2000年6月分ひとりごと  


このページは私の日記のようなものです。私の感じること、周りで起こったことを書きます。


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6.30

 このところ書いている新曲について、今日は何通かお返事をいただきました。不思議なことに皆さん私と同意見でした。作曲関係の方からお叱りのメールを頂くと思っていたのですが、全然反応が無いのが拍子抜けでした。
 更にもう一言余計なことを言うならば、曲の長さと内容の関係です。ワンパターンでずっと同じ事を30分も続けられると誰でもウンザリします。私達が曲目を選ぶときに最も重要視するのは多様性です。同じネタでずっと引っ張られると、聴いている方は苦痛です。もう一言言うと聴く側は演奏する方ほど1つ1つの事にこだわっていません。ですから作曲も作曲家自身が問題にしていることは聴く側も弾く側も問題にはしていないのです。聴く側も弾く側も生命力と充実感が欲しいのです。もしそれが間違っているのだとしたら曲でそれを表現して下さい。聴衆を納得させられなければ作曲界の将来はありません。

 今日はPowerbookを再起動させたら、立ち上がって行く過程でメモリーがたりないというメッセージが出てシステムエラーになります。立ち上がって行く過程でサウンドマネージャーのメモリーがたりないというメッセージが出てシステムエラーになります。サウンドマネージャーに問題があるようで、9.0.4に入っているサウンドマネージャー3.6.4ではインストールしたばかりのシステムでもエラーが起こります。9.0.2 の時のサウンドマネージャーをドラッグで入れたら一応問題なく動いています。 今のように機能拡張とコントロールパネルがたくさんあると対処は大変です。このようなトラブルは今までも時々遭遇しています。今のところはあまり深刻ではないので一安心です。


6.29

 今日はMusic Tomorrowの本番でした。今日の会場オペラシティーは収容人員はそれほど多くないところですが、それでもかなり空席が目立ちました。集客力が弱いということが現代音楽というか新作の演奏会の最大の課題でしょう。やはり私が昨日書いた事が聴きにいらっしゃるお客様にとっても一番気になる問題なのだという事だと思います。聴衆は作曲そのものには興味が無いのです。古典でも新作でも聴いて楽しければ喜んで聴くのです。(私達弾く方も同様です。楽しければ良いと言うものではないという反論は当然あるでしょう。でも演奏会は授業ではないのです。楽しさの中で聴衆を啓蒙していかなければいけないのです。)弾いている人が面 白いと感じないものをお客様が面白いと感じるはずがありません。聴衆の意識が低いと言う前に音楽は学問ではないという基本に立ち戻って欲しいです。今日の曲の中にも面 白いもの、「?」しか感じないものなど様々です。私達は一晩の演奏会でお客様をもてなすのですが、作曲家の皆さんはそういう意識をもっていらっしゃるのでしょうか。弾く方が譜面 に書いてあるから弾いているという気にしかならないようなものをお客様が良いと感じるはずがないのではないでしょうか。もっともっと音楽に我を忘れて夢中になれるようなものを弾かせて下さい。我々が弾いて楽しいと思えば聴いているお客様も楽しくなります。私は単純なものの中にこそ普遍的な美があるのだと思います。
 生命力、躍動感こそが大切なのです。それがあるからこそ変拍子も活きてくるのです。良い音楽はわざわざ解説しなくても自然と心にしみてくるのです。なぜオーケストラに弾かせるのか弾いている我々に分からせて下さい。

 いずれにしても今日は一日とても疲れました。


6.28

 今日もMusic Tomorrowの練習でした。音楽とは一体何なのでしょうか。いつもこういう催しがあるとこの疑問が持ち上がります。時代は違っても音楽の原動力は「生の喜び」というか生命力だと私は思っています。なぜこんな事を書くのかというと「生の喜び」は単純な形の中にあると思うのです。もっと生命力を感じさせて欲しいということを弾いていていつも感じるのです。(心臓が変拍子で動く人などいないでしょう。)もちろん作曲家もそれを表現しようとしていらっしゃるのでしょうが、弾いていてそのリズムなりメロディーなりに必然性を感じられないというケースが多いのです。もちろん新曲の中にも素晴らしいと思う曲はたくさんあります。ですが文句を言いたくなる曲が多いことも確かです。
 最もそういう疑問を感じるのは弦楽器が多くのパートに分かれて弾くような場合です。ある人は3連音符のリズムで、他の人は普通 の32分音符のリズムで弾くような場合です。正確に言えばこの2つのリズムは噛み合わないのですから両方の動きがハッキリ客席で聞こえなければ意味がないことになるのですが、弦楽器が10くらいのパートに分かれて動くというような曲を見ると、作曲家は一体何を求めているのだろうかと疑問になります。これだけ細かく複雑なリズムを書きながら、一陣の風のように弾いて下さいなどと言われると「この細かい記譜にどこまで意味があるのだい」と聴きたくなります。
 オーケストラの中の各パートは1つの曲の部品です。ですがモーツァルトとかハイドンの曲の場合その各部品の役割が弾いている側にハッキリ伝わってきます。歴史の審判を通 って来た曲からは皆それが伝わってきます。それが生命力だと思うのです。ですが現代曲の場合それが伝わってこない曲が多いのです。今まで色々な作曲家が色々なことをやって来ていて、今更何が出来るのかという感じになるの何も知れません。でもポピュラー系の曲はいつも新鮮な新しい曲が出てくるのに、どうしてクラシックの場合は単純な美を追求した曲が出てこないのでしょう。それが難しいことは分かりますが、私達演奏家が今までの名演奏に伍して今更のように正攻法で音楽に立ち向かっているのに、どうして作曲はその方向性をとらないのか私には分かりません。ポピュラー系の作曲家の方が本来の音楽の美に対して正面 から立ち向かっているように見えるのは私の勘違いでしょうか。ポピュラー系の曲では工夫だけで聴いて生命力のない曲など誰も支持しません。
 もちろん色々な新しい試みをされていることは分かりますし、それは確かに大切なことではあるのでしょうが、お客さんは金を払ってその試行錯誤を聴きに来ているのではありません。その曲を聴いてその曲に夢中になれて明日の活力を得られるのでなければ、誰が演奏会にわざわざ来るのでしょうか。もっと原点に立ち戻って弾く人が夢中になって弾ける曲をお願いしたいと思うのは私だけなのでしょうか。


6.27

 今日はMusic Tomorrowの練習2日目でした。バーメルトさんが丁寧に練習されるので、曲の様子がよく見えてきました。練習は西村、ケーリス、外山、藤家の順にやりました。藤家さんのギター協奏曲だけは編成が小さく私は降り番ですが、譜面 を見た限りではなかなか難しそうです。西村さんの曲は私はどうしても馴染めません。これは私の趣味の問題ですから曲の価値とは全然関係のない話です。ケーリスのムーヴメントという曲は譜面 はそれほど難しくないのですが、実際に弾くととても難しいです。よくMusic Tomorrowで取り上げられる曲とは雰囲気が違います。もう少し前の時代の音楽のような感じがします。外山先生の交響曲はよくまとまっていて構成が分かりやすい曲です。
 Music Tomorrowのような演奏会は定期などとは客層がまるで違います。こういう現代音楽特集の演奏会と同時に、定期で今回のような曲を1曲づつ取り上げる方が多くの人に知らしめる効果 があると思うのですが。弾く側から見るとこの音形をなぜヴァイオリンで弾かせるのだろうかとか、弦楽器の1人1人に違うことを弾かせることにどんな意味があるのだろうかとか、曲によっては色々な疑問が湧いてきます。

 先週の土曜日に楽屋のロビーで話をしている時に、最近メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のカデンツァのオリジナルがロシアで見つかったという話を聞きました。今のカデンツァはダビッドの編集したもので、オリジナルのカデンツァはあまり面 白いものではないという話なのです。今までこのカデンツァはオリジナルだと思っていたのに、実は編集されたものだというのはビックリさせられます。もしこれが事実ならダビッドのカデンツァはとても良く出来ていると言えます。


6.26

 昨日は家族を迎えに行ったので、ページの更新はお休みしました。

 昨日は夜遅かったので、今日は一日眠くて困りました。今日はMusic Tomorrowの練習でした。今回は
 1.トリスタン・ケーリス:ムーヴメント
 2.外山雄三:交響曲第2番
 3.藤家渓子:ギター協奏曲第2番「恋すてふ」
 4.西村朗:光と影の旋律
というプロです。今日は3のギター協奏曲以外の3曲を練習しました。今の時点ではそれぞれの曲の感想を言うのは止めておきます。というのはまだそれぞれの曲について結論を出せるほどよく分かっていないからです。弾くのがもっとも難しいのは1のケーリスのムーヴメントです。ソルフェージュ的にはそれほど難しいわけではありませんが、記譜法の問題でリズムを勘違いしやすいのです。ただリズムはハッキリとしていて弾くのが無理というようなものではないので、かえって難しいのです。
 指揮のマティアス・バーメルトさんは練習はとても要領よくやられています。私達弾く側はちょっと練習しただけで細かく分析などしないのですがその曲がどの程度の曲かは本能的に分かってしまいます。ただ根拠はと言われると困るのでいまのところはコメントしません。
 私個人的にどうしても噛み合わない曲というのはありますが、これは多分私自身の問題なのでしょうからそれには触れません。

 今回の演奏会が終わると夏のシーズンに突入します。早速長岡新潟、アイシン松山、PMFと3つの旅行のシリーズがあり、その後N響の「夏」が東京、大阪、四日市の3ヶ所で開かれます。それで夏休みになります。私自身は事情があって初めの2つはお休みです。

  アマチュアオケの方と話をしていていつも話が通じないと思うことに指揮者との関係があります。アマチュアオケの方達は指揮者が何かを要求すると、それに無条件に従っていきます。他の指揮者でその曲を弾かれた経験がないのが普通 なので、その要求に対してどう反応して良いのかお分かりにならないのでしょう。私達はイヤでも色々な指揮者と共演していますから、ちょっと練習すると(初めての指揮者でも10分位 練習すれば)指揮者の能力は見えてしまいます。逆に能力のある指揮者は10分も練習すればN響がどの程度のオケか分かっているものです。ですから素晴らしい指揮者は練習日数を考えて、今のN響の状態から考えてどこまで要求できるかが瞬時に分かるのです。弾く方の心理をよく分かって短い時間で最高の成果 を上げるように練習していくのです。アマチュアの方はこういう経験は絶対に出来ないでしょうから(こういうことの出来るスーパースターに指揮される経験は持てないから。)、指揮者の能力の天と地ほどの違いはお分かりにならないのです。
 更に言うとプロのオケであればたとえばマーラーの交響曲でも最初の練習でズレないで弾くぐらいのことは出来ます。私達が練習でやっていることはその先の部分をやっているのです。この点はどうしてもアマチュアオケの方にはお分かりいただけません。まあ我々の練習を見る機会が無いから無理はないのですが。でもプロという以上それくらい出来ることは常識なのです。
 ですから指揮者に対しても同じことを要求するわけです。特に自分の所為で合わないのを人に転嫁することについては神経質なのです。特に自分では音を出さないのを良いことに勝手なことを言う指揮者のことは気になるのです。(やりたい放題やってオケを引っかき回して、ギャラを持って行くのではオケはいい面 の皮です。)
 ここで再度言っておきますが、指揮者を単に目の敵にしているのではありません。良い指揮者で弾いた時の気持ちの良さはこれまた別 格の経験です。今までよく分からなかったことをいとも簡単に納得させてくれるのです。こういう指揮者のことはただただ尊敬するしかないと思うのです。私は良い指揮者のことは手放しで認めています。(それは今までの私の感想を読んでいただけば分かるはずです。そのように書いていない場合には何か引っかかる部分があるということです。いずれにしても「ごめんなさい。」というほど納得させられないという場合は「?」となるわけです。冷めて指揮者を見るというような状態です。)
 更に言うと私の感想は指揮者を正面から見た感想です。お客様のように背中から見た印象とはまるで違うことはよく分かっています。プレーヤーのわがままだというご意見のあることも承知していますが、わがままではない誰が見てもおかしいという部分しか私は指摘していません。(生のまま書いたのでは読まれる方は面 食らうでしょうから、文章はかなり整理してから書いています。弾く側の本音をそのままぶつけているのではありません。ですからある指揮者のファンの方が読むと面 白くない記述があるのは確かだと思います。でも私達の側から見た感想なのです。)


6.24

 私達がシャルル・デュトワという指揮者を強烈に意識したのは先生がN響に初登場したときの「春の祭典」です。拍子がどんどん変わるこの曲を何と言うことなしに正確に指揮されて、まるで「春の祭典」を古典の曲のように整然と演奏されたのです。クールにして腕が立つというのが第一印象でした。あまり感情移入し過ぎず、冷静に指揮されるという印象でした。最近は先生は曲への感情移入が前に較べるととても多くなっています。だからどうなのだという部分は皆様のご判断にお任せせざるを得ないのですが、N響初登場の頃とはずいぶん変わられています。若い時はクールに、年をとられてからは感情表現を大切にされるということなのでしょうか。初登場の時にはジャストオンタイムだった棒のタイミングも今はかなり早振りになっています。個人的には初登場の頃の先生の方により惹かれます。
 今回の定期は初日の方が演奏は良かったように感じました。今日のようにノヴェンバー・ステップスが終わった時に口笛などがあったりすると、これこそ贔屓の引き倒しです。これではソリストも喜ばないと思います。今日は7番など音が昨日よりかなり堅く感じました。楽章の合間は1楽章と2楽章、3楽章と4楽章の間はすぐ行っています。特に4楽章の初めは弾き終わらないうちに弾き出しているような錯覚に陥ります。
 今日いただいたメールを読んでいると、演奏する時に私達が気にしていることとお客様が感じられることの間にはすごい落差があります。(というより正反対のことを感じていると言っても良い。)もちろん私達が感じるのと同じことを指摘されている方もいらっしゃるのですが、一般 的反応は私達の実感とはまるでかけ離れています。(お客様に良かったと言っていただけたということは良い演奏だったということなのかもしれませんが、私達にはこの前も言ったこだわりがありもう少し違うものを表現したかったというのが本音なのです。)ですがいつも両者の感想が違うわけではなく、時々弾く側も聴く側も同じことを感じて盛り上がれる時があるのです。こういう時こそが録音ではない実演の演奏会の醍醐味です。口に出さなくても同じ感想を共有できるような演奏会こそが名演として歴史に残るのでしょう。
 もちろんここで書いているのは私の個人的感想ですから、N響の他の方達がどのように感じていらっしゃるかについては私は存じ上げません。まあ大なり小なり同様なことを感じていると私は信じていますが。

 今日の演奏会でファゴットの霧生さんがご卒業されました。(定年退職ということです。N響の定年は60才です。)長年ファゴットの主席を務められ本当にお疲れさまでした。 これからもご健康でいらっしゃることを心よりお祈りいたします。


6.23

 今日の演奏会は入場券が完売だというふれこみでしたが、実際は3階席など結構空席が目立ちました。ノーヴェンバーステップスについては今一つよく分かりませんでした。バルトークのピアノ協奏曲はソロはとても素晴らしかったです。ベートーヴェンの7番は本番はなかなかの出来でした。N響の本番での強さをよく表しています。客席で聴かれた方の批評を聞くと、2楽章が一番良かったとのことでした。デュトワ先生の本番も今回は明日1日を残すのみとなりました。次は札幌のPMFでの演奏会です。PMFではプロコフィエフの3番のプロと、展覧会の絵のプロの2つを演奏します。(私はプロコの方のプロは出ていません。)
 前にノーヴェンバーステップスは弾いたことがないと書きましたが、以前N響で弾いた時のことを思い出しました。今回は前回とは違ってより洗練されている感じで、クラシック音楽風の扱いのような感じでした。前回の方が迫力のある感じです。プロコフィエフのピアノ協奏曲は久し振りの演奏です。 7番については普段よくやるドイツ人の7番とまるで違う出来上がりなので、いささか面 食らっています。


6.22

 今日はホールでの練習でした。練習そのものは無事終わりました。今日はソリストの都合でベートーヴェンの7番とバルトークのピアノ協奏曲をやりました。ベートーヴェンについては聴いてどう感じるのか是非ご感想を聞きたいです。本番を聴かれた方是非メールを下さい。今回のシリーズを見ているとデュトワ先生が今までとは違う路線を進んでいらっしゃるような気がします。(言葉では表現しにくいのですが。)

 昨日私は車のタイヤを替えたのですが、それについてとても面白いことを経験しました。以前車に乗っていた時(10年以上前のことです。)からお世話になっているタイヤ屋さんに今回お任せでタイヤを選んでもらったのです。選んでいただいたタイヤはとても素晴らしく、車がまるで変わってしまったような印象があります。タイヤを選ぶに当たっては色々あったのですが(私の車のタイヤサイズが特殊なため、なかなかそのサイズのタイヤを揃えるのが大変だったのです。結局は私の車にはオーバースペックなタイヤになってしまったのですが、パフォーマンスにはとても満足しています。)、私達が楽器について弦を選ぶのと同じようなこだわりがあるのだということを教えていただきました。タイヤも外から見ると皆同じに見えますが、中身はメーカーによってまるで違うそうです。そのお話は弦についての話とそっくりです。今私が使っている弦についても色々こだわりがあります。特にG線のサイズについてはこだわりがあるのです。ワンセット弦を選ぶ時にも私は任せてくれるのなら選ぶ弦は決まっていますが、生徒が弦を選ぶ時にはほとんどが値段で弦を決めています。音楽学校に行きたいという生徒の場合は必ずその弦を使わせますが、アマチュアオケの人などの場合はそういう音についてのこだわりを説明しても分かってもらえないのがほとんどです。高いものにはそれなりのパフォーマンスがあるから高いのです。それが分からない人には何を言っても無駄 なのです。先程のタイヤ屋さんの場合も安ければ良いという人にはそれなりの物を選びますが、任せてもらえれば本当に自分が良いと思うものを選ぶというお話で、私も同じ考えです。今回は普通 に売っているタイヤより5割位高いタイヤで、良いと思ってもらえないと困るのだがと心配されていたのですが、昨日タイヤ交換してから今日までで90km位 走りましたがとても快適でした。(今まで何となくハンドルの切れがゴムが挟まっているような感じがしていたのですが、タイヤを替えたら堅いのではないのですが切れが抜群なのです。またすごくグリップを重視したパターンをしているのにノイズは前と変わりません。ブレーキの効きも素晴らしく、サス下の重量 が軽くなったように感じます。)タイヤについては何の知識もない私でさえこれだけ違いが分かるのですから、弦を選んだ時にも同じように違いを分からせられないといけないなと、このところ忘れていた感触を思い起こされました。

 私のホームページも私達弾く側のこだわりを分かっていただくために書いているのです。演奏家は音だけちゃんと出せば良いのですが(その意味で言えばタイヤ屋さんは良いタイヤだけを売っていれば良いのです。)、本当のところを自分と縁のある人にちゃんと伝えていくのはそれで生きていく者の努めだと思うのです。何も知らない消費者は大したことの無い物を選ばざるを得ないように仕向けられていたりするのです。世の中実に恐ろしい仕組みになっています。


6.21

 今日もベートーヴェンの7番から練習しました。この曲はフィナーレなど力強さの表現になるか単なる馬鹿騒ぎで終わってしまうかはとても難しいです。細かい音符が流れないできちんと弾かれていないといけないと何度も注意されていました。フィナーレが長ーいフレーズの表現ができるかどうかが、指揮者の腕前のバロメーターです。今回はいかがでしょうか。譜面 通りの簡単なリズムをどこまできちんと守って迫力を出せるかが聞き所です。ちょっとしたテンポの揺れが決定的な傷になりやすいのです。オケにとっても指揮者にとっても7番の3、4楽章はその能力の発揮しどころです。この曲は弾かれる回数が多い分それぞれのオケの弾き癖が出やすいのです。その意味ではこの曲は鬼門です。
 ノヴェンバー・ステップスもかなりまとまってきました。何度も練習して昨日書いた楽譜の見にくさを越えることが出来たようです。この曲の場合1つのパートがいくつかに分かれて全然違うことを弾くので、前の人の弾く姿が自分にとっては何の手助けにもならないのです。たとえばある拍で前のプルトはその1拍を4つに割った4番目の拍で弾き出すのに対して、こちらは同じ拍を3連音符で割った3番目で出るという具合に微妙に弾き出しが違うのです。また突然私達の弾くプルトの音だけが表に出ないといけなかったりするのです。こういう細かい表現がちゃんと効果 をもって表現できたかどうかは、聴かれる方のご感想を聞いてみないと何とも言えません。
 明日はホールで練習です。ホールで練習できるのは弾く方から言うととても有り難いです。(ホールの使用料が掛かるにしてもそれを補ってあまりある効果 があると思いますし、効果を出さないといけないのです。)


6.20

 今日の練習はいかにもデュトワ先生という感じの練習でした。まず間髪を入れずに全曲を通 して弾かせ、それから2楽章を念入りに、それから1楽章をやっていきました。この全曲ほぼアタッカ(楽章の間を開けずに続けて弾くこと)で弾くのはサヴァリッシュ先生も時々やられます。ブラームスの4番を全楽章をまるで1つの楽章のように弾かせるのです。今回デュトワ先生がベートーヴェンの7番を本番の時に同様にやるかどうかは分かりませんが、もしそうなるとお客様の方も40分くらい続けて緊張を強いられるわけで、大丈夫なのかなと心配になってきます。午後はノヴェンバー・ステップスの練習でした。この曲は弾く側からいうと譜面 が見にくくて大変です。たとえばセカンドの譜面など1人1人違うことを弾くのですが(他のパートも全てそうです。)、譜面 にはその全ての人の音が書いてあるのです。その上リズムは1人づつではなくまとめて符尾に書いてあるだけなのです。全体の見通 しを良く分かるようにするための方法なのでしょうが、弾く側からはとても弾きにくく、弾く人の心理がまるで分かっていません。自分のパートだけを書いた譜面 の方がどんなに弾きやすいことか。(その方がはるかに弾き間違いが少なくて済むと思います。自分の段とそれよりはるかに6段も上のパートの符尾を見ないと音程とリズムがわからないのです。)曲の内容以前にそのことが気になってしまいます。


6.19

 明日からはC定期の練習です。ノヴェンバー・ステップスは聴いたことはありますが、弾くのは私は初めてです。前半はノヴェンバー・ステップスとバルトークのピアノ協奏曲第3番というプロなのに対して、後半はベートーヴェンの7番というちょっと面 白いプログラミングです。前回のモーツァルトのピアノ協奏曲といい今回のベートーヴェンの7番といい今までのデュトワ先生のレパートリーの範囲とはちょっと異なるジャンルの音楽で、どのように料理されるのかとても楽しみです。リズムの面 白さの多い曲を好まれる(単に私の想像ですが)先生のことですから、ベートーヴェンの中では7番など一番合っているのではないでしょうか。想像では4楽章など速めのテンポでどんどん引っ張っていくような気がします。

 前からサントリーホールの楽屋前の廊下に著作権料の値上げに反対する掲示が貼られています。これが通 ると著作権の活きている曲を演奏すると入場料が1曲あたり500円近く値上がりするそうです。そうなると現代曲を特集した演奏会など入場料をとんでもなく高くしないと成り立たないということになります。それによってそういう曲が演奏される機会が無くなったら元も子もないと思うのですが、差し当たり金さえ入ればその後のことなどどうでも良いのでしょうか。こうなったら面 白い現代曲を一生懸命紹介しようとする人などいなくなります。「まあ早くつまらない曲を淘汰するという意味はあるでしょうね。」という嫌みを言うくらいしか我々のとれる道はないのですが、こういうことを利権の対象にして欲しくないですね。(法律という名のもとに値上げしても、誰も演奏しなくなったら一銭の金も入ってこないだけですよ。)


6.18

 今日は岩谷産業の75周年記念演奏会でした。プログラム前半はお客様の反応は今一つという感じだったのですが、展覧会の絵が終わってアンコールに移るころはとても熱狂的になっていました。特に1曲目のローマの謝肉祭の反応はあまり盛り上がらず意外でした。後半の日本の歌についてはテンポがゆったりしすぎていて今一つのらないまま終わってしまった感じでした。展覧会の絵はやはりデュトワ先生の特徴がよく出ていました。今日弾いていてN響はズレないという意味ではすごいオケだとあらためて思いました。ですがズレないということが良いオケの証明ではないところが厳しいのです。良く合っているということは逆説的に言うと受けに回っていると言えなくもないのです。

 私の言っている事は色々の前提条件の上に言っている事なのですが、いちいちそれを説明していないので誤解される部分がたくさんあります。たとえば前に書いた「オケだって本番になれば練習の時とは違う音を出します。ですが指揮者だって本番になると練習の時に言っていたのとまるで違うことを始める人も少なくありません。それが原因でオケが乱れたとしたら一体誰が悪いのですか。拍子の分かりにくいところで練習の時は2つで振りますと言っていた指揮者が、本番になったら4つに振ったということが原因でオケが2つに割れてしまったとしたらそれもオケが悪いのですか。こういうことは結構頻繁にオケの演奏会では起こっています。」という部分ですが、実際N響の演奏会でもほとんどの場合(ほぼ9割以上)は指揮者の振り間違いが表に出ないで処理されているのです。でもそれでカバーしきれずにずれたとしても、そのときその責任が一方的にプレーヤーにあるということはないということ言いたいのです。単純に下手な場合は当然仲間から注意されます。N響だってそれくらいの自浄作用は持っています。指揮者は音を出さないのですからどんなに振り間違えてもそれは表にでないのです。弾き間違えると間違えたプレーヤーが矢面 に立つのです。それを指摘したいだけです。本番の時に2つに振ると言った部分を勢いで4つに振ったくらいで私たちはガタガタしません。そんなことは日常茶飯事です。ほとんどの場合は笑って済ませられるのです。でも微妙なタイミングでどちらともとれるようなタイミングで振られる場合も実際あるのです。それでズレテしまえば弾く側が責められるのです。格好ばかりつけている指揮者がいる以上私は同じことを言い続けます。
 素晴らしい指揮者と共演したときの充実感などは言葉で表現できないほどの素晴らしい経験です。これこそまさにオーケストラで弾くことの真骨頂です。(仮にその指揮者に悪い癖があったとしてもです。)私が手放しで褒める時などはこういう時なのです。だからこそオーケストラで弾くことを仕事にしているのです。
  どんなオケでもそれぞれに長所もあれば短所もあります。それと同様指揮者にも長所と短所はあるのです。ある演奏会でオケと指揮者のどちらがどのくらいその演奏に貢献しているかなど本番を聴いただけで分かるはずはありません。ということをアピールしたいだけです。

 昨日今日とデュトワ先生の練習本番はとても気を遣わないといけないので、普段以上に気疲れします。昨日びっしり練習した後、家に帰ってレッスンをしてそれから市響に行ったらグッタリしました。明後日からはC定期の練習が始まります。早く寝よーっと!


6.17

 今日はデュトワ先生の練習でした。先生の面目躍如たる練習で、まず展覧会の絵でした。こういうタイプの曲は先生のもっとも得意とするジャンルの曲で、場面 の転換の速いテンポ感のある進行です。全体的に譜面に書いてある通りのテンポで弾かせていて、Samuel Goldenberg und Schmuyleの終わりなど普通はかなりゆっくりする所をインテンポで弾きます。曲の合間がほとんど無くどんどん次の曲に移っていくので、気持ちの用意をしておかないと取り残されてしまいます。プロの最初のベルリオーズの「ローマの謝肉祭」もデュトワ先生のお得意の曲です。普段先生があまり取り上げられないのはモーツァルトのピアノ協奏曲です。児玉 桃さんのソロです。
 明日の演奏会はN響を支援していただいている岩谷産業の70周年記念コンサートです。岩谷産業の主催のコンサートでは日本の民謡を取り上げているのですが、明日の演奏会の後半最初に浜辺の歌、出船の2曲を演奏します。その後展覧会の絵というプロです。(前半はローマの謝肉祭、ピアノ協奏曲という順番です。)このプロは7月札幌のPMFでも演奏します。(7月19日(水)に苫小牧市民会館で19:00〜の演奏会です。)
 ついでに言うと7月17日には札幌のきたらホールでこの前の定期と同じプロで演奏会を開きます。これもPMFのコンサートです。このようにずっと1ヶ所に滞在して演奏会を何回か開くというのは初めてのケースですが、このような企画が続けていけることを願います。


6.16

 指揮者は本来弾く側に自分の意向を伝えて自分の思った音を出させるのが本来の仕事の筈なのですが、その観点から指揮者を評価するということはとても難しい筈です。たとえば演奏会がとても素晴らしかったとしても、それがオケが良いからそうなったのか、指揮者が良いからそうなったのかはその演奏会を聴いただけで分かるはずがありません。そのオケが普通 の指揮者でどのような音を出していて、その時にはどのような反応をしているということまで分からなければオケの演奏会の批評など出来ないはずです。その演奏が良かったか悪かったかくらいは何も知らなくても言えます。ですがもし悪いところがある時に、それがオケと指揮者のどちらが悪いというようなことは本番だけ聴いて分かるはずがありません。オケだって本番になれば練習の時とは違う音を出します。ですが指揮者だって本番になると練習の時に言っていたのとまるで違うことを始める人も少なくありません。それが原因でオケが乱れたとしたら一体誰が悪いのですか。拍子の分かりにくいところで練習の時は2つで振りますと言っていた指揮者が、本番になったら4つに振ったということが原因でオケが2つに割れてしまったとしたらそれもオケが悪いのですか。こういうことは結構頻繁にオケの演奏会では起こっています。良いところは指揮者、悪いところはオケという日本の批評を見ていると批評家という仕事は楽だなと思うのは演奏する側から言えば私だけではないはずです。(招待状をもらって客席でノホホンと聴いていてそんな微妙なところが分かるはずがないでしょう。)
 批評家にも色々な人がいて、自分の批評する演奏会は自費で聴くという人もいますし、演奏家の意図を分かろうと努力されている人もたくさんいます。ですがオケの批評については私はあまり当たっていると思われる批評にあったことがありません。(良い演奏会の時は適当に褒めておけばどこか当たっています。ですが悪いことがあった時にそれをどう評価するか出来るかが批評家の能力です。)
 聴衆の反応も今は大きく2つに割れているようにいつも感じます。1つは指揮者ソリストの盲目的ファン(何をやってもその人を許せるという人のこと)、もう1つは冷静に見ている本当の音楽ファンです。 掛け声をかける人が全部盲目的ファンというわけではありません。他に表現の仕方が分からないから掛け声をかけるという人がいるのは確かです。ですがいわゆるサクラの掛け声というのは我々から見ると分かってしまうのです。私たちが「今日のこの演奏でどうしてブラヴォーがかかるの?」と楽屋で話をしているのに「ブラヴォー」だけが目立ち、他のお客様の拍手がシラっとしている時などの事です。私はその日のお客様の反応はこの「ブラヴォー」ではなく拍手の感じで判断することにしています。(拍手というのは拍手の音だけでなく、拍手している人の表情などを見ての総合的判断です。)
 私がいただくメールを見ていると皆さんとても本能的に音楽がよく分かっていらっしゃっていて(この本能的にというところがとても大切なのです。)、こういう方達ばかりだったら日本の音楽水準ももっと上がるだろうなと思うご感想がとても多いです。ですが全体を見るとこういう方達は少数派なのです。まだ日本の音楽環境は未熟だと言わざるを得ません。N響は確かに色々問題を抱えています。根本的な部分についても色々異論はあるでしょう。ですが逆にN響だから出来るという部分もあることは確かです。たとえば指揮者がいい加減な棒を振っていても滅多にズレないというところはN響の長所です。ですがその事が自分なりの強烈な個性を持っていないということの裏返しではないのかという反省は我々の中でよく話し合われているのです。N響を批判される方がよく言うほど私たちは得意満面 とただ弾いているのではありません。自発性と秩序のバランスこそがそのプレーヤーの持つ音楽的資質なのだということは私たちもよく分かっています。 我々はいつもそれを磨こうと努力しています。先入観念を持たずに我々の演奏を聴いて下さい。


6.15

 このところ野暮用が多くて、昨日も今日も疲れました。レッスンの間に銀行に行って2つ3つ用事を済ませて、カバンを買いに行ってズボンを作るというだけで今日一日がつぶれてしまいました。もうウンザリしました。

 ところで今日15日はMacFanとMacPeopleの発売日ですが、MacFanの中の「もうひとつのMacintosh物語」に以前私がよく行っていたスリースカンパニーのことが出ていました。(記事の中にも出ていますが、同社は初めはショップを構えていたのですが、何年か前にショップを閉じてしまいました。)よくゲネプロと本番の間にスリースカンパニーに行って時間を過ごさせてもらったもので、よくそこで英語版の珍しいソフトを見つけたものです。それにアメリカの雑誌に出ている品を輸入してもらったりしました。前に書いた譜面 書きのソフトSibeliusも同社を通していれてもらいました。86年に奥様とお二人で会社を始められたという話は、この記事で初めて知りました。(私は奥様は存じ上げません。)この記事を読んだのでまた近いうちにスリースカンパニーに行ってみようと思ったと同時に、インスピレーションMac版のVer.6が夏に出ると出ていたのには期待を持っています。
 このインスピレーションというソフトはアイデアプロセッサというもので、アイデアをアウトライン(文字中心)とダイアグラム(グラフィック中心)という2つのモードでまとめられるというものです。私はアウトラインモードしか使いませんが、考えつくことを順番を無視していくつもどんどん並べていき、それから内容的に項目を整理していくことが出来るのです。問題が起きた時には問題を列挙してそれを整理して行くと問題が見えてきます。 一時期Powerbook2400でインスピレーションを起動しようとするとフリーズしてしまい大変困ったのですが、今のPowerbook(FireWire)になってからはちゃんと起動しています。 私はActaとか他のアイデアプロセッサを色々試しましたが、インスピレーションは最高です。
 私のホームページのMacintoshとInternet(2)のページの最初の私の環境を書いた絵はインスピレーションで作っています。 ダイアグラムモードでアイコンを貼り付け、リンクの線を自動で90°に設定して 全体をgifで書き出したものを使っています。もちろんIllustratorなどを使って作ることも出来ますが、インスピレーション方が使いやすいからです。


6.14

 今日はB定期の初日です。今回のプロは弾くのはかなり大変なようです。今回は衛星放送は生放送ではないので、残念ながら見られませんでした。FMでは放送しているのは知っていますが、弾く側から言うと画面 がないとつまらないです。棒を見て、弾く人を見てそれでどんな演奏か判断しないと何となく人事のように見えてしまいます。(降り番だから確かに人事ではあるのですが。)同じ演奏でもそれを見る(聴く)場所が違うと印象はまるで違います。ステージの上で指揮者を正面 から見るのと、客席で背中を見るのではまるで違うのです。背中から見るととてもきれいな指揮なのに、正面 から見ると何をやりたいのかまるで分からないということがタマにはあるのです。私は客席でどう見えるかには全然興味がないので、放送を音を聴くだけのために聴くことはあってもどんな指揮をしているのか知るためには正面 から見たいのです。指揮者はオーケストラを指揮してどういう音を出すかで評価されるのであって、姿は2番目の評価基準だと思っています。もちろん姿の良い方が見た目にきれいですから望ましいことは確かですが、それが一番の基準になるのはおかしいと思っています。
 デュトワ先生の場合は何度も弾いていますから、どんな演奏になるかは想像がつきますが、タマにしか来ないとか初めて弾く人についてはステージ上で見てみないとどんな指揮者か分かりません。

 6月号のMacの雑誌を読み返していると、ボーナス時期に合わせた買物情報の特集が載っています。それを読んでいるといつ次の機種に乗り換えたら良いのか悩ましいです。私の遍歴はまず最初に10年前にIIci(途中で50MHzの68030のアクセラレーターを入れました。)、次にQuadra840AV、そして今はPowerMac8500です。もっとも今の8500は2度CPUアクセラレーターを入れ替えています。(604/200MHzにして、次にはG3/300MHzにしました。)皆3年くらいで次に乗り換えています。今乗り換えるとしたらG4/400MHzです。今まではそれぞれの時期の最高位 機種を買ってきましたが、最近の様子を見るとそんなに入れ込んでもすぐ次の速い機種が出るので将来性のある安い機種で充分と思っています。今の8500には延命させるために30万以上の金をつぎ込んでいますが、結果 的に見るとそんな事をしなければG4/400が買えています。安い機種にしておけば気楽に替えられますから。


6.13

 昨日書いた受験のことについては予想外にたくさんのメールを頂き、私もビックリしております。私は自分の生徒が頑張ってヴァイオリンを弾いていたのに、塾に行くようになり結局は止めていってしまったり時間がとれずにいつまでたっても上手くならないケースをイヤというほど経験したので、このようなことを言ったのです。いわゆる有名私立に行っている子でもそのことが活きていないケースばかり見せられるのです。表向き良い子を演じて英語や勉強、ヴァイオリンとかピアノを同時に勉強しているのですが、そのことが子供にプラスになっていないケースばかり見せつけられます。どれもこれも全部中途半端というのがほとんどの子の実情です。私は音楽をやってもらいたいから言っているのではなく、それぞれの子が何か1つで良いからちゃんと向き合えるものを持って欲しいのです。今の学校の拘束時間から言って一人の子が2つも3つの事が出来るはずがないです。間口だけ広げてどれもまともに出来ないなんて子供に敗北感を植え付けるという効果 しかないと思うのです。
 レッスンというかお稽古事というのは自分に自信をつけるためにやるものです。こういうことを通 してこうやれば自分は物事が上手く出来るのだということを体験することに意味があるのです。音楽をやるからといって全ての人が専門家になるのでもなれるのでもありません。ちゃんと練習したら上手く弾けたということを通 して勉強の時にもちゃんと勉強するということの意味が分かるようになるのです。
 今日メールをいただいた中には、私立校で教えていらっしゃる方からのものがあり、「遠くの学校に通 う意味のある教育の出来ている学校がありますか?」と決めつけた言い方をしたのは言い過ぎだったかなと思わせられました。(その方のメールは何度も読み返しました。読むほどにやはり世の中にはちゃんと物を考えていらっしゃる方が居るのだなと思わせられました。)ですが私が日ごろ見かける学校の姿からはちゃんとした教育理念の見える学校はほとんどありません。

 昨日いただいたメールの中に北欧の音楽を紹介しているホームページを教えて下さった方がいました。
 NORDIC FOREST−北欧のクラシック音楽−
 斉諧生音盤志
という2つのホームページです。後者はステンハンマルについて特に取り上げています。私自身はステンハンマルのセレナーデというのは今回聴くことも含めて初対面 でした。技術的にはとても難曲ですが、弾いていてもとても楽しめる曲で特に各楽器のソロの持ち味を遺憾なく発揮できる曲です。今回この曲を良いと思ったのは私の場合は指揮のギルバートさんによるものです。曲の細かいところまで知り尽くしている感じで、下手をすると単調で終わってしまいそうなこの曲にすごく色々な色付けをされていました。それもとても上品に。


6.12

 最近レッスンと受験のことについて考えさせられます。受験というのは音楽学校の受験のことではなく、普通 の学校の受験のことです。私自身は公立の学校に行ってごく普通の人を周りに見ながら音楽をやっていくことによって音楽をやる意味を意識して欲しいので、娘には中学までは近くの公立の学校に行かせました。(高校からは専門の音楽学校に行かせましたが。)遠くの私立に通 うことによる体力の消耗と時間の消費が勿体ないからです。(私立に通っていると色々理屈をつけてやたらに長い時間学校に拘束されます。)学校に片道1時間以上もかけて通 う意味があるとは私には思えないからです。(その意味があるほどの教育の出来る学校が今ありますか?)学校から帰ってくるだけでクタビレ果 ててしまいます。大体学校は一日のうちの一番大切な時間を占めているのだという意識が無さ過ぎます。一日のうちでもっとも能率の上がる時間帯に学校に束縛するのなら、もっと意味があるような授業をすべきです。学校に行ってだらだらやって勉強は塾に行ってやるということの矛盾を誰も指摘しないのはおかしいです。こんな環境の中で何かレッスンをやろうとするととても大変です。もともと人間の才能というのは基本的に不平等なものなのです。皆自分が何に向いているかを見つけて自分の得意な分野で才能を発揮すれば良いのです。皆が全ての分野で平均して才能を持っているのではないのです。もっとその人に合った教育を考えないと、スポーツ、文学、美術、音楽などの分野の新人など決して育ちません。(枠のある生活が合っている人と同じ位 枠のない生活の合う人もいるのです。それを皆同じ枠に当てはめるのはおかしいです。)


6.11

 今日ある集まりが合って、そこでオーケストラの話が色々出ました。今はN響も大きな過渡期を迎えています。(常任指揮者がいるようになり、オーディションも公募になりました。その他の制度も順次整備されるようになってきています。)オーケストラという物の意味が問われている現在、社会に対してアピールすることが出来る活動ができないオケは存続さえ危うくなります。今までのオーケストラのように伝統的な演奏会だけをやっていて経営が成り立つ時代ではなくなっています。ヨーロッパのオケでもお客さんを集めるのが難しくなっています。まだすぐ経営がパンクするという程ではないにしても、将来的に安定した集客力を持てるかどうかは大きな問題になっています。その意味ではN響の方がはるかに恵まれています。それでも去年の年末のタン・ドゥンの「門」のような試みが必要になってきています。もともとオーケストラ活動は自前の活動だけでは成り立っていきません。必ずどこからか財政的援助が必要になります。だからこそその活動や演奏能力が社会的な了解の得られるようになっていないと援助は得られません。これは今どのオケにとっても大きな問題です。
 今日はデュトワ先生の練習ですが、昨日も書いた通り私は降り番です。

 最近雑誌にMacOSXのことがよく載っています。これが出るようになったら一体どの程度の機種が必要となるでしょうか。「シリアル、SCSI、ADB、何ですかそれ?」というような時代になり私が高い金を出して集めたものに意味がなくなってしまいました。(SCSIのHDD、スキャナ、リムーバブルなど)今持っている周辺機器で今でも使えるのはCD-RとMOくらいです。DVD-RAMも買ったのですが大容量 なのに遅いので結局実用になりませんでした。(大容量を活かせるような位のデータ量 になると、その遅さにイライラしてきます。)MOも今となってはほとんど使っていません。(データのバックアップには大容量 のHDDの方が速いからです。)


6.10

 今日はとても多くの方からメールを頂きました。とても有り難いのですが、皆様にお返事を差し上げられないのでこの場を借りてお礼を申し上げます。どうもありがとうございました。
 演奏会の長さについては皆様異口同音に今のままで良いとのご意見でした。折角の演奏会ですから2時間位 は聴きたいということなのでしょう。弾く側は一瞬一瞬で色々なことを感じながら弾くので、聴かれる方とは時間の感じ方が違うのでしょう。私たちは少し長すぎるのではと思うのですが、お客様はそうは感じていらっしゃらないということのようです。
 またこの前の定期についてはギルバートさんについては良いと思われる方が圧倒的に多かったです。最後のベートーヴェンについては良かったという方と私と同様「?」という方が大体半々でした。ステンハンマルのセレナーデについてはほとんどの方が私と同意見でいらっしゃいました。指揮者については21世紀の有望株ベスト3は、広上淳一、準メルクル、アラン・ギル バートというご意見の方がいらっしゃいました。私も日系の中ではこの3人が期待できると思います。皆さんまだとても若いですからこれからどのように変わっていかれるのかについては未知数ですが、いつまでも今のままでいて下さい。
 いよいよ明日からはデュトワ先生登場です。プロはこちらをご覧下さい。私は次のB定期は降り番です。今度のプロはとても大変だと専らの評判です。

 今日は夕方から市響の7月初めの演奏会に向けての練習に行ってきました。大変な曲に取り組んでいますが、思ったより善戦しています。でも緊張感の持続という部分についてはいささか問題ありです。でも何とかして欲しいです。

 前にもご指摘いただいたことがあるのですが、背景の斜めの線が強すぎて字が読みづらいというメールを再度頂きました。試しに明るさを30%アップ、コントラストを30%ダウンしてみました。ご感想を教えて下さい。


6.9

 今日は定期2日目でした。全体としては初日と同様の出来であったと思います。ピアノ協奏曲だけは私は音色的に今日の方が良かったように感じました。フィナーレの小さいカデンツァの後足で拍を踏んだり、かなり大きな声でメロディーを歌ったりかなり特徴的です。今日はホールに行く時も帰りも混んでいてとても疲れました。帰って軽く食事をして風呂に入ってからこれを書き始めたのですが、途中で寝てしまいました。今は3時ですが隣に我が家の猫スリッパが来て寝ています。
 今回の定期は全体に地味な割には弾くものは難しく、とても気疲れしました。いつもの定期だと必ず何人かの方からご感想を頂くのですが、今回は今日1人の方からメールを頂いただけです。(ですから演奏会の長さについてもご意見は頂けていません。今からでも良いですからN響の公演の長さについて現状で良いか、長いかあるいは短いか教えて下さい。)ベートーヴェンの3番のピアノ協奏曲は最近あまり弾かれません。この方は今日の演奏も良かったが、その昔ワイセンベルクさんが弾かれた時の演奏が特に良かったと言われていました。
  私はこの曲の思い出というとその昔、千葉での演奏会だったような気がしているのですがプロの2曲目にこの3番が演奏されたのです。この曲が始まって2小節目の休みの時に時計のアラームが鳴ったということをよく覚えています。(犯人はお客様ではなくステージの上の人間でした。ですからなおのことよく覚えているのです。)
 時計のアラームだけでなく携帯電話も時々悪さをします。録音のセッションの時指揮者の携帯が鳴ったということもありました。演奏する側もこういう事件を引き起こすことがあるので気をつけないといけません。お客様のアラームや携帯が鳴ることもありますが、私たち自身で問題を起こさないよう気をつけないといけないです。それでも年に1回位 は何か事故が起こります。

 今日は頭が回らないので、もう3時半です。ではお休みなさい。


6.8

 今日は定期初日でした。今回の定期は全体にとても地味な印象です。ステンハンマルのセレナーデは何度も言うように良い曲なのですが、今一つ盛り上がりに欠けます。この曲を弾いていると20世紀の曲とはとても思えません。とてもロマンティックな感じです。今日のメインの曲ベートーヴェンのピアノ協奏曲については色々な見解があると思います。いわゆる正統派のベートーヴェンではないのですが、聴いていると面 白いことは確かです。ワッツさんというとブラームスのピアノ協奏曲を弾かれた時の印象が強くて、今回のベートーヴェンよりはブラームスの方が合っているように感じるのは私だけでしょうか?カデンツァなどもとても自由に弾かれている感じで、とても面 白い演奏です。好きかと言われると私は「?」としか言えませんが、とても面白いアプローチであることは確かです。音色も少しダークがかっている感じです。
 今回の定期を聴かれた方は是非ご感想を教えて下さい。よろしくお願いします。デュトワ先生が来日されてとてもご機嫌が良いという話を聞きました。次の定期はプロコフィエフの3番がメインです。来月のPMFの最初の演奏会はこのプロで行きます。


6.7

 今日はA定期の練習3日目でした。ギルバートさんはとても細かい表情を大切にされる方で、とても丁寧に練習をされます。3日目になるとさすがにこちらも疲れてきますが、ここまで細かくやると本番も良い演奏になるでしょう。良く細かい音形を急がないようにと注意されますが、これは弾いていても気になります。遅れないことも大切ですが、先に行ってしまうのも困りものです。午後はアンドレワッツさんのソロによるベートーヴェンの3番でした。練習所のピアノの状態があまり良くないようなので今日は「?」でした。(何となくベートーヴェンに合っていないような気がしたものですから。)ホールに行くと練習所とはまるで違う音で弾く人もいますから、それに期待します。ステンハンマルのセレナーデはとても地味な曲で、とてもきれいで内容の深い曲だとは思うのですが、一般 受けはしにくい曲です。オーケストラにとっては休みはない上に細かい表情の指定のついている難曲です。他のパートとタイミングや音色を合わせるのが、音量 が小さいのに複雑にかみ合っているのでとても難しいです。練習中に「難しい曲だから我慢して下さい。」と言って何回も合わせ直した所がたくさんあります。明日の演奏会はその成果 を皆さんお楽しみ下さい。

 演奏会の長さというのは楽屋でいつも話題になるのですが、単純に曲の演奏時間を足して今日は短いなと思っていても実際に終わって楽屋に戻ったら9時を過ぎていたということが良くあります。これはほとんどの場合ステージの入れ替えに時間がかかるからなのですが、この前のオーチャード定期なども終わってみたら9時ぎりぎりでした。N響の演奏会はほとんどが2時間一杯かかっていますが、皆様はこの点どのようにお感じになられるのでしょうか?帰りのことを考えると早く終わって欲しいという人もいるし、出来るだけたくさん聞きたいという人もいるでしょう。私などはN響の演奏会は全体に少し長いのではないかと思うのですが、ご意見をお聞かせ下さい。


6.6

 今朝ギルバートさんに会ったら疲れてはいるけれど体調は良いとのことでした。今日は北爪さんの曲「始まりの海から」から練習しました。この曲は新星日響の楽団創設30周年記念の委嘱作だそうです。こういう新作の場合大体は弾いていてあまり面 白いと思わないのですが、今回は指揮者が曲をよく分かって指揮しているので、曲の姿がよく分かります。その後ステンハンマルのセレナーデを練習しました。ギルバートさんの練習は常にオケの状態と練習の残り時間を天秤にかけて進んでいる印象です。これは良い指揮者に共通 した感じです。注文することはいくらでもあるが、弾く方をくささないで出来るだけ良いものを求めるというやり方です。
 ギルバートさんの言うようにたしかに良い曲ではあるのですが、弾く側から言うと弾きっぱなしになる上に柔らかい音で弾かないといけないのでとても神経を使います。一日練習するとぐったり疲れます。だからこそ本番が良くなるのではあるのですが。
 このところ色々あったので、睡眠不足で練習中かなりつらいものがありました。今日は早く寝て体調を戻さないとと思っています。 このような体調で本番を迎えなければいけない時は、私はモカの入ったドリンク剤を飲みます。ニンジンの入ったドリンクを飲む人もいます。

 今日近くの内科に行ったら診療室の入り口にアップルマークそれも6色の古いのが貼ってありました。中に入ったら足下にG3のミニタワーが置いてありました。液晶ディスプレーにはスクリーンセーバーが出ていました。この先生もMac大好き人間なのだなと思い、うれしくなりました。


6.5

 今日はA定期の練習初日でした。指揮者のギルバートさんの体調があまり良くないということで(昨日の夜アレルギーで体中に発疹が出たそうです。)、午後の練習2コマ目は休みになりました。病院に行きたいということだからだそうです。今日はステンハンマルのセレナーデだけを集中的にやりました。ステンハンマルという人はスウェーデンを代表する作曲家だそうです。ピアノ協奏曲が有名な人だそうですが、ギルバートさんは私の顔を見たときに「良い曲でしょう?」と言われていました。とても細かい表情豊かな曲です。全体は5楽章形式になっています。北欧風といってもシベリウスとはいささか趣を異にしています。ディナミークなども細かく指定されていて、ブラームスやマーラーなどを思い起こさせるところがあります。ただ一直線にクライマックスに行くというような感じの曲ではないので、終わった時にお客様の大拍手というような結末にはならなそうなので、曲順を入れ替えたのもうなずけます。1871〜1927年という年代の人とは思えないような古典的な感じのするきれいな曲です。


6.4

 今月の初めから起こった大問題は昨日思いもかけない形で解決しました。この3日間振り回されたことが馬鹿に見えてきます。教育者とは何かということを考えさせられました。

 というようなわけでこのところ落ち着いてヴァイオリンを弾く気にもなれませんでした。気がつくと午前1時とか2時になってしまっていました。これでやっと落ち着いて音楽に取り組めます。明日からこのページももっと充実させられるでしょう。ところで先月31日付けでN響の演奏業務部長が竹森さんから柴田さんに交代になりました。6年間ずっと激務に取り組んでこられた竹森さんに感謝の気持ちを表すとともに、新任の柴田さんにはこれからよろしくお願いしたいと思います。 これからの演奏会の企画について進行中の話もたくさんあると思いますが、スムーズに受け継いでいただけるよう期待しています。

 今日は早く寝ます。明日からの1週間に備えて。


6.3

 昨日ギルバートさんは私に「次は出番ですか?」と聞かれたり、私のiモードを見て「私も欲しい」と言われたり、とても気さくに話をされる方です。この次の定期は
 1.「始まりの海から」/北爪道夫
 2.セレナードヘ長調/ステンハンマル
 3.ピアノ協奏曲第3番/ベートーヴェン
というプロです。実は発表されたプロの2曲目と3曲目が入れ替わることになりました。準・メルクルさんと並んでこれからのN響の主軸の指揮者になられると思います。

 雑誌を見るともうすぐMacOSXが出るようですが、そうなると今までとは全然違う環境になりそうなので、今のうちにOS9で動く環境(G4)にしておいた方が良いのかもしれません。それにしても金が掛かることおびただしくてたまりません。G4の一番安いのでも買っておくのが一番良いのかなとN響の仲間内では話をしています。MIDIが使えるかどうかが大きな問題ですが、今G4の400MHzを使っているYさんの話によるとステルスポートならちゃんと使えるそうで、そうであれば今の環境から抵抗なく移行できます。最近の状況だと上位 機種をわざわざ買う理由がほとんどないようです。


6.2

 今日は仙台の演奏会でした。2年前にここに来ています。(この写真はその時の物です。)

 

 今日は2時過ぎの新幹線で仙台に行きました。昨日と今日はNTT主催のコンサートです。今日の演奏会もとても良い演奏会でした。お客様の拍手をしている時の和やかでにこにこしている表情がとても良いのです。これはギルバートさんのキャラクターによるものだと思います。オーチャードでの演奏会でピアノ協奏曲の時にソロとオケのペースが合っていないように感じたというメールを頂きましたが、私もオーチャードの時は袖で聴いていて同じように感じました。ですが本番を重ねるにしたがって良く合うようになって行ったと思います。今回のソロ伊藤さんはステージに出る前にステージ係のTさんに背中を叩いて気合いを入れてもらっているのですが、その音がすごいのです。今日その演奏を横でずっと聴いていたのですが、とても良い音がしていました。(袖で聴いていて良い音だと思うことはとても稀です。)ブラームスも良い音が出ていたと思います。


6.1

 実はこれは2日の午後に仙台に行く新幹線車中で書いています。昨日は演奏会が終わった後高崎から東京に戻ったのですが、外環を走っている時に電話が入り急遽大泉に戻りました。音楽に関わっていることの意味を考えさせられてしまいました。もちろん暖かく援助して下さる心暖かい方はいっぱいいらっしゃるのですが。何年かしたら真実が白日の下にさらされるようになるでしょう。それまでノーコメントです。家に戻ったら午前1時過ぎだったので、昨日は日記を書きませんでした。

 それはともかくとして、昨日は高崎の群馬音楽センターでの演奏会でした。N響で今までここに来たことがあるかは覚えていないのですが、前にアンサンブルでここに来たことがあります。間口がとても広い会場で、会場からの響きが少ない会場でいささか弾くのが難しいです。

 

 見かけの割に収容人員は多くないそうです。1曲目の武満さんの弦楽のためのレクイエムが終わった時に、指揮者が終わったポーズをしているのに、会場からは拍手が起こらず妙な雰囲気でした。ギルバートさんは袖に戻ったら「Successful!」と言って笑っていらっしゃいました。こちらも拍子抜けでした。現代曲を取り上げることの1つの難しさです。仙台は大丈夫だろうかと今から心配です。シューマンのピアノ協奏曲はギルバートさんが「Nice Piece」と私に言っていらっしゃいましたが、私もこの曲は大好きです。(これは番外の話ですが、同じ曲でも弾いているととても長く感じますが、降り番だとあっという間に終わってしまいます。弾いていると一瞬一瞬気が抜けないので長く感じるのでしょう。)最後のブラームスは響きが少なくてちょっと物足らない感じでした。この会場も仙台の県民会館も古い会場で最近のホールのように音響をちゃんと考えていないので、新しい会場に較べると貧弱に聞こえてしまいます。昔はこういう感じのホールか物すごく響きの重いホールかどちらかでした。こういうホールに行くと昔を思い出して懐かしい気分になるのですが、弾く段になると大変です。


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