのが普通の感覚だと思います。ですが楽器を肩と顎で固定しようという考えがそもそも間違いなのです。ソリストでそのような弾き方をしている人は一人もいません。たとえば肩当てをしないと楽器が動きやすいので、移弦したときなどに左手でチョイと楽器の傾きを変えられるのです。楽器が安定しないとみなさんが感じられることが逆に長所になるのです。物は考え方です。
ただ肩当てをする場合は肩を少し下げてやったほうが良いでしょう。反対に肩当てをしない場合は、左肩だけ少し前に出して肩に楽器を載せるようにしたほうが良いと思います。(その時くれぐれも体をねじらないように!)
こういうことは弾ける先生に習う以外に解決方法はありません。
では今悩んでいる人はどうすれば良いかというと、現状で決定的に困ることがないのだったら今のやり方を変えないほうが良いでしょう。肩当てをしたら楽になるのならすれば良いし、どっちでも同じように感じるのだったら使わないほうが面倒がなくて良いです。音が違うということも確かにありますが、それについては大袈裟に言われすぎていると思います。肩当ての問題以上に弾くうえで大切なことはいくつもあります。どちらかというと肩当ての問題は大した問題ではないのです。
ですが上手く弾けないときは肩当てをして楽器が良く持てたら多分ものすごく上手くなれるのだろうと思って頑張ってみますが、実際には肩当てだけで弾けるようにはなりません。楽器を持つことに付随する他の部分で大事なものは沢山あります。(立ち方、姿勢、呼吸、弓の動きのイメージ〔スピードと圧力、接触点の組み合わせ〕等いくつも解決すべき問題点があります。)
今日モバイルでのデータ通信のためにASTELのPHSを手に入れました。データ通信のカードはまだ手に入れていないので、ただPHSを買っただけです。明後日渋谷に行くのでカードを手に入れるつもりです。うまく行けば車で移動中とか、電車で移動中にもインターネットにつなげられるかもしれません。とても楽しみです。
昨日藤森さんが目の前で弾いているのをずっと見ていたので参考になることが沢山ありました。N響で遠目に見ているのとは違って、すぐ目の前で弾いているのを見るのは印象が強烈です。1プルトなどに座っているとソロの弾き方が良く分かってとても自分のためになると思います。今回はゲストコンサートマスターですごく得をしました。
今私は肩当てをしないで弾いていますが、そうなるまでには何年もかかっています。学生時代は肩当てをしないと弾けなかったのです。ですが、ある人に肩当てなどしてもしなくても同じだと言われて、それから肩当てを外す努力を始めたのです。ところがこれがとても難しいのです。一時期私は肩を上げないようにということで、無理やり方を下げていた時期があったのです。このころは楽器を支えるのがとても難しく、弾くことがとても苦痛でした。しばらくしてバランスに馴れて2,3年肩当てなしで弾いていたのですが、あるとき試しに肩当てを使ったらまた肩当てに頼るようになってしまいました。更に何年かしてもう一度肩当てなしに挑戦したらちょっとしたバランスの取り方で今度は現在まできています。今日練習しているときに久し振りに肩当てを使ってみたのですが、今ではあってもなくてもどちらでも良いという感じです。
肩当ての問題は個人的な問題で、一般的にどうということは言えないと思います。私は今では肩当ては使いませんが、生徒にはどちらでも良いといっています。音色的にはない方が良いとは思いますが。アマチュアの皆さんも悩むところだと思いますが、この件については人の意見は当てになりません。自分で色々やって悩んで自分の責任で決めるしかありません。首の長さ、肩の状態、肉のつき方など一人一人違うのです。たとえばミルシュタインは肩当てなどいらない、ハンカチでさえ要らないと言っています。ソリストは概して肩当ては使いません。ですがオーケストラプレーヤーの場合は使う人が半数くらいいます。(日本の場合です。ヨーロッパのオケの場合などは肩当てを使わない人の方が多いようです。肩の辺りの肉が日本人とは全然違うのでそうなるのだと思います。)ソロと違って長い時間沢山の音符を弾くので、楽に弾くということはとても大事な要素なのです。
私なりのやり方は左手で右肩を抱えるようにすると、左肩が少し前に出ます。(その時体がねじれないように気をつけて下さい。)その肩の状態を良く覚えて、左肩に楽器を載せるようにすればよいというものです。(肩当てのあるなしに関係なく)基本的には足//腰//肩(//は平行の意味)が大切です。(左肩だけ前に述べた分だけ前に出ても良いですが。)
今日も一日うだるような暑さでした。旅行中には少し涼しかったのですが、昨日東京について列車から降りたら死にそうになってしまいました。
今日は夜来週の市響の演奏会でのチェロ協奏曲の合せ練習がありました。ソロはN響のトップ藤森さんです。オーケストラの動きを聴きながら余裕で弾いていらっしゃるので、私もとても弾きやすかったです。オーケストラの方が分解しなければ何とかなりそうで、一応安心しました。昨日の練習ではテンポもかなり速くなっていたということで、交響曲ものったテンポで出来たようです。(私は昨日は佐渡の演奏会の帰りですから勿論出ていません。)
これは市響などでいつも感じることなのですが、遅いテンポなら弾きやすいというものではないのです。曲には固有のテンポというものがあって名曲であればそのテンポにのって弾けば弾きやすいし動きは出てくるものです。テンポというよりはリズム感というべきかもしれません。たとえば6/8拍子の曲の場合、6拍でいくのか2拍でいくのかは曲の感じに決定的な違いをもたらします。4/4でも4分音符単位で振るか8分音符単位で振るかということもそうです。フレージングなどは弓の長さとテンポとの関係で原曲通りに出来たり出来なかったりします。アマチュアオケの指揮者の皆さんには、練習のためにゆっくり弾かせるのは勿論必要ですし、しなければいけませんが、ただ遅いだけではなんの役にも立ちません。ゆっくりでもニュアンスは大切にリズム感は守ってゆっくり弾かせないといけません。
ただゆっくり弾くだけだとまた速いテンポで弾いたとき、ゆっくり弾いたことが活きないのです。アマチュアの人が速い曲を弾くとかならず急ぐのですが(アマチュアに限ったことではありませんが)、そのほとんどは間に合わないという焦りが原因です。速いテンポでもちゃんと勘定してみると、実はそれほど速くないというケースがとても多いのです。心理的部分が弾けなくしているということは良く知っておいて下さい。
更にオーケストラの場合たった一人が急いだだけでもその人が場合によってはオーケストラ全体を道連れにして自爆することもあります。オーケストラのプレーヤーは誰か先に弾かれると自分のテンポを守れなくなるのです。それを止めるには指揮者かコンマスがよほど吸引力がある場合でないとまず止まらないでしょう。そうすると弾ける範囲でドンドン速くなっていき、難しいところではもうコントロールの利かないところまで速くなってしまっているのです。そうなったらもう結果は目に見えています。
もう一つは p の弾き方です。いつも市響で弾いていて困るのは、p だから小さく弾くと構わず大きく弾いている人の音に邪魔されてしまうのです。やはり全体を聴きながら弾くということを銘記して下さい。いくら楽しみで弾いているにしても他の人を道連れにするのはマナー違反です。