ピアノ 

講師:根津 栄子


このページはピアノに関する情報を集めています。


Muse音楽教室のピアノ

私達の教室にはSteinway2台,Boesendorfer,国産ではEastein2台,YAMAHAがあります。
Steinwayのうち1台は手に入れた当初は全然音が出てこなかったのですが、半年ほどしたら見違えるように音が出てきました。
このほかにレッスン後その日のうちに指遣いを直すためにクラビノーバ、ソルフェージュのレッスン用にピアノプレーヤーがあります。これは普通 のアップライトピアノですが、上にコントロールのパネルが、下にはMIDIのインターフェースがついています。ここにPowerBookのシリアルケーブルをつないでMIDIファイルを再生することを今やろうとしています。

ピアノプレーヤーの使い方

参考までにピアノプレーヤーの使用法を紹介します。ピアノプレーヤーは本来フロッピーに演奏データを入れてそれを再生して聴くという使い方をします。ですが折角のプレーヤーをそれだけのために使うのではもったいないです。生徒に自分の演奏を聴かせるのも有効な方法ですがその他に、
1.ソルフェージュの時、聴音の問題をプレーヤーで再生する(リモコンが使える)
2.聴音の問題を譜面書きのソフト(Finaleなど)で作って、それをピアノで再生する。(画面で譜面を見せながら、再生できる)
3.先生が両手で弾いたフロッピーを作っておいて、たとえばプレーヤーで左手の部分を再生紙ながら、生徒に右手の部分を弾かせて片手練習をさせる。
4.テンポはどうにでも出来るので半分くらいの遅いテンポで片手練習させる。
5.次の生徒がピアノで弾いている時に、このような練習をクラビノーバでさせられる。
6.インターネット上のMIDI Libraryにある曲のデータをプレーヤーで再生して、生徒に新しい曲を教える。

このようにいくらでも利用法が考えられます。


PTNAピアノ・コンペティション

毎年4月に課題曲が発表され5月下旬くらいから予選が始まります。当教室からは毎年7〜8人が予選を受けます。1989年から毎年指導者賞をいただき、去年は優秀指導者賞をいただきました。これからも生徒が上達するためのステップとしてこれを活用して行こうと思っています。

PTNAピアノ・コンペティションについて

毎年この季節になるとコンペティションの準備で目の回るような忙しさです。生徒のレッスンとともに各地の予選の審査があります。毎年終わると来年はやめようと思うのです。でも課題曲が発表されて、予選の日程が決まってくると結局何人か受けることになっています。夏休みにぼやっと過ごすのではなく何か目標を持ってやることが大切だからです。でも全員に受けさせているわけではありません。本人がやりたいという子だけやらせています。私自身はどちらでも良いと思ってやっていますが、見ているとコンクールを受ける子の方が生き生きしていてそれを機会に伸びるケースが多いように見受けられます。

以下は1997年のコンペティションの感想です。


PTNA渋谷神南予選を審査して

今日(6.22)PTNAの渋谷神南予選の審査をしてきました。
この早い時期に予選を受ける人たちだからと期待していったのですが、結果から言うと期待外れでした。
全体的に次の2点が気になりました。
1.手首を振って弾くので、スラーが出来ていない。
力が入っていて腕全体を振りながら弾くので、きれいなスラーにならない人が目立った。
2.不自然な抑揚をつける人が多い。
音楽的に自然な抑揚ではなく、わざとらしいリタルダンド、強弱、表情で弾く人が多い。もっとCDや演奏会を聴いて自然な演奏を身につけるようにしましょう。


PTNA那須予選を審査して

もう旧聞に属するのですが、今月13日(日)に那須の予選の審査に行ってきました。
渋谷神南と同じ感想なのですが、いつも私が強く感じることを書きます。それはピアノを弾くとき「感じながら」弾く子がいかに少ないかということです。感じながらというのは変な表現ですが、弾くときにその曲の世界に入って弾いているかどうかということです。特に少し年令が上のE、F級などでわざわざピアノを弾いているのに何にも感じていない、あるいは先生に言われたことはやっているという弾き方の人が多いことです。聴いている側からは小さい子でも自分の言葉でしゃべるように弾く子と、先生に教わった通りに器用に弾いているだけの子では全然違います。先生としては言うことをよく聴く子は楽だと思うのでしょうが、そういう子は遅かれ早かれ限界に達してしまいます。はっきり言って私が一番困るのは「人の言うことをただ聴いている良い子で、器用に何事もこなす子」です。音楽は要領でこなすものではありません。


PTNAの本選を聴いて

これは8.18に書いたものと同じ内容です。

昨日と今日家内は調布で行われたPTNAの東日本第3地区本選を聴きに行きました。以下は家内の感想です。
両日とも全体に点数が低めで、批評も子供のことも曲そのものもわかっているとは思えない内容のものが多いという話が当日本選を聴きに来た先生達(全国大会に生徒を多数送りだしていたり、毎年指導者賞をとっている先生)の間で盛んにささやかれていました。同じ人が弾いているにもかかわらず(勿論弾き方もそんなに変わっていない)、本選の地区が違うと採点が1点以上違うというのは評価の基準がはっきりしていないからではないかという疑問も起きてきます。(評価は絶対評価のはずです。)他の地区で平均8.5以上とれている人がここでは7.5とか7.8しかもらっていないということです。(再度言いますが、演奏の質は7.5と8.5の違いが出来るほど違ってはいません)予選通過の基準があるのだからそれ以下をつけるということは予選を通過する資格がないといっているのと同じことです。ということは予選の結果を認めていない(つまりは予選を審査した審査員を信用していない)ということになります。こういうことが頻繁に起こるようでは問題ではないでしょうか。
このコンクールをより良いものにするためには、予選は1ケ所でしか受けられないようにしたほうが良いと思います。人数が膨れ上がりすぎて審査員も審査できる限界を超えている場合があるのではないでしょうか。


1998年のPTNAコンペティションの感想です。


PTNA埼玉東部予選を審査して

いささか旧聞に属しますが、埼玉東部予選を審査しての印象は去年審査したときとほとんど変わりません。結論から言うと全体に低調でした。毎度おなじみですが、思いきり弾いている人はほとんどいなくて、ただ間違えなければよいという感じに弾いている人ばかりでした。その中でもやはり上手い子と上手くない子ははっきりわかれていていました。でも皆今のまま続けているとそのうち限界に当たってしまうでしょう。更に伸びていくためには今のような勉強を続けていてもダメです。まず楽譜通りにきちっと弾くことから始め、何度も基礎練習を積み上げていかなければダメです。やっと一度出来たことなど、出来たうちに入りません。何回やっても毎回ちゃんと出来るようになるまで積み上げなければダメなのです。


予選の結果を見て

今年の予選を受けた生徒の結果を見て、疑問がわいてきます。
最初の予選の時はシャブリエの曲など、重くならないように注意しながら教えたのですが、審査員の批評などを見ると歌っていないとか見当違いなことが書いてあり、不当に低い点がついているのです。そこで2回目の予選には演歌のような重い表情を付けて弾かせたら何と予選を1位で通過したのです。審査員の先生方の中にはまるで曲の分かっていない方がいるとしか言えません。
また同じ予選で、審査委員長が途中で演奏をやめさせるベルを鳴らすのですが、それが何と後1小節で終わりというところで鳴らすのです。つまり審査委員長をしていながら課題曲の譜面も見ていないということをその事が示しています。審査員としてとても恥ずかしいことですよね。こういうことはその予選を受けている生徒も聴いているのですから、その生徒達もこの審査員は何も分かっていないなということは身にしみて分かってしまっています。審査表にどんなにえらそうなことを書いてもこういう審査員を信用するはずがないですよね。(本気でやっている子供ほどその審査員の名前を忘れずに覚えているでしょう。)
審査員はただ座っていればいいのではないのです。どういう曲で何が大切かくらいはちゃんと調べてから審査員席に座るべきです。


ソルフェージュについて

音楽を始めるとき楽譜を読むことと、新しい楽器を弾くことの両方を同時にやったら子供は混乱します。楽器を弾き始める前に楽譜が分かるようになっていれば上達が早いです。そのため当Muse音楽教室では導入のソルフェージュをすべての子に必修としています。(7つの音、13このリズム、グループ1の3つの調が分かるようになったところで、専門の楽器を始めます)


エアコンについて

梅雨時にピアノを練習するときエアコンは必需品です。ですが、エアコンの風邪が直接ピアノ本体に当たるのはよくありません。必ず吹き出し口を上向きにして間接的にピアノに風が当たるよう調節して下さい。狭い部屋でも間接的に当たるよう調節しないとピッチがすぐ狂うだけでなく、音質的にもよくありません。気をつけましょう。


楽器、調律

私の家は調律はN響の専属調律師の齋藤勉さんにお願いしています。その齋藤さんがレコード芸術6月号に「ピアニストに真っ白なキャンバスを」と言う一文を書いていらっしゃいます。その中に「音楽性のある方が使うから、楽器が自然にいい音を出してくれる。」という部分があります。よく調律師に色々注文を付けている人を見るのですが、音楽というのはそんなに神経質に細かくやってもちっとも良くならないと思うのです。あるレベルに達しているならどんなものでも受け入れられるだけの気持ちのゆとりがなければ良い音楽など出来ません。出来上がったピアノをどう弾いたら良い結果が出るかと考える方が結果は良いのです。色々やっているうちに自分に合う調律師、楽器屋さんは見つかるものです。その人に任せておけばよいのです。
ヴァイオリンについても同じことが言えます。ヴァイオリンは特に良い楽器ほど弾くのは難しいです。自分が弾けないのに「この楽器は音が出ない」などと言っている人をよく見ます。要するに楽器にバカにされていると言う状態なのです。
楽器に教えてもらうという気持ちで弾いたほうが良いようです。自分の持っている楽器の性能をフルに発揮してから楽器を換えること考えましょう。縁があって持つことになった楽器です。かわいがってやりましょう。


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