ひとりごと97年11月分 

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11.30

昨日の市響での練習の話の続きです。色々注文ばかりつけましたが、皆さんやる気は充分で、2回の特別練習に出た人は2回とも延べ6時間半ぐらい弾いていたことになります。それだけの意欲には本当に敬意を表します。それが実を結ぶように、もう一つアドバイスをします。(また始まってしまったかな?)
アマチュアの人の場合、よくCDを聴いているので曲がどういうものかはとてもよく知っているのですが、その割には何度も音にしてみるということが欠けているのではないでしょうか。意気込みだけでは弾けるようになりません。練習する時まずとにかく弾いてみて、自分が何が出来て何が出来ないかを知ることが大切です。特に自分に何が出来るかを知るのはとても大切です。自分の長所をよく知って、自分に自信をもって弾いて下さい。弾いている本人が自信の持てないものを人が評価するはずがないでしょう。恥ずかしがって弾いているのでは、お客さんに申し訳ないです。

明日はNHKの509スタジオで来年の大河ドラマのテーマと名曲アルバムの録音があります。指揮は岩城宏之さんでN響には本当に久しぶりです。その後明後日いよいよデュトワ先生の登場です。


11.29

昨日は色々やっていたら朝4時までかかってしまい、ページの更新は出来ませんでした。
今日は市響の練習につきあいました。2週間前と同じように、まず初めにヴァイオリンの有志だけでパート練習をしました。やはりゆっくりからだんだん速くしていく練習をすると効果があります。弾けるようになる以上に曲の構造がつかめるということに意味があります。私も一緒に弾きましたが、やはり一緒に弾く中から何かを得ていただけるのが効果があるように思います。ちょっとした弾き方の違いを感じてもらえるからです。それから弦練をしました。前にやった練習が全部活きたわけではないのですが、やはりやっただけのことはありました。その後全体練習をしました。結局午後1時半から夜9時まで弾きましたが、それだけの苦労をする意味は充分ありました。
今日の練習を通して皆一生懸命やっているのが強く伝わってきて私も途中で休めませんでした。皆さんもご苦労様でした。今日の成果を12月21日の本番に発揮できるよう頑張りましょう。
ただ今日の練習でも譜読みのいい加減さが目立ちました。いつも生徒には言っていますが、ヴァイオリンを持つ前に譜面をちゃんと読むという作業をパスしている人が目立ちます。特に変拍子のところはちゃんと譜読みして下さい。今回の変拍子はすべて3/8+2/8の形ですから、拍子は分かりやすいはずです。それに5/8と6/8しかないのですからゆっくり5拍子をとりながらリズムを歌う練習をすれば、リズムは納得できます。

N響の方は今日の埼玉会館の演奏会の後、明後日月曜日に来年の大河ドラマのテーマ録音の後、来週火曜日からデュトワ先生の定期の練習が始まります。最初はC定期ラヴェル・プロです。「ダフニスとクロエ」は私個人としてはブーレーズ先生が指揮したときのことが鮮明に印象に残っていて、そのイメージが強いですが、こういうタイプの曲が得意なデュトワ先生のことですから、これも楽しみです。12月の定期の中では最後のB定期のズッカーマンのヴァイオリンとヴィオラソロが注目です。


11.27

今日は2つ書きます。

演奏家と楽器
弦楽器の場合よく楽器は何か(作者が誰か、簡単にいえばStradとかdel Gesuかということです。)が問題になりますが、それにどれほど意味があるのでしょうか。私たちが同僚の演奏を聴くときにその人の楽器が何かというようなことは話の種にはなりますが、楽器によって音が決定的に変わるということはほとんどありません。楽器の音質ももちろん大切な要素ですが、楽器によって音楽の質が決まるようなことはありません。うまい人はどんな楽器を弾いてもうまいですし、下手はどんな良い楽器(たとえStradを弾いても)を弾いても楽器にバカにされるだけです。テンポ感、リズム感、音楽感など音質と同様に大切なことはたくさんあります。つまり弾き手の方が大切なのです。
またStradにも色々あるのです。「腐っても鯛」と言いますが、「腐ってるけど鯛」というような一応Stradだけれど全然良くないというものだってあります。へたったStradよりは元気なPressendaの方が良いこともあります。
また前にも書きましたが、日本に来るとき湿気が怖いのでStradを持ってこなかったソリストの演奏を聴いてさすがにStradは良いと書いて平気な顔をしている批評家の例を見ても、なかなか聴いただけでは楽器などわからないのです。(もちろん見かけも当てになりません。)Stradだから良い演奏が出来るのではなく、その人がうまいから(ボーイングの技術がうまいから)、そのStradから良い音が出せるのです。
また楽器博士で有名な人でも、弓を4本並べて良い物から順に並べてみろと言われて正反対に並べたという話もあるのです。それくらい楽器(弓も)の善し悪しを見極めるのは難しいのです。確かに名手がStradを弾いてさすがにStardは違うなと思わせてくれる場合もあります。でもその場合もStradだから良い音が出る反面、弾き手がうまいからこそその音が出るのです。
言ってみれば人を乗っている車で評価するのと同じようなものです。良い楽器を持っているのはうらやましいですが、そのことがその人の演奏の質を保証するものではありません。

ATOK11の話

前にATOKのカーソルが移動しないことを書きましたが、今日ジャストシステムから電話があり現在も調査中だとのことでした。変換効率の良さは評価に値すると思うので、動作の安定性を今一つ高めて欲しいです。でもこの程度のことはベータテストで分かるはずだと思うのですが。
ただジャストシステムのユーザーサポートはATOK8が出たころの横柄な対応とは雲泥の差です。(色々なアプリケーションでATOKの時だけで問題が出るケースがずいぶんあったのです。それでもATOKは問題を解決しようとしなかったのは有名な話です。今回の問題はSimpleTextでも起こるのだから、逃げようはないですけど。)


11.26

また家に戻ってきました。演奏旅行中の23,24の両日に東京の紀尾井ホールで学生音楽コンクール全国大会が開かれました。
ヴァイオリン部門
小学校の部:
西川裕梨子(沖縄カトリック小5年)
中学校の部:白井圭(藤沢市鵠沼中3年)
高校の部:傳田正秀(武蔵野高3年)
ピアノ部門
小学校の部:
山口日向子(名古屋市立滝川小5年)
中学校の部:久保智史(狭間町立狭間中2年)
高校の部:鈴木慎崇(道立札幌東高1年)


11.22〜25まで演奏旅行ですので、この間は演奏旅行ライブレポートのページに書きます。このページはその間お休みです。


11.21

今日はN響は休みですが、今度の名古屋、岡山の演奏会のあと神戸で神戸新聞社主催の演奏会があるのですが、その練習がありました。この演奏会は中町、松方の2ヶ所で行われます。この演奏会は弦が1stから6-5-4-3-2の編成で、モーツァルト・プロで交響曲第41番、ピアノ協奏曲B-Dur、ヴァイオリン協奏曲A-Dur、アイネ・クライネ・ナハトムジーク等を弾きます。この演奏会は指揮者なしで演奏します。(コンサートマスターが合図を出します。)

この練習の後今来日中のベルリン国立歌劇場管弦楽団 のヴァイオリンのWolf-Dietrich Eulitzさんという方にお会いしました。Eulitzさんは解剖学的な見地からヴァイオリン奏法を研究されているそうでドイツで本を何冊か出されているようです。その本を日本に何とか紹介できないだろうかということなのですが、今まで見たことのない見地から書かれているうえ、ドイツ語であるため私にはすぐ内容がつかめませんでした。今回の演奏旅行の間に辞書片手に読んでみようと思っています。

今日はサヴァリッシュ先生の思い出話を書きます。私が入団して初めてサヴァリッシュ先生の指揮に接したときのことですが、ハイドンの「軍隊」を弾いたのです。その時先生の見事な棒さばきにすごくびっくりしました。今から20年も前で先生も若くてさっそうと振っていらっしゃいました。(今でもとても74とは思えない若さで、また奥様がとても上品な方です。)
それからもう一つの思い出は2年前に演奏旅行に行ったとき、シューマンのピアノソナタの弾き方についてお聴きしたことがあったのですが、ゲネプロ前にもかかわらずとても丁寧に説明してくださったのを覚えています。その時譜面を読みながらサヴァリッシュ先生ならどういうかなと想像しながら私が自分で考えたのとほとんど同じようなことを言われて、やはりそうかと思ったので、とても印象が強いのです。今回はシューマンは取り上げませんが、シューマンもサヴァリッシュ先生の得意中の得意です。特に今回のようなドイツ音楽についてはデュトワ先生のようなインターナショナルな方より、それらしい響きが出ると思います。デュトワ先生はドイツ音楽はほとんど取り上げられないので、サヴァリッシュ先生のようにドイツ音楽が得意の人はやはり貴重です。どちらもそれぞれに持ち味が違いますからどちらが良い悪いではないのですが。

先月定期に登場したシトコヴェツキさんの楽器が何なのか色々なところで問題になっているようですが、結論から言うと楽器が何かは私自身は確認していません。(私はソリスト本人に聞いたわけでもないし、誰かがソリストに聞いたという話も聞いていません。)ただStradだといううわさは聞いています。ですがあの時の音はStradではないという意見が、楽屋では多数意見でした。私もその意見に賛成です。ただdel Gesu(ガルネリウス)ではないでしょう。これは確かだと思います。
昔はソリストが日本に来るとき気候的に湿気が多く楽器に悪いというのでStradを持っている人でもサブのVuillaumeあたりで演奏していくというケースは結構あったのです。(実際はVuillaumeで弾いたのに批評に「さすがにStradは良い」と書いた人がいたとかいないとか)普段Stradを弾いている人が鈴木のヴァイオリンを弾いても結構良い音が出たりするのです。ピアノで言えば普段Steinwayを弾き込んでいる人がYAMAHAを弾いてもSteinwayのような音が出るのと同じです。Stradのような音がしたからといってその楽器がStradかどうかはわかりません。楽屋では音の肌理、ふくよかさなどが今一つという感じなので、ブレシャ派あたりかという意見もありました。でも本当のところはわかりません。


11.20

今日は定期2日目ですが、演奏についての印象は昨日と同じです。悪い演奏ではないのだからもう少し自由に柔らかい音で弾かせて欲しいというのが希望です。明後日から名古屋と岡山で定期と同じ曲目を弾きますが、こちらの方にも我々が定期でどのように緊張して演奏しているか目の当たりに見て聞いていただけると思います。私個人的には今日は初めからしっくり来ないまま終わってしまい、とても心残りです。(初めに勘違いで間違えたのが最後までたたってしまいました)

今日楽しみにしていたEGBridge9が来ました。ちょっといじった感じではなかなか良いのではないかなという感じで、これからATOKとどちらをメインにするか調べようと思っています。実は一昨日くらいからJUSTSYSTEMに電話でATOKのカーソルが動かない件について質問しているのですが、今はJUSTSYSTEMもサポートは大事にしているようで、応対は大変良いです。ですが残念ながら機能拡張マネージャーでOS8のみにしてやってもカーソルは動きません。また言われた通りデスクトップの再構成とPRAMのクリアーもやりましたが、やはりダメでした。27日にJUSTSYSTEMからまた連絡があることになっているので、その時に解決するかもしれません。(多分ダメでしょうが)今度の旅行先でATOKとEGBridgeを使い比べて結論を出そうと思っています。

そのうち「ブーイングの考察」の続きを書こうと思っています。手始めに「楽器について」を題材にするつもりです。


11.19

今日はメンデルスゾーン・プロ定期の初日です。
結論から言うと今日の演奏は熱演でしたが、私は出来については「?」だと感じました。スコットランドなど確かに熱演ですし、音も大きいのですが、音が硬いと感じました。(最後の和音の連続のところで会場からの反響がすごくストレートに硬く感じた。)でもこれがサヴァリッシュ先生の持ち味です。サヴァリッシュという人は私の印象ではピアニストとしての側面の方が強いような気がするのです。テンポをルバートする時などメロディーと伴奏を自分一人でやるのでなければ出来ないような仕方を要求されるからです。オーケストラの場合メロディーの歌い方が伴奏する方にはそのまま伝わりませんから(人が違うのだから、分からないのが普通です)、普通のやり方でなくちょっと変わったことをされると伴奏は大変弾き難いのです。まあここら辺の微妙な部分についてはオーケストラの経験のある方でないと分からないと思いますが。(話に聞くだけでは難しさはおわかりいただけないです)リートの伴奏だったらとても素晴らしいものになるのでしょうが、オーケストラの場合はうまく行かないところもあります。自由に弾くと行っても、オケは合わなければいけないわけで、どこかに合わせる(テンポ、音程だけでなく、弾き方、音楽性、音色にいたるまでリアルタイムで合わさなければいけない)という神経を要求されるから、ソロのように夢中で弾いても良いものにはならないのです。そこをうまくコントロールするのが指揮者の腕です。
先生のアイデア(音楽的)はとても面白いし素晴らしいと思います。でも弾いているとナチスの将校に監視されながら弾いているような気持ちになるのです。(棒の技術がすごいので、全て棒で指揮されるのがかえってこちらはがんじがらめにされている気になる)
ヴァイオリン協奏曲は出だしがちょっとスリルがありましたが、進むにつれて良くなってきました。カデンツァなど普通とは全然違う弾き方で聴いていて面白かったです。会場練習の時、私はこれは練習だからこう弾いているのだろう(さっぱりとしてどんどん進んでいく感じ)と想像していたのですが、本番でも同じでした。さすがにこれにはびっくりしました。
ただこれだけは言えると思いますが、今日の演奏は決して悪いわけではありません。むしろN響の演奏会としては良い方に入ると思います。ただ余韻の質が気になるのです。


11.18

今日もみっちりスコットランドで絞られました。テンポの変わり目など何度もだめを押されました。練習が終わったらクタクタです。普通ならすっと通り過ぎるところを何度も念をおされた感じです。聴いていらっしゃる方も疲れるのではないかと人ごとながら気になります。今日のソリストマーク・ペスカノフさんはとても大きい人でヴァイオリンが子供のおもちゃのように見えます。体の大きい人は音がそれほど大きくない場合が多いですが、今日もそうです。最近ヴァイオリン協奏曲ではボリュームのある人が続けて来ているので今日はあまり大きく聞こえませんでした。
得意中の得意のメンデルスゾーンで名古屋、岡山定期をやるので、こちらの皆さんもサヴァリッシュ先生を堪能できると思います。22日に名古屋、23日に岡山です。またモバイルをしないといけないです。


1997.11.17

今日は「スコットランド」と「フィンガルの洞窟」を練習しました。さすがに得意な曲だけあって初めから力が入っていて、スコットランドの初めのところなど何度もやり直しをさせられました。ただでさえメンデルスゾーンは弾く曲ではなく聴く曲だと言われているのに、その上息苦しいほどの緊張感で練習が終わったらぐったり疲れました。ちょっとしたルバート(歌いまわし)でも細かくやり方を指揮され、説明されました。さすがにサヴァリッシュ先生の真骨頂です。

今日夕方からオロブニコフというロシアのピアニストの公開レッスンを聴きに行きました。日本では全然知られていませんが、ピアニストとしても教育者としてもなかなかの人でした。リストの「ダンテを読んで」のレッスンでしたが、自分でもどんどん弾き、弾き方の説明もなるほどというところの連続でした。この曲の知らなかった側面を色々教えられました。


1997.11.16

この次のメンデルスゾーンプロはサヴァリッシュ先生の一番良いところが出るのではないかと、期待しています。「スコットランド」というのは弦楽器は難しくはないのですが、大変なのです。詳細は明日ご報告します。

ところで今日もATOKをずいぶん使ってみたのですが、変換の精度はとても良いと思う反面、動作は首をひねる部分がまだたくさんあります。一度変換したものを修正する場合、キャレットが動かないことがあると書きましたが、動く場合と動かない場合があり、どういう条件だと動いてどうだと動かないのかずいぶん色々やってみましたがつかめません。最初にインストールした後、再起動してそれまで使っていたEGBridgeからATOKに変えようとしても変更できないということもありました。再度インストールしてもやはり駄目でした。それは不思議なことにいつの間にか直っていたのです。それから自動変換に設定して、句読点を打っても変換されなかったりして。(今は直りました。これも突然)何かベータバージョンをそのまま市販しているような印象です。また、ある文節を修正しようとするとそこから終わりまでが全部ひらがなに戻ってしまうのはすごく使いにくいです。EGBridgeのようにある文節を修正したい場合その文節だけを修正できるほうがずっと能率的です。それにEGBridge風を選んでも文節の伸縮と選択文節の移動のキー設定がEGBridgeと反対になっているのは納得できません。変換の精度だけは評価できますが、結局使い難いなというのが今日の結論です。この文章も結局EGBridgeで書いています。(単に慣れの問題かな?)


1997.11.15

今日は午後2時から夜の9時まで市響の練習に付き合いました。2時から4時半までは私の家でパートリーダーの人たちが集まって練習し、5時から7時まで弦練、7時から9時まで全体練習をしました。私の家での練習では問題になるところを全部ゆっくり練習しました。ゆっくりから段々と速くする練習を徹底しました。2時からの練習で私も疲れましたが(家での練習の時から私も一緒に全部弾きました)、市響の人たちも大変だったと思います。これだけ一生懸命やるのはそれだけで立派なことです。これだけ熱意があるのだからなおのこと上手くなって欲しいと思いました。練習をもう少し徹底するといいなというのが第一印象です。でも今日の練習の成果は7時からの全体練習の時にちゃんと出ていました。やはりやって良かったです。今日は4曲のうち2曲しか出来なかったので、急遽29日に残りの2曲を同じように練習することになりました。
この調子で行くと本番は結構うまく行くかもしれません。楽しみになってきました。
今度の定期はBと名古屋、岡山定期です。こういうやり方がこれから増えてくるのではないかと思います。東京の定期と同じ曲を東京以外でもやるのは良い試みだと思います。うまくいって欲しいです。

ところで昨日ATOK11(Macintosh版)をインストールしてみたのですが、なかなか良い出来のようです。実は前のATOK8の時によい印象がなかったので(製品の出来よりもジャストシステムのサポート、サービス体制が気に入らなかった)使う気がなかったのですが、今回のATOK11は今のところすごく良いようです。はじめは「自動変換」に設定しても、句読点を打っても漢字に変換されなかったり、文字の修正の時キャレットが移動しないなどの問題があったのですが、いつの間にかちゃんと動作するようになりました。いろいろ機能が付いている割には遅くないです。EGBridgeの新しいのがどの程度の機能があるか分かりませんが、これは来月に手に入るでしょう。こちらも早く試してみたいです。


1997.11.14

全体的には昨日の方が出来が少し良かったようです。終わったときの会場の雰囲気は今日はしんみりしているという感じで、とても良かったです。芸大の合唱はやはり良かったです。(もちろん昨日書いた部分は依然として気になりますが)どなったり地声で歌う感じのないのが良いのです。声の質が悪いと聴く気が起きないからです。
今度はメンデルスゾーン・プロです。これはずっと弾きづめで弦楽器にとってはとても大変な曲です。

ブーイングについての考察 4

さていよいよブーイングの本題に入ります。ブーイングというのは本来聴衆が演奏家の演奏に許せない怠慢があると思ったときに許されるものだと思うのです。演奏が気に入らないとしてもそれが趣味の問題の範疇に収まっている場合はブーイングという行為にでるのは間違っています。なぜならブーイングはそれをする人と演奏家との間だけの問題ではないからです。お金を払ってそこに来ている他の人に対して、単に自分の趣味に合わないからブーイングをするというのは、演奏会に金を払って来ていても許されない社会人としてのマナー違反だと思います。
今までいろいろ書いてきたのは、演奏会で自分がある印象を持ったとしてもそれはどこまで根拠のあるものかわからないということをいいたかったのです。もちろんいろいろな意見を持つことは当たり前ですし、それを表現することはちっとも悪いことではありません。またその意見から我々も得るところが沢山あるのだから、それを教えていただくのはとても良いことなのです。ですがその印象を表現する手段のうちでブーイングというのは最後で最悪の手段です。途中で黙って退席する、拍手をしない、N響宛に苦情の手紙を書く、演奏家に苦情の手紙をよこすなどいくらでも方法はあるのです。
またその演奏を聴いて楽しんでいる人に対して失礼です。(その人たちも高い金を払って演奏会を聴きに来ているのです。)自分が分かったつもりでいても物事にはいろいろな断面があるのです。その時の判断が正しいという保証はありません。人によって違う印象を受けることだってあります。それなのに演奏会をブーイングでだめにするのはマナー違反です。印象を発表することは良いことですが、ブーイングのように「駄目」というレッテルを1発かますというのはそれをやる人の品性の方を疑われるほうが多いです。
演奏会の時1回限りで受けた印象は、それ自体はとても貴重ですが、判断の根拠という点については今まで3回にわたって書いたように信頼の置けるものではないのです。(私について言うと私は人の演奏を1回限りでは絶対に判断しません。最低3回位は聴かないとわかりません。)
今までN響の演奏会でブーイングのあったときで、それがもっともだと思ったことは一度もありません。N響の演奏会ではありませんがN氏、C氏の演奏会など私が聴きにいってちっとも良くないどころかこれこそブーイングものだと感じました。とても真面目な演奏家の態度だとは私には映りませんでした。(でもブーイングは私はやりません。こういう演奏をする人はそのうち消えていくのです。私がブーイングなどしなくても。)ところがそう言うときに限ってブーイングは起きないのですよね!これが私には信じられないのです。その演奏会だけ聴きに来ていなくて、ブーイングのあった演奏会だけ来ているというのも信じがたいです。
結論:N響がもっと良くなってほしいと思うならブーイングでは良くなりません。N響に愛想を尽かしているのだったら、もう聴きに来ないでください。

一応結論のようなものを出しましたが、まだ言いたいことは山ほどもあります。考えがまとまったらまた書きます。(楽器と演奏家、演奏家の得意不得意、音楽の聴き方、感想の表現等色々なことが思いつきます。特に音楽の場合に根拠のない批評[批評にもなっていないケースの方が多い]が目につくので)


1997.11.13

今日の「ドイツ・レクイエム」はなかなか良かったと思いました。ソロの2人は持ち味がかなり違う感じですが、ともにきれいでした。合唱は高い音程が少し低めになるのが(と同時に高い音がちょっと苦しい感じ)気になったのですが、全体は良かったです。

ホルンの樋口さんのホームページが立ち上がりました。実はかなり前に作ったのですが、アップロードがうまく行かずやっとちゃんと見られるようになったそうです。(私の環境ではNetscapeではちゃんと見られるのですが、InternetExplorerでは写真が表示できません。)ホルン情報などがあります。是非ごらんになって下さい。

ブーイングについての考察 3

今日は昨日の予告通り指揮者とオケの関係を書きます。
よく批評を見ると指揮者が偉くてオーケストラはそれについていくものというような記述(そういう印象を与える)があります。確かに指揮者の言うことに無条件でついていけるような超大物指揮者もいますが(前に挙げたような人たち)、普通の指揮者の場合オピニオンリーダーである指揮者の言うことについていきますが、演奏するときにその指揮者の言うことに全面的に賛成してついていっているわけでもないのです。実際練習の時と本番では全然違うことをする指揮者もたまにはいます。こういう指揮者の場合我々は合わせることに神経を使うために思いきり弾けず、聴いている方からN響は一生懸命弾いていないとお叱りをちょうだいするわけです。(良い指揮者の下で皆が一生懸命弾けたときにはオケが一生懸命に弾いていたという批評はしていただけないのです。そのようなときは指揮者が良かったの一言で済まされるのです。私たちだってその時は一生懸命弾いているのです。)私たちに言わせれば合わせることに気を使わないで良いような指揮のできない、指揮者に問題があると思うのですが、このようなことはお客様の方から見ていても絶対に分からないのです。(なぜなら練習の時どうしていたかは練習に立ち会った人しかわからないからです。)だから指揮者が恰好をつけて指揮しているとお客様からはいかにも指揮者は一生懸命指揮しているように見えるでしょうが、練習から付き合っている私たちはオケの中でずれないようにすることに無駄な神経を使わされるのです。このような演奏を聴かれると、指揮者は一生懸命指揮しているのに、オケはちっともついていかないように見えるのです。
勿論オケに問題がある場合もあります。私たち自身が反省すべき部分もたくさんあることは分かっています。単純な弾き間違い、また他のパートとうまく噛み合わない場合など我々自身で解決すべき問題もあります。(これにも指揮者の合図がおかしいのでうまく事が進まないということもないわけではないが!)ですが、演奏が良い時は指揮者が良い、演奏が悪いときはオケが悪いというのはおかしいです。あんな指揮をしているのにN響だからずれないですんだということだってあるのです。
勿論こういうケースは稀なケースですが、ないわけではないのです。またこういう場合に限ってオケの演奏態度が悪いという批評をいただくのです。(まあ演奏が良くならないのだから文句を言われるのは当然でしょう。問題は誰が悪いかです。)指揮者は自分で音を出さないので、指揮がよく分からなくて間違ったタイミングで音を出した時悪いのはプレーヤーということになるのです。素晴らしい指揮者の場合は不安感なく弾けるように指揮をしてくれるので、こういう問題は起きません。ごちゃごちゃ色々な注意をしなくても私たちをその曲の世界に導いてくれる大指揮者は少数ですが、いるのです。
また最後にオーケストラの団員が夢中になって弾いていないということを言う方がいますが、オーケストラは弾くことと同時に合わせることも仕事なのです。(オーケストラは自分の弾きたいように弾くものではなく、指揮者の言うように弾くものだから、ソロを弾くときのように自分の思った通りに弾けるものではないのです。テンポだって自分の自由にならないし、表情だって指揮者の言ったようにしか弾けないのです。オケの団員が夢中になっていないと言ったってそれは当たり前でしょう。)夢中にソリストのように弾いていたら他の人と音色も溶けないし、表情もテンポ、リズムも合わせられません。たしかにN響の演奏はクールすぎることもありますが、オーケストラというものは髪を振り乱して演奏するものではないのです。(そのように見えるのはパフォーマンスであって実際はクールに自分の音を聴いていますし、聴いていなければいけないのです。)特に協奏曲の時にソロと同様に夢中に弾けというのは演奏というものが分かっていない人の言うせりふです。(そんなふうに弾いたらオケはソロの邪魔にしかならない。前にも書きましたが、ソロ・ヴァイオリン1人に対してオケのヴァイオリンは26人いるのですよ。ソロの楽器がどんなに良くてもオケのヴァイオリンがソロと同じに弾いたらソロの音など消されてしまいますよ)
一応そろそろ結論をかいたほうが良いと思うので明日私の意見をまとめるつもりです。(書いているうちに気が変わるかもしれませんが)(続)


1997.11.12

今日はソロ付きで練習しました。ソロは見事でした。合唱の芸大はプロの合唱団に負けずとも劣らない出来です。(いつも芸大が来るとそう思います。)この歌の良さもあるし、サヴァリッシュ先生のこの曲に対する思い入れの深さも相まってなかなかの熱演になると思います。(ちょっと息が詰まるという感がないわけでもないですが)

ブーイングについての考察 2

今日は「良い演奏とは?」ということについて書きます。
音楽というのは基本的に生きていることの楽しさうれしさを表現するものだと思うのです。ですから、活き活きしていて(リズム感テンポ感ともに停滞しないこと)自然で、みずみずしく充実していることが絶対条件だと思うのです。良い演奏は必ずこの条件を満たしています。テンポが速くてもそれが活き活きしていることにはつながらないし、反対に遅いから駄目だということでもありません。これは感覚の問題で判断は個人に任されます。
これは演奏する側の問題ですが、良い演奏というのは演奏する側だけで決まるのではないのです。私が人の演奏会を聴きに行くときにいつも感じることですが、その日の演奏会をどう感じるかはその時の自分の体調や心理状態に非常に影響されます。似たようなことは同じCDを聴いても日によって受ける印象が違うことからも分かります。「そんなことはない。良い演奏はいつ聴いても良い。」という方もいらっしゃるかもしれませんが、私に言わせればそれは音を聴いているのではないのだとしか言えません。あるときは台所の包丁の音が妙に気になったり、今日は何が起こっても気にならないなどということはよくあることでしょう。音楽を聴くときだけいつも冷静に同じ状態で聴けるなどということは絶対にありません。
また演奏を聴くときたとえば昔ショパンのピアノソナタの3番を聴いて感動したとします。それは音楽以外の色々なことで妙にそれが印象に残るということもよくあります。(たとえば昔の彼女と聴きに行った演奏会のメインプロがそれだったとか、とても高いチケットを買って聴きに行った演奏会で弾かれていたとか)その色々な条件が混じってその時の演奏がすごく印象に残っている(感動した)とすると、他の演奏会に言って同じ感動を得ることは出来ないでしょう。つまりその音楽に感動しただけでなく、その時の他の条件にも感動しているからです。そうなると感動した原因は非常に個人的なもので、他の人には通用しないものです。
何が言いたいのかというと、そういう昔の経験が大切でそれが壊されたくないのなら、その曲は演奏会では聴かないことです。自分が良いと思うCDだけ聴いて生の演奏会など聴かなければよいのです。そうすれば自分の夢も壊されません。
ブーイングとの関係がどうなっているのかと思う人もたくさんいらっしゃるでしょう。ブーイングの話の前に演奏とはどういうふうに成り立っているかを説明しないといけないので、もう少しこのような話が続きます。
明日は指揮者とオーケストラの関係についてです。(続)


1997.11.11

今日は午前中オケのみの練習があり、午後から芸大の合唱が練習に合流しました。

 

いつものことなのですが、狭いところにオーケストラと合唱が一緒にはいるので換気が追いつかず、空気が悪くて困ります。合唱のところでは暑くて大変なようです。合唱が座っているところは普段管楽器が座っているところです。つまりその分前の方に移動しているわけです。右の写真は午後の練習の時サヴァリッシュ先生が登場したところです。合唱から思わず拍手が起こりました。
今回の演奏ですが、サヴァリッシュ先生のもっとも得意とするジャンルですから、先生の良さがとてもよく出ています。オペラとか宗教曲など合唱のつく曲があると思い入れが強いようで、いつもオーケストラだけの曲以上にすごく一生懸命に練習されます。先生は特にフレーズをきれいにつなぐことを強調されます。今回もフレーズの長さを意識するように何度も注意されていました。またフレーズ感を表現するようにも注意されます。「Quite natural!」と何度も注意されました。また色々なところデルバートをするので、「You must follow me.」だそうです。

ブーイングについての考察 1

最近色々な演奏会でブーイングがあるようです。ブーイングというのは本来聴衆が演奏家が聴衆を馬鹿にしている演奏をしていると思ったときにやるものです。つまり聴いていて許せない演奏家の怠慢があるときにするものです。
ところで演奏を聴くとき何を求めてお聴きになりますか?まず実演を聴くのとCDを聴くのとは根本的に異質なものです。なぜかというとCDを聴くのはミスがない状態になったものをさらに編集してあるのですから1種の作文を聴くようなものです。一方実演は何が起こるか分からないがその時限りの演奏を聴こうというものです。そこでCDを聴いて自分が作ったイメージ(そのイメージ自体がいくつものテークをへてとられたテープを編集して出来たものから得たものであることを忘れないで下さい)を実演に求めたって無理なのです。テレビの「NG大賞」などを見ても分かるように1つの出来上がりを作るのにどれだけ没になったものがあるかを考えて下さい。実演というのは普通なら没になるものまでご披露しているのですから、CDと較べて実演がミスが多いのは当たり前です。そのミスまで含めて生のスリルを味わうのが演奏会に行くということなのです。
もう一つ演奏を聴いて得た感想というのは非常に個人的なものであるということ、また演奏をどう聴くか(出来上がった自分のイメージを満足させる為に演奏を聴こうとするのか、新しい演奏を求めて演奏会に行くのかということ)という問題もあります。また演奏会にいらっしゃった特定の人と同じように他の方も(NHKホールなら一杯入れば3000人近い人が入ります)お金を払って楽しみに来ているという事実もあります。このような色々な問題についてはまた後日書きます。
今日私が言いたかったことは同じ演奏家の演奏でも録音して編集されたものは(編集していないライブ録音は別)極論すれば一種の虚像だということです。(続く)


1997.11.10

今月サヴァリッシュ先生が登場してからサヴァリッシュ先生への応援のメールがとても多いです。特にこの前のシューベルトのグレートの演奏が好評でした。私の個人的趣味とは少し違う方向なので聴いていて「?」を感じたのですが、勿論素晴らしい演奏だと思います。ただもうちょっと楽に弾かせて欲しいなということなのです。でも楽に弾かせないからあの迫力が出るわけでもあり難しいところです。明日からまた私は社会復帰(今度は出番ということです)するので、サヴァリッシュ先生の勢いに呑まれないようにしないと!

これはごく当たり前のことなのですが、ヴァイオリンを弾いているとどうしても左手のことが気になります。そうすると右手が置き去りにされどんどん左手のことばかりに集中していきます。こうなるとアリ地獄の様なもので、何をやってもうまく行かないのです。ここで右手の方、それからヴィブラートのことに集中すると左手がうまく動いたりするのです。大きな音を出そうと思ったら力を抜いたほうが良いのと同様です。一つのことだけに集中しすぎるとかえって良くないのです。家庭もたとえば奥さんだけが一生懸命でも旦那がずっこけていると駄目なのと同様、ヴァイオリンも右手と左手の協同作業の賜物なので、片手だけに負担をかけてはいけないのです。アマチュアの人は特に左手に自信がないのでいつも左手がちゃんと動けば弾けると思うようですが、左手が動いても右手とハートが動かなければいい演奏にはなりません。曲に対してはっきりとしたイメージをもって音にしていき、かわいそうな左手を解放させてあげましょう。


1997.11.09

朝新聞の番組欄を見ていたら「若き日のメータ」(だったと思う)というのを見つけて慌ててFMをつけたらツァラトゥストラをやっていました。音が柔らかくきれいでなかなか良い演奏でどこのオケかなと思ったらロスアンジェルスでした。N響にいらっしゃったときも同じように感じたのですが、あの音はメータ氏の音なのですね。あの時はメータ氏のお父上の入院騒ぎで曲目変更(来日が遅れるので練習の日が1日減ったので曲目が変更になった)がありとても残念です。今度はたっぷり時間をとって、やって見たいです。指揮者が素晴らしいと違うオケのように聞こえます。
その意味ではサヴァリッシュ先生のように毎年来られると(今回は珍しく2年ぶりですが)オケの方も馴れがあって新鮮味に欠けるというところがあるので、いつもサヴァリッシュ先生はそれを用心してオケを締めるのだと思います。それが上手く噛み合わないと指揮だけが先を行ってしまうような感じになるのです。それでもこのように指揮されるのだから大したものです。さすがに20年以上もいらっしゃているので(私が入団する前からいらっしゃっています)N響のことは手に取るように分かっているのです。今度はあさってから「ドイツ・レクイエム」です。


1997.11.08

今日も衛星放送の実況中継を一部分聴きました。印象はやはり昨日と同じです。久しぶりのシューベルトのグレートで面白く聴きました。サヴァリッシュ先生のいちばん良い面の出るのはやはりドイツ音楽、それも今回取り上げているシューベルト、ブラームス、メンデルスゾーンが特に得意なのでしょう。よく考えられているというか手の内に入っているという感じの指揮でした。
夜10時からN響アワーを見たのですが、さすがにスヴェトラーノフ先生の指揮は素晴らしかったです。特別なことはしていないのに「スラブ行進曲はこうでなくちゃ」という説得力があります。N響の音も柔らかくて充実していて9月の定期を思い出しました。お元気でまた来ていただきたいです。同じ指揮者でもロシアのオーケストラの時はそれほど良くなかったという話も聞きました。N響は指揮者の要望をとてもよく受け入れるオケなので、指揮者としてはやりやすいオケなのでしょうか。本国ではとても怖いそうですが(N響アワーの中で中村紘子氏がそう言っていました。)、日本ではいつも機嫌が良かったです。
今月の定期もCは終わりました。次はA定期、ブラームスの「ドイツ・レクイエム」です。サヴァリッシュ先生は歌付きの曲はとても好きなようで、ソプラノ、バリトンのソロと合唱のつくドイツ・レクイエムなどとても張り切って指揮されると思います。今回は合唱が東京芸大なのでこの点も楽しみです。芸大の合唱はいつもとてもきれいです。指導が良いのでしょう。いつも芸大だと安心して合わせられます。


1997.11.07

今日の定期はグレートの1,2楽章のみFMで聴きました。(3楽章になったところで電話がかかってきてそこまでしか聴けませんでした。)聴き始めたときの第一印象は、いかにもサヴァリッシュという演奏だったということです。全てを計算し尽くしているという感じの演奏で、良くも悪くもサヴァリッシュ先生の特徴です。今日聴いている感じでは思ったほど指揮とオケが合っていないなという感じが強かったです。でも音を聴いているとサヴァリッシュ先生の姿が想像されました。
今日のFMの音の感じは普段ステージで感じるのとは全然違う種類の音でした。やはり演奏は指揮者とオケの協同作業の結果だということを再確認しました。(端的に言うと指揮者の意欲がオケの先を行き過ぎているという感じなのです。)この次のブラームス、メンデルスゾーンの時どうなるのか楽しみです。


1997.11.06

指揮者というのはオピニオン・リーダーです。80人くらいの人を一つの方向に向けて動かすオピニオン・リーダーです。そういう人でも欠点がないわけではありません。でも欠点が魅力になるような人(あばたもエクボ)がいるのです。良い指揮者と言われる人は皆そうです。日本ではオピニオン・リーダーがいるとすべてその人のおっしゃることはご無理ごもっともで通ってしまいますが、ヨーロッパのオーケストラではプレーヤーは日本の場合よりもっと強力で、意見が合わないとちっとも指揮者に協力しません。(そのかわり常任指揮者などの場合強力な人事権を持っているのでそのような人は即刻そのオケは首になるでしょう)
そういうところで仕事をしている指揮者にとってはハッタリであっても自分の言うことを強く押し出すのは当たり前です。それは身を守るための術なのです。それを日本では指揮者様のおっしゃることは大先生の教えと同じで必ず守らなければいけないと思われています。オーケストラも指揮者と同じ一つの人格です。指揮者とオーケストラとの間は主従の関係ではないのです。良き協力者です。(勿論素晴らしい指揮者の場合オーケストラが無条件で従うような場合も勿論あります。でもそのようなケースは稀でしょう。N響でも年に1度あるかないかぐらいです。)

ここずっと指揮者とオーケストラのことを書いてきましたが、これはオーケストラについての誤解が余りにも広く流布しているので書いたのです。オーケストラは政府と同じようなもので、指揮者は首相、各主席は大臣のようなものです。誰も政府が一枚岩で動いているなどと信じないのと同じように、指揮者とオーケストラも一緒に動くこともあれば、そうでないこともあるのです。(政府に較べれば、中の不協和音はずっと少ない。でも完全にないわけではない。)音楽の世界だけ「指揮者が一番偉い、オーケストラは指揮者の言うことは全て聴かなければいけない」と要求する理由などないでしょう。指揮者が偉いと思われているのは指揮者が音を出さないから、間違えてもお客さんには分からないからです。振り間違いでオケが弾き間違えると、いつも間違えたプレーヤーが下手だと言われてそれを誘った指揮者のことは誰も言わないのです。気がつかないから。勿論弾き間違いの7割方はプレーヤー自身に責任のあるのですが、棒にも責任があるケースは結構あるのです!
またいくら巨匠でも前でオケが音にしてくれなければ演奏会は成り立たないのです。だから良い指揮者は拍手を自分の手柄にしないでオーケストラにも分けてくれるのです。


1997.11.05

超一流の話の続きです。3人に共通しているのは、練習しているときに少しも変わったことをしないことです。あるフレーズを練習しているときにそのフレーズの弾き方が指揮の雰囲気から理解できてしまうのです。こういうことの出来る指揮者は少ないです。また弾き方について意表をつくようなことも言いません。ボーイングも細かいことはオーケストラに任せてくれます。ただこういう雰囲気で弾いて欲しいというだけです。当たり前のことを当たり前にちゃんとする、これが超一流の人の特徴です。指揮の技術が上でも人を信用できない人は細かく振らないと気が済まなくて、その棒を見ているだけで疲れてしまうのです。
弾いている側に自発的に弾いているような気にさせながら実は自分の手中におさめている、お釈迦様みたいな人が本当の良い指揮者です。弾いている側はちっとも疲れずに弾けるのです。(疲れるというのは精神的にいらぬことに気を使って疲れるということで、勿論肉体的には一生懸命弾けば疲れます)
また驚くべきことに練習時間が少なくてもそれなりにすぐ曲をまとめられるのです。曲にもよりますが、初めて弾く曲でも2日あればそれなりにまとめてしまいます。でも日数があればもっと深く、初めには想像もしなかった様なレベルまで連れて行ってくれるのです。(大したことのない指揮者だと2日目にはもう言うことがなくて単なる時間つぶし、思いつきの練習しか出来なくなります。)これはオケの技術を初めに通して弾いたときにすぐ見抜き、どこまでこのオケが行けるか分かるから出来るのです。また特に違うのが音色です。よく響きよく伸びる音を出させてくれるのです。つまりオケの潜在能力を発揮できる人が巨匠なのです。
ぴりぴりするような演奏というのは言ってみれば恐怖政治です。まあこれも指揮者冥利には尽きるでしょうが、こういう演奏ははっきり願い下げです。人をがんじがらめにしないときのすまない指揮者は技術が見事でも演奏の質は良くないです。(聴いている人も苦痛ですし。)そう言う演奏を後でN響アワーなどで見てもちっとも魅力的に聞こえません。
勿論演奏の質について我々プレーヤーに最も責任があるのは確かです。でも演奏の良くないときにどこに責任があるのかという問題について、批評など見ると見当違いなことを書いている人は多いです。(批評といえばその昔リサイタルで弾きもしなかった曲の批評が平然と載っていたというふざけた話があるのです。また「批評は弾くことでプロになれなかった人がやることだ」と言った某ピアニストの言葉もあります。)本当のところなど演奏会だけ見て分かるはずがないです。なぜなら練習の時と本番ではテンポが全然違うということなど日常茶飯事です。演奏会だけ見ればオケはなぜついていかないのだろうかと思うでしょうが、練習の時はそんなふうに指揮していなかっただけです。オケが悪いと言っておけば一番楽ですが、事実は違うということも多いです。演奏が良くなかったという部分については認めても、それはオケが悪いか指揮者が悪いかはたまた両者がともに悪いか等は外から見て分かるはずがないです。自分の出なかった定期の演奏会をテレビで聴いていても、自分のいるオケのことでも分からないですよ。まあこれは演奏会の始まる前に我々と指揮者の間で解決すべき問題なのですが。


1997.11.04

昨日のオーケストラの話の続きです。聴いていらっしゃる方もよく感じると思うのですが、同じN響でも指揮者が違うと演奏が全然違い、これが同じオーケストラ?と思うくらい違うこともよくあります。私が今まで弾いた中で印象に残る指揮者は、ノイマン、ブーレーズ、メータの3人です。共通しているのは皆虚勢を張らずに肩から力が抜けた指揮をしていて、こちらは振られた通りに弾くだけですごく良い音楽になるし、指揮者が何をしたいかがよく分かるということです。N響にいて一番良かったなと思うのはこういう指揮者に振っていただけることです。またこういう超一流の人たちは演奏会が終わった後オーケストラを讚えて下さるのです。誰の言葉かは私は知りませんが、「指揮をしたのは私でも、演奏したのはオーケストラだから」良い演奏が出来たときはオーケストラを褒めて下さるのだそうです。決して自分だけがスターとして振る舞うようなことはなさらないのです。こういう指揮者だと演奏して良かったなと心から思います。もっともこういう超一流の指揮者の本音を聞く機会があったらさぞ怖いだろうとは思いますが。

学生音楽コンクールのピアノ部門小学校と中学校の部が開かれました。
ピアノ部門小学校の部
1位:三木美和子((市原市立清水谷小6年)
2位:三又瑛子(聖ドミニコ学院6年)、鬼原良尚(森村学園初等部4年)
3位:須藤梨菜(宇都宮市立昭和小4年)、文京華(仙台市立桂小6年)
ピアノ部門中学校の部
1位:佐藤卓志(秋田大付属中2年)
2位:高橋いつき(埼玉大付属中2年)
3位:古川まり子(横浜市立荏田南中3年)


1997.11.03

久しぶりのサヴァリッシュ先生の演奏会はお客さんにはとても受けていました。サヴァリッシュ先生の人気は大したものです。今日のゲネプロでは昨日までの練習とはかなり違った振り方をしていましたし、本番はまたテンポも表情も全然違いました。昨日 ff に入るときほとんどゆっくりしないでいくと言ったところも今日ははっきりテンポを落としていました。弾いている側から言うと7番のテンポが「?」でした。1楽章の主部と3楽章がすごく速いというか急がされている感じでした。4楽章はそれほど速くなかったですが。次はシューベルト・プロです。

あるところでソリストが一生懸命弾いているのにオーケストラの人は何であんなにクールに弾いているのですかと聴かれたので、この点について書きます。協奏曲というのはソリストが主役になって成り立つものです。協奏曲の場合オケのヴァイオリン奏者は普通第1ヴァイオリンが14人、第2ヴァイオリンが12人です。つまりヴァイオリンだけで26人いるわけです。たとえばヴァイオリン協奏曲の場合に全員ソリストと同じように弾いたらどうなると思います?ソリストがどんなに良い楽器を持っていても、オケだってそれなりの楽器を持っているわけですから、大抵の場合オケが思いきり弾いたらソロの邪魔にしかならないのです。我々の一番の任務はソロの邪魔をしないことなのです。(ソロがソロらしく聞こえるようにオケは遠慮する。)たとえばオケの中で弾いているとソロの細かい動きが聞こえて来ない場合もあります。こういう時はどうしてもオケは音を抑えます。それが行き過ぎになって、「弾かな過ぎ」になる場合もあります。これをオケが一生懸命弾いていないというのは当たっていないと思いますが。(こういう場合我々はピリピリしているのです!)
これはピアノ伴奏の場合も言えることで、伴奏はソロの引き立て役なのです。それの分かっていない伴奏者は単なる邪魔者なのです。
協奏曲の伴奏について言うと、指揮者によっても得意不得意があり、交響曲はとても良くても協奏曲になると余り上手くない人も結構いるのです。カデンツァの終わりにオケが入ってくるときの合図を出せない人もいるのですよ。こういう場合こちらはコンサートマスターの合図に合わせて指揮者抜きでソロにつけるのです。(合わないときに文句を言われるのは我々ですから。)

一昨日昨日と学生音楽コンクールのヴァイオリン部門の全部とピアノ部門高校の部の東京大会がありました。
ピアノ部門高校の部
1位:石田えりか(東京芸大付属高校1年)
2位:松内望美(東京音大付属高校1年)
3位:須藤千春(横浜雙葉高校2年)
ヴァイオリン部門小学校の部
1位:橋森ゆう希(大宮市立大砂土小4年)、伊藤麻耶(草加市立谷塚小6年)
2位:山岸努(千葉市立上の台小6年)
3位:滝千春(小金井市立前原小5年)
ヴァイオリン部門中学校の部
1位:白異形(藤沢市立鵠沼中3年)
2位:千葉佐屋か(川崎市立長沢中2年)、丹羽紗絵(世田谷区立梅丘中3年)
3位:鈴木香織(新潟市立関屋中3年)
ヴァイオリン部門高校の部
1位:傳田正秀(武蔵野高3年)
2位:大宮臨太郎(桐朋女子高1年)
3位:榎本麻衣子(同2年)
1位の人たちは23,24の2日間紀尾井ホールで行われる全国大会に出場します。


1997.11.02

サヴァリッシュ先生は今75才くらいだと思いますが、とてもそのようには見えない元気さです。皆他の指揮者と較べて練習の後疲れるという意見でした。私もそう感じます。
今回久しぶりにハイドンの曲を弾きます。(前回いつ弾いたか記憶にありません。そのくらい弾いていないです。)ちょっとしたフレーズも物すごく気を使わないといけない難曲です。技巧的には大したことはありませんが、音楽的には大変です。モーツァルトとも違います。久しぶりにこの難しさを体験させられました。レオノーレの序曲は1〜3番どれも最初はGの長い音で始まり、これは「?」という気持ちの表現だそうです。曲としては3番の方が面白いですが、1番にはそれなりの意味があるのでしょう。
7番の交響曲についてはのリズム感については何度も注意されました。との違いも特に重要視されていました。確かにベートーヴェンははっきり使い分けています。今回の先生の指揮では、crescendoしていって、ff (フォルティッシモ)になるところもritardandoせずにin tempoで行くところが多いです。また同じことを2度目に弾くときのエコーもやりません。譜面の通りに弾くのを徹底しています。
とても緊張感があってその意味では素晴らしいのですが、もう少し楽に弾かせてもらった方が音の伸びが良いように感じるのですが?でもそれではサヴァリッシュ先生らしくないことも確かです。[ブラームスの4番など全楽章attacca(楽章の間に休みをいれずに続けて弾くこと)で弾かせたりする。]いずれにしろN響らしさが出た演奏になるでしょう。


1997.11.01

2年ぶりのサヴァリッシュ先生はとても元気で、初めからこちらはあおられっぱなしでした。ベートーヴェンの7番から練習が始まりました。こういう曲だと初めから細かいところに注文を連発し、とても元気いっぱいでした。練習の始まる前は少し年をとられたかなと思ったのですが、物すごく元気でした。前にも書いた口癖の「Believe me!」「Follow me!」「Help me!」を何度も聞かされました。また見事な棒さばきは健在でした。これだけ細かく振れる人は滅多にいないと思います。
指揮者と我々とはいつもテンポ感の問題でいつも食い違います。微妙な問題なので文章に書くことは出来ませんが、"In Tempo"ということの意味が食い違っているのです。ここにクラシック音楽の神髄の部分が隠れているように感じます。(この問題はもっと書くと必ず誤解されるのでここで止めておきます。)

N響の終わった後、市響の練習に付き合いました。複雑なリズムはまず歌えるようにしてみてください。歌えるようになったら弾けますよ!(「寄港地」の8分の5拍子)